人間関係

差別はなぜ起きる?なぜ所属集団で判断してしまうのか?

不気味な扉
Written by すずき大和

2015年初頭、イスラム過激派武装集団IS(イスラム国)による日本人人質殺害をきっかけに、中東地域から発祥してきたテロリストへの憎悪が膨らみました。

波及して、国内でも一般のムスリム(イスラム教徒)に対する嫌がらせ事件が複数発生しています。

これは、国内でのテロの脅威に直面しながら、移民をたくさん受け入れている欧米社会でも、同じです。



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差別への反発が差別となって帰ってくる世界

特定の集団に対して、向けられる憎悪

元々、イスラム過激派が発生していった背景そのものが、

  • 中東地域に欧米による武力行使が行われた戦争の結果の社会混乱
  • 欧米社会の中でのイスラム教徒とそうでない人との格差の問題


などに起因していると言われています。

宗教心から発生する心情もあるでしょうが、根本にある蓄積されてきた被差別者意識や、欧米型の個人主義や人権思想に対する違和感や反発が、敵対心を膨らませてきました。

差別がテロ行為を生み、テロが更なる差別を生んでいく、という悪循環が加速しているような昨今です。

日本でも、ごく普通の良識ある市民の中に、対中国・韓国人に対する反感が高まり、それを口に出すことが憚られなくなっている風潮が見られます。

ネット内では、ヘイトスピーチを支持する声や、激しい誹謗・中傷の書きこみを見ない日は無い、と言っても過言ではありません。

腹立たしいものをまとめて排斥しようとする集団心理

「差別はいけないこと」という認識は、いまでは世界的な共通認識です。それなのに、人はどうしてこうも簡単に差別の意識に囚われてしまうのでしょう。

それに共感する人々の言動が、ためらうことなくすぐに膨らんでしまうのはなぜでしょうか。

共通の特徴で結ばれる集団と別の集団が、憎み合い、傷つけあうことからは、終わることなくどちらかが勝つこともない「泥沼の戦い」しか生みません。それは、人類が20世紀の大きな二つの世界戦争から学んだことです。その反省を元に、人権や差別撤廃の考え方が生れました。

でも、その後も価値観やイデオロギーの対立から、世界各地で民族紛争や内戦やテロリズムが絶えません。

特定の集団を「敵」と見なすと、その存在すべてを否定し、排斥しようとする言動が盛り上がってしまう現象を、社会は、人間は、抑えることができないのでしょうか。

差別を生んでしまう原因

人はどうして差別するのか。心理のメカニズム

人が人を差別する心理的な構造については、心理学者だけでなく、哲学者や社会学者、統計学者、その他多くの知識人や一般人による研究や論説があります。

遺伝子に起因する障害のように、科学的に揺るぎない根拠は、今の所はっきりと定まってはいないようです。

  • 人より自分が優れていると思いたい「優越感」を求める心が原因
  • 否定的な連想を持ちやすい感受性が差別の根源にある
  • 人は自分と似た性質を持つ人には甘くなるえこひいきの心理があるため
  • 差別されていることに対する陶酔感は実は気持ちいいもの


などなど、単純化したメカニズムも複雑な理屈も中には強引な解釈もありますが、実にいろんな人がいろんなことを言っています。

差別や対立が増幅しやすい環境がある

差別感が生まれる理由は完全に解明されてはいないようですが、どういう状況が起きると差別が生まれやすいのか、という研究はたくさんされていました。

「逆境を感じる環境に置かれる人ほど、周囲の人を仲間と感じる範囲は狭くなる」


という類の実験結果が得にたくさん見受けられます。

これらは、世の中が生きづらくなってきた時ほど、人は特定の集団に対して差別心を向けやすい傾向があることを示しています。

  • 恵まれている人がそうでない人の集団を自分より低い人間と見下すようになる
  • 特定の集団がいるから自分に回ってくるはずの社会の富やチャンスが減ったと考える
  • 都合よく制約なく動いて周囲に合わせてくれない人は迷惑だと思うようになる


そんな心情が社会に蔓延していき、それが差別に繋がっていきます。

差別の根幹は、人をひとくくりにまとめて見て判断すること

同じ集団にいても、人はそれぞれ違うはず

イスラム過激派武装組織の考え方は暴力的ですが、ムスリムの多くはとても穏健で理性的な人たちです。

イスラム教徒というだけで一括りにして考えることはおかしいです。

そもそも、差別というのは、一人ひとりの人間のパーソナリティを見ず、宗教や国や言語や職業や性別や・・・その人が属する集団の情報だけで判断を下して、貶めたり攻撃したりする行為のことです。

どうして人は人を見下したり差別したりするのか、という心理の前に、

「なぜ人は、人をその属する集団として一括りにして判断を決めつけてしまうのか」


という所に、問題の根幹があるのではないでしょうか。

イスラム教徒はみんな同じじゃない、という心があれば、移民差別も起きないのではないでしょうか。

そもそも、テロリスト側も、アメリカという国の政策に反発するのであっても、アメリカ市民全員が国と同じ考え方ではないのだから、アメリカ人全員を憎み、無差別に殺すのはおかしい、と考えることはできないのでしょうか。

韓国・中国の国策や教育がどうであれ、韓国・中国人全員が全て日本を憎んで、歴史認識の違いを押し付けて来る人ばかりではないのならば、ヘイトスピーチで民族丸ごと排斥しようとするのは差別であると、気づくことはできないのでしょうか。

どうして人は他人を一括りの集団として見てしまうのか

人が人を見下す、差別する心理についての文献は、とてもたくさん見つかりますが、

  • 「どうして人は集団で一括りにして見てしまうのか」
  • 「どうして所属する集団の情報だけで判断してしまうのか」


という心理を解説してくれる文章は、なかなか見当たりません。

わざわざ分析・解説する必要もないくらい、自明の理ということなのでしょうか・・・。

確かに、私自身を考えてみても、無意識に、性別や見た感じの印象で判断してしまうことを無くすことはできません。

人は「第一印象」を何も感じずにはいられません。それは、生き物として生きる上で必要な能力であることも確かです。

具体的に言えば、所属集団の情報を予め頭に入れて対応することが、安全や相互理解のためには必要な判断である場合もあります。

例えば、統計的に「〇〇〇な人が多い所では犯罪被害に合いやすい」というデータがあるのであれば、そういう人の多いエリアのセキュリティを厚くして備えることは、賢明な危機管理です。

サービス業において、顧客のニーズの傾向をデータ化し、それに応えるように事業展開を考えることは、商売としてまっとうな追求と対策です。

仕事の相手やクライアントについて、よりその人を理解しようとして、その人の所属する集団の文化や歴史を学んでおくことは、相手との理解・信頼を深めるための「思いやり」になることだって少なくありません。

しかし、そういう準備万端さ、慎重さが、人や地域に対する先入観となり、強いては差別心と紙一重となることも否めません。

集団の特徴を理解することは大事。でも囚われないこと

差別心を払しょくする一番の方法は、差別している人たちと共に過ごす時間をたくさんもつことです。お互いのパーソナリティを良く知り、相手を理解することが、偏見や差別の心を消していきます。

相手を理解しようとして、相手の所属集団の特徴について学ぶことは、とても大事です。

が、その特徴を決めつけて接すると、偏見になってしまいます。差別をなくそうとして、差別を発生させてしまうとは、シャレになりません。

そこの加減は、とてもとても難しいことかもしれません。けれど、私たちが、自らの差別心に負けて、社会の憎悪を膨らませることに加担してしまわないために、チャレンジしていかないといけないことなのだと思います。

差別は、相手も社会も自分も、誰も幸せにしません。それだけははっきりとした事実ですから。

まさケロンのひとこと

所属集団の特徴とその人がどんな人かってのは全く別の話だもんね。
「どうしてその人はその集団に所属しようと思ったのか?」ってところのほうが大事かも。
差別なんかする前に、それを教えてもらえるくらい相手と仲良くならないといけないね!

masakeron-happy


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。