食糧問題

「世界食糧デー」飢えで苦しむ国と食べ物を捨てまくる国

食料問題を考える
Written by すずき大和

10月16日は

「世界食料デー」

“食料デー”だから、何かグルメの祭典ぽく聞こえますか?

世界中の料理や珍しい食材が集められる食品見本市みたいなものを想像します?

実は、これを制定しているのは国連です。

と言われると、そんな飽食の光景ではなく、今度は、食料不足で栄養失調になっているたくさんの子どもたちや、飢饉の村に援助物資の食料を配る国際ボランティアなどの絵などが浮かんできますか?

この日は「世界の食料問題」を考える日です。



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食料問題って何だ?

世界中の食料は、みんながちゃんと食べられるだけある

専門家の報告によれば、現在、世界中の人間が生きるために必要な食事を十分賄うだけの食料が、毎年十分生産されているそうです。

止まらない人口増加に伴って、穀物などの生産も増え続けています。

しかし、実際には、世界では今8人に1人が飢えに苦しむ生活を余儀なくされています。

量は足りているはずなのに、それがちゃんと行きわたってはいないのです。

皆がみんな自給自足しているわけではない時代

人間は世界中いろいろな場所で生きていますが、全ての場所でそこに住む人が生きるのに十分な食べ物が作れたり、獲れたりしているわけではありません。

異常気象や、戦争が原因で、食べ物を確保できる環境が失われてしまった地域では、作りたくても作れず、獲れず、食べられない、飢餓状態に陥ります。

そんな地域では産業もままならなくなっていますから、外国から食料を輸入するお金も足りません。

一方で、自国民が食べる以上の食料を大量に生産し、それを外国に売ることで金銭を得て、そのお金で物質的に豊かな社会を築いている国もあります。

沢山作れる国が売りにいくのは、作れない国、ではない

一方で作れなくても、もう一方の作れる国が、作れない国に売ってあげるようにすれば、丁度いいのではないか・・・と思いますか?

残念ながら、作れる国が売りに行くのは、自分の国でもちゃんと作っていて、ある程度社会が安定していて、庶民のお金と気持ちに余裕があるようなところです。

自分の所にもあるのに、余所から同じものを売りにこられたら、当然競争がおこります。

競争していると、消費者はより都合のいいもの、安くて品質がいいものにどんどん流れていきます。

競争に負けたほうの食べ物は、売れ残って捨てられます。

負けないように、まだ十分食べられるものでも、高品質でないものは捨てられます。

競争すると最後は誰も特にならない?

競争すると捨てられるものが増えます。増えるとそれが当り前になり、捨てることに誰も疑問を抱かなくなります。

すぐ食べるものでも、一番賞味期限が先のものを買おうとします。

お金がないわけではないのに、一番安いものを買おうとします。

常に新しい物を供給し続ける流通網をもった大手の販売組織に、小さな組織の地場産業は敵わず、人件費の安い外国産に国内生産品は太刀打ちできません。

そうやって、その地に居たもともとの食料生産者が減っていきます。

だんだん食べ物は外国から買う率が増えていきます。

国外からの輸入食品は、運ぶためだけにもたくさんのエネルギーや資源を使い、必要以上の水や空気を汚します。

環境の負担が増えると、世界規模で異常気象が進み、飢える国の人たちはますます食べられなくなり、時には沢山作って売っていた国の農業までダメージを受けることもあります。

飽食な日本だからこそ、関係ない問題ではない

日本の食料問題?

そんなこんながたくさん重なり合い、関係し合って繋がっているのが食料問題です。

今、豊かで食べるものが有り余っている社会にいたとしても、関係ない問題では決してなく、むしろ責任のある問題であるかもしれません。

日本では、毎年8400万トンの食料が消費されています。

そのうち1700万トンは食べられずに捨てられています。

食べ残しや賞味期限切れなど、腐って食べられなくなったわけではなく、本当はまだ食べられたものもたくさんあります。

最近は、流通の途中で、まだ賞味期限まで何日もあるものが捨てられることも増えています。

消費者がより新しい物を欲しがるので、新たな生産品が入荷すると在庫品を返品する、という現象が起きているためです。

捨てるということは、最後はごみとして焼却されることです。食べられるはずのものを捨てることで、本当は発生しなかったかもしれない温室効果ガスを作り出してしまう、ということにもなっています。

「世界食料デー」の取り組み

「世界食料デー」の目的の大きなものは、そんな風に、私たちの生活と世界の食料問題のつながりについて、一人でも多くの人に知ってもらうことです。

少しでも興味をもって、考えてもらえるように、この日を含む10月の一か月を「世界食料デー月間」として、NPO・NGOと国際機関が協力しながら、毎年いろいろな角度からいろいろな問題を紹介するイベントを開催しています。

過去の取り組みのテーマを少し並べてみます。

「食料価格高騰の影響」
「終わらない食糧危機」
「食料への権利の視点から考える」
「食料・栄養安全保障への持続的食料システム」
・・・・。


食料問題には、意識や制度、平等や平和についての考え方の違いから生まれる対立の構図と似たような問題も見え隠れしています。

戦争や貧富の格差や差別や虐待が無くならない理由と、食料がみんなに行きわたらない理由は、共通する根っこを持っているようにも感じられます。


食料問題を考える時、資本主義社会の競争や、まずお金がないと何事も解決できない、という社会の仕組みが、大きく影響していることも見えてきます。

競争がよりよい技術の進歩や豊かさを生み出すしくみが強固に出来上がっている社会を変えることは、とても難しいです。

が、その競い合いが、本当に意味のあるものなのか?

負け組が飢えるのは本当に仕方のないことなのか?

改めて考えてみることが、今大切である気がします。

大震災の時、みなが助け合ったように、世界の飢える人と食べきれずに捨てている人は、助け合い、分かち合うことができるのでしょうか?

まさケロンのひとこと

そういえば、どっかの包帯ぐるぐる巻きが言ってたな。
「所詮この世は弱肉強食 強ければ生き弱ければ死ぬ」って。
どうしても「強いもの」と「弱いもの」ができてくるのは仕方のないことだと思うけど、
「強ければ生き弱くても生きる」そんな世界にするのも不可能なことじゃないと思うんだよね。

masakeron-normal


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。