宗教 神社仏閣

和のパワースポット神社仏閣の御朱印て本当にご利益ある?

浅草寺
Written by すずき大和

最近、神社やお寺巡りや仏像がなんだか人気です。

寺社を訪れ

御朱印[ごしゅいん]

というのをもらってくるのも流行りらしいです。

御朱印集めを趣味とする女の子たちは「御朱印ガール」というそうで、雑誌や情報番組などでも取り上げられることが多くなりました。

ひとつひとつ手書きの御朱印は希少で、美術的な価値を高く評価する人もあり、コレクター魂も刺激するものでもあるようです。



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御朱印もらいにいったことありますか?

御朱印って何?

「御朱印」とは、神社やお寺に行った時、無料あるいは有料(300円くらい)で書いてもらえる「ご判」です。

“神社やお寺の記念スタンプ”みたいに思っている人もいるようですが、最初は、お寺で写経[しゃきょう]を納めたことの“印”として授けられたものでした。

写経とは、お経を筆で写し書きすることです。そうすることで煩悩[ぼんのう](自分本位の欲望とか)をはらえる、という仏教の修行のひとつです。

写経したものをお寺に納めたことの証明書が御朱印でした。“信仰の証”と言ってもいいでしょう。

そのうち時代と共に修行部分が簡略化され、参拝するだけでも授けていただけるようになりました。

日本では、神仏習合[しんぶつしゅうごう]といって、神様と仏様の教えをミックスして信仰していたので、お寺が神社も管轄するシステムがありました。

そのため、神社でも参拝者に御朱印を授けるようになりました。

御朱印は、ご神体やご本尊の分身

御朱印は、神主さんやお坊さんがひとつひとつ墨書きで、心を込めて神様仏様や神社・お寺の名を書いてくださるものです。

「御朱印はご神体やご本尊の御心そのもの」、という見方もできます。

  • ご神体[しんたい]
  • ご本尊[ほんぞん]


これらは、そこの神社やお寺に祀られている神様仏様のことです。

写経を奉納したり参拝したりするという行為の功徳[くどく](善いことをしたご褒美)として授かりますから、それ自体が有難いものです。

つまり、御朱印をもらうということは、本来は純然たる“宗教行為”なわけです。

神社やお寺も御朱印もらいに来てほしい

世界的に、歴史あるお寺等の多くは、重要な観光資産にもなっています。

教会もモスクも神社もお寺も、儲けを目的とする商売ではありませんが、そこを訪れる観光客をあてにする産業は、その町にとっての重要な収入源です。

参拝者が増えることは、町にとっては喜ばしいことです。もちろん、宗教に親しみを持つ人が増えることは、神社やお寺にとっても嬉しいと感じている人はたくさんいます。

ということで、参拝者が増えるならば、と、神社やお寺の多くも進んでこの御朱印ブームに乗っかろうとしています。

御朱印をいただくためのオリジナル御朱印帳(御朱印帖)を発売するお寺などがとても増えています。

それぞれ様々デザインに工夫をこらしており、人気の御朱印帳をもらうために参拝者が集まる所もあります。

御朱印集めブームに対する負の反応

宗教とかけ離れていくことに警鐘を鳴らす人たち

  • 集める人にはご利益があって、
  • 神社やお寺にとっては信仰の普及になって、
  • 町の経済も潤う

なら、もう言うことなし!いいことづくめのように聞こえます。

マスコミやwebの中でも、こぞって煽るような紹介記事やニュース映像を流しています。

が、実はこの御朱印ブーム、一方で「ちょっと待った」と考える人も居ます。

四国のお遍路[へんろ](四国88ヶ所のお寺を歩いて巡る信仰)ブームなどは、御朱印集め以前に、参拝することそのものに価値を見出している巡礼者を増やしました。

が、最近の御朱印集めブームは、御朱印をもらうこと・集めることが第一目的となり、それが宗教行為である、という自覚や配慮がない人たちを増やしている感もあるのです。

オリエンテーリングやスタンプラリー感覚の人や、美術品としての御朱印コレクターたちの、宗教への配慮やマナーに欠ける態度について、戸惑い苦々しく思っている参拝者や神社やお寺も実は少なくありません。

浅草寺の注意書き

三社祭[さんじゃまつり]で有名な東京浅草の浅草寺[せんそうじ]の境内に、次のような張り紙がされていることが、最近ネットで話題になっていました。

長いですが、全文引用しておきます。

「ご朱印について」

この頃、神社仏閣に参拝され「ご朱印」を受ける方が大変多くなっております。

これは「ご納経(のうきょう)」とも呼ばれ、その由来は参詣者がお経を書写して寺社に「お納め」することに始まっております。ですから昔は納経帳の右肩の所に「奉納大乗経典(ほうのうだいじょうきょうてん)」と書かれておりました。現在は「奉拝(ほうはい)」という文字となっています。

いつの頃か、この作法が簡略化されて、お写経を納めなくとも参詣の証しとして「ご判」を頂くことになって今日に及んでおります。そして各霊場を巡拝する「巡礼(じゅんれい)」信仰と結びついて盛んになりました。これは観音三十三札所あるいは四国八十八ヶ所を巡礼し、その全部の霊場から「ご判」を頂くと、その功徳によって地獄には堕ちないばかりか、所願も成就するという古来の信仰に基づいているものです。

このような本義から申しますと、お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。少なくとも『般若心経』」一巻または『観音経』偈文(げもん)などを書写なさるか、ご宝前で読誦されるなどして、その後に「ご朱印」をお受けになるようにして頂きたいものです。

金龍山 浅草寺


御朱印が本当にご利益を生むものになるために

仏教とは自分自身の生き方を見つめること

仏教の教えとは、「万能の神様にすがることで救いを請う」という種類の宗教ではなく、そもそもが

「修行により煩悩を払って悟りの境地に到達(解脱[げだつ])すること」


を説くものです。

解脱っていうのは、究極の“人間ができている人”になることです。

そこまで行けた存在が「仏様」です。つまり、修行や精神の鍛練を重ねる生き方をオススメする宗教なわけで、お願いすれば願いが叶う、という“ラクして得する”信心ではありません。

ただし、日本に入って来てから、修行の部分が随分簡略化される教えに変わっていき、とうとう今では「死んだらみんな仏様」ということになっていますが。

それでも、お経をあげたり供養したりしないと、成仏できないことにはなっています。

神仏のお力はスポットに宿るのではないのかも

御朱印集めるために、わざわざ足代使ってそこまで行ってるじゃん!

というご意見もあるかもしれませんが・・・まあまあ、そこはやっぱり、浅草寺さんの主張のほうに分があるかと思われます。

神社もお寺も、そもそも宗教心に向き合うために行くところですから。

神社やお寺巡りが流行したきっかけは、「パワースポット」ブームと言われています。

が、本当の神仏のパワーとは、人の生きている様子を見て、神様仏様が授けてくれるものです。

日本の宗教観は、因果応報[いんがおうほう]輪廻[りんね](簡単にいうと「自分のやったことが自分に還ってくるんだよー」という考え方)と密着しているものですからね。

御朱印集めに興味を抱いている皆さん、もうハマっちゃっている人も、どうか真摯な気持ちで神様仏様にお祈りください。

そうすれば、本当にパワーをいただけるのではないでしょうか。

皆さんが、ご利益にあやかれることを祈っています。

まさケロンのひとこと

御朱印集めをしているみんな、本来の目的、というか「気持ち」を大切にね!

masakeron-happy


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。