テロリズム

テロとの闘いと人道支援の間にあるもの。日本はどう参加する?

日本橋三越
Written by すずき大和

かつて20世紀は「戦争の時代」と言われました。この100年間の戦争で死んだ人間の数は、それまでの何千年の間に起きた戦争全ての犠牲者の数を、はるかに上回っていました。

21世紀を迎える時、多くの人々が新たな100年は平和な時代であれと願いました。

しかし、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、アメリカを中心とした有志連合は「対テロ戦争」へと進んでいきました。



スポンサーリンク

テロとの戦いが意味すること

有志連合のテロとの戦いとは、どんなもの?

「テロとの戦い」とは、同時多発テロを受けて、当時のアメリカ大統領ブッシュさんが提唱したスローガンとも言うべき言葉です。

その後のアフガニスタンやイラクへの武力行使を正当化する大義名分ともなりました。

しかし、繰り返される軍事侵攻によって、テロリストを育む社会の中で欧米社会に対する憎悪はますます膨らみ、テロ組織は根絶されるどころか、どんどん複雑化、強大化することとなりました。

そして、テロVS有志連合の戦争の現場とされた地域に居た何十万人もの市民がまき込まれ、難民になったり、空爆で死傷したりしています。

アメリカはオバマ政権になり、「テロとの戦い」という言葉を今後は一切使わないことを決めました。

テロは絶対に許されない、根絶されるべき!は自明の理?

無実の市民を無差別に殺傷する行為は、テロであれ何であれ、許されないことです。

これは人類共通の自明の理です。

イスラム過激派組織が行っている敵国人と見なした者の残忍な処刑は、相手が軍人でも民間人でも卑劣極まりない行為であると非難されるものです。

が、そういう非難が

「テロは絶対に許されない」

「テロは根絶されるべき」

という言葉に置き換えられると、別の「やむを得ない無差別殺人」を容認することに繋がります。

それは、次のテロ行為やテロ組織誕生に繋がっていくだけ、ということをこれまでの対テロ戦争の結果は物語っています。

  • 「テロ対策」と言えば政府は何をやってもいい
  • 「テロ絶対反対!」と言って支持しない市民は反逆者と見なされる


社会にそういう風潮が出てきた時は、必ずといっていいほど、テロによる殺戮よりも大きな無差別殺人が、「正義」として、時には「報復」の名のもとに行われてきました。

国家が「テロリストに裁きを!」とこぶしを挙げる時は、武力による報復攻撃を意味するのが常でした。

テロリストとそれと戦う者は、結局勝った方が正義になります

アフガン戦争以降、イスラム過激派VS有志連合以外の衝突や対立の時にも「テロ」という言葉が使われることが多くなりました。

政権は、自分たちの保身に都合の悪いものを力で弾圧する際に、しばしば「テロ撲滅」という言葉を利用します。

一方で、歴史を振り返れば、革命や革新、独立という社会の歴史を大きく変えてきた出来事の多くは、誰かのテロリズム行為によって行われてきた事実があります。

幕末の志士だって、みな最初はテロリストでした。

「桜田門外の変」だってテロ行為以外の何ものでもありません。

そして、テロ撲滅のために命を賭けて戦っていた新撰組は、明治新政府のもとでは開国を阻止しようとした国賊として扱われていました。

テロリストと政権、どちらの殺人行為が許されないものだったのかは、結局どっちが勝ったかによって決まります。

テロが勝てば、テロリストは英雄となります。

日本はどういう形でテロ対策に関わりたいのか?

どちらかを勝たせるために貢献することと、無差別殺人行為を撲滅することは、実は似て非なるものです。

日本が目指すのはどこなのでしょうか?

無差別殺人テロを無くすには何をすればいいのか

卑劣な殺人手口は許しがたいものであれ、相手が政治的思想を表明するために暴力行為を行う集団(テロリスト)であるならば、NOを突き付けられている側の政権が軍事力で制圧しようとすればするほど、泥沼に陥っていくことは必須です。

テロを生む背景、民族や宗教やイデオロギーの異なる社会に対する憎悪のもとを見つめていく取り組みがなければ、憎しみの連鎖が戦争を長引かせるだけです。

  • 長年積み重ねられてきた理不尽な格差への不満
  • 繰り返されてきた相互の報復による恨みや怨念
  • グローバル化の名のもとに一国(アメリカ)の価値観を普遍化することへの反発


そういう問題のひとつひとつに向き合っていくためには、相互に話し合える信頼関係を築くための貢献がとても大切になります。

安倍さんがよく使う言葉「人道支援」が、テロリストに住んでいた町を掌握された結果、難民になった人や、抑圧の中で毎日を生きなければいけなくなった人たちを助けるために行う行為や資金援助であるならば、憎悪を信頼に変えていくための一助になるかもしれません。

人道支援なのに、ISILは誤解している?

しかし、実際は、「人道支援を訴えた」つもりのエジプト訪問時の安倍さんの演説が、日本人人質を殺害に至らせる直接のきっかけとなってしまいました。

スピーチ全体に渡り、中東地域への敬意を表明し、平和を願って地域安定のための支援に貢献することを繰り返し述べていたにも関わらず、なぜ伝わらなかったのでしょうか。

演説の時のISILにまつわる部分の安倍さんの言葉の英訳を、日本語に直訳してみます。

実は「人道支援」という明確な単語は出てきません。

我々は、イラク・シリアからの難民・避難民に対する支援を提供します。
我々はまた、トルコ・レバノンの支援を行います。
こられは全て、ISILの脅威を緩和するために行うものです。
私は、ISILと闘う国々に対し、人材開発、インフラ整備などを支援するため、
総額でおおよそ2億ドルの援助を表明します。


人道支援と言う場合、生命や安全を確保するための緊急性の高い部分を最優先に行うものと、一般的には解釈されます。

演説全体を見ると、平和的国づくりへ貢献するための支援を広く示しています。

それは緊急人道支援というより、日本の国益も多分に考えられた絆づくりを望んでいる印象です。

ちなみに、外務省が定めている「緊急・人道支援の基本概念」には、以下のように4つの原則が明記されています。

  1. どんな状況にあっても、一人ひとりの人間の生命・尊厳・安全を尊重すること
  2. 国籍・人種・宗教・社会的地位または政治上の意見によるいかなる差別も行わず・・(略)最も急を要する困難に直面した人々を優先すること
  3. いかなる場合にも政治的、人種的、宗教的、思想的な対立において一方の当事者に加担しないこと
  4. 政治的、経済的、軍事的などいかなる立場にも左右されず、自主性を保ちながら人道支援を実施すること


わざわざ「ISILの脅威を緩和するため」「ISILと闘う国々に」と入れること、「人材開発、インフラ整備・・・」と使い道の例をだしていることは、これら人道・公平・中立・独立の原則にそぐわないものになります。

やはり緊急人道支援の意図とはちょっと違い、軍事支援ではないものの、もう少し政治的意図がある支援だったと解釈するのが自然でしょう。

それは、難民問題などの大変さに寄り添う気持ちを表したかったのかもしれません。が、有志連合の一員であることをアピールしたかったと取る人もいるでしょう。

そこだけ繰り返しピックアップして報道していた日本のメディアの切り取り方も、ISILへの対立表明を強調してしまったようにも思います。

人質殺害後の首相声明

人質二人が殺害された直後の声明で、安倍首相は激しい口調で次の言葉を述べました。

「テロリストたちを決して許しません。その罪を償わせるために国際社会と連携して参ります。」


「罪を償わせる」とは、アメリカが出す声明「テロリストに裁きを!」に非常によく似た言い回しです。

海外メディアの多くが、「日本は報復を決意したのか?!」と報じました。

テロ非難決議の採択

そして、衆参両議院では、「シリアにおける邦人へのテロ行為に対する非難決議」を全会一致で採択しました。

アフガニスタンでタリバーンに日本人が拉致殺害された時も、アルジェリアで日本人10名を含め37人が殺害された時も、出さなかった非難決議を、今回わざわざ出した意図は、テロリスト本人や外国にはどう受け止められているのでしょう?

決議の内容は、二人の人質殺害について「非道・卑劣極まりないテロ行為」と断じて非難し、政府に法人の安全に万全の対策を講ずることを要請しています。そして、その他に、国としての重要な二つの姿勢を定める言葉が書かれています。それは、必ずしも「中庸が最善」(エジプトでのスピーチのタイトル)という態度であるようには見えない内容です。

「このようなテロ行為は、いかなる理由や目的によっても正当化されないものである。我が国及び我が国国民は、テロリズムを断固として非難するとともに、決してテロを許さない姿勢を今後とも堅持することをここに表明する。」


テロはいかなる理由や目的によっても正当化されない、許さない、と断言しています。これは、革命も独立運動も明治維新も、暴力によって前政権を倒した行動は全て正当化されない、権力に反抗するものは全て悪、という意味になってしまうのですが・・・・。

「我が国は、中東・アフリカ諸国に対する人道支援を拡充し、国連安保理決議に基づいて、テロの脅威に直面する国際社会との連携を強め、これに対する取組を一層強化するよう、政府に要請する。」


テロの脅威に直面する国際社会とは、世界中の国際社会のことではありません。明らかに有志連合と連携するという意味です。テロとの戦いのどちらか一方に加担して勝たせるための貢献をしていくことを、私たち日本人は選択してしまったのでしょうか。

日本は何をしたいのか

先の章の冒頭の言葉を繰り返します。

テロとの闘いにおいて、どちらかの側を勝たせるための貢献をすることと、無差別殺人行為を撲滅することは似て非なるものです。

少なくとも、アメリカのやり方は、こちら側の無差別殺人被害を減らすために、テロリストに占拠されてしまっている国の国民が、空爆の犠牲となって無差別大量殺りくされることはやむを得ない、という方針から脱却できません。

武力行使も後方支援にも踏み切ることはないと断言している安倍首相の言う、「罪を償わせる」とは、どういう解決策を意図しているのでしょうか。

「テロに屈することは決してありません」

「人道支援をさらに拡充してまいります」

と声明を出した安倍さんは、テロとの闘いを終わらせるために、どんな「中庸が最善」という選択をするつもりなのでしょう。

私たち有権者は高い支持率で現政権を誕生させました。安倍さんの選択していく道は、私たちが責任をもって見極めていく必要があります。

まさケロンのひとこと

日本をまもりながら手段を選ぶのは凄く大変なことだと思うけど、一緒に考えていこう。

masakeron-normal


スポンサーリンク
Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on Google+

あなたにオススメの記事

筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。