十五夜、中秋の名月。
なぜ一年でこの月の十五夜だけ特別に「名月」と言われるのでしょう?
秋になると、湿度がだんだんと下がり、もやっとしたり曇ったりしない、澄んだ夜空の日が増えていきます。
月も、霞がかったおぼろ月が多かった春から夏に比べると、だんだんとくっきりはっきり見えるようになってきます。
寒くなるほどに、月は美しくなっていきますが、ほんとに寒い真冬は、外で悠長に月見など楽しむ余裕もなくなってしまうので、秋のうちにゆっくり優雅に、屋外での月見会が催されたのでしょうかね。
月とうさぎの関係は?
月にうさぎが住んでいる、と言われた理由
とてもよく空気の澄んでいた夜、満月がくっきりはっきりと見えたので、
と言ったら、本当に月の表面に住んでいるうさぎの姿が見えるようだと言っていると思われ、
と笑われてしまったことがあります。
相手の人はバブル期就職組くらいの世代で、もうすっかりいい大人のように見えましたが、
「月の表面の模様がうさぎに見立てられる」
ということを知りませんでした。月にうさぎが住んでいる、というのは、子どもの絵本などに出てくるお伽噺か何かに由来していると思っていたようです。
月の模様は世界共通。何に見えるかはみんな違う
月は常に同じ面を地球に向けながら地球の周りを回っています。
そのため、見える角度は様々ですが、世界中どこでも同じ月の模様が見えているわけです。
表面の黒っぽい所は、かつて巨大な隕石がぶつかったあとの低地です。
海
と呼ばれています。この黒っぽい部分をなんとなくつないで見ると、日本や中国・韓国では、だんだんとうさぎの形に見えてきたようです。
日本では、横向きのうさぎが杵を持っており、目の前には四角い臼が置いてあるように読み解かれました。
そこから、「月ウサギ」の伝説も生まれていきました。
中国では餅つきではなく、薬草を挽いていると解釈されているそうです。
また地域によってはうさぎの耳のように見えていた部分が大きなはさみのように捉えられ、巨大なカニの模様と見られている所もあります。
ヨーロッパに行くと、白っぽい部分が顔、黒っぽい部分が髪の毛とされ、「女性の横顔」と見られることが多いです。
他にも「インデアン」「本を読んでいる男性」「怪物」「ワニ」・・・・など、世界中でいろいろな解釈があるのです。
日本でも、地方によっては「本を読みながら歩く人=二宮金次郎」さんと見立てている場所もあります。
月ウサギの伝説
仏教説話の中の月ウサギ
月の模様がうさぎに見える所から、やがて
という話が生れていきました。
なぜ月にうさぎがいるのか?については、様々な伝説や民話が残っています。
中でも、仏教説話の中に出て来る話が一番有名です。
うさぎは自己犠牲や慈愛の精神を説くためのお手本になっています。
以下、簡単に月ウサギの話をまとめてみました。
昔むかしある所に、ウサギとキツネとサルが一緒に暮らしていました。
ある日、一人の飢えた老人に出会い、3匹は憐みの心で老人に何か食べ物をあげようとします。
サルは木の実や果物を採ってきます。
キツネは魚を捕ってきます。
ウサギは何も取ってこられなかったので、「私を食べてください」と言って自ら火の中に飛び込んで焼け死んでしまいます。
実はこの老人は帝釈天(天の神様の中で一番偉い人)でした。
老人に姿を変えて、地上のものの慈愛の心を試しにきていたのです。
帝釈天はウサギを哀れみ、月の世界で甦らせます。
そしてウサギの自己犠牲と慈愛の心を地上の人々がお手本とするように、月の表面にウサギの姿を写しだしたのです。
都市部ではお寺による檀家制度も崩れて、仏教説話を聞いて育つ人も随分減ってしまったので、「月ウサギ伝説」を知らない人もたくさん増えました。
豊かに発展した社会では、電気が煌々と輝き渡っていますから、月をじっくり眺めて愛でることも少なくなってしまったのでしょう。
でも、絵本メーカーと餅&餅菓子メーカーによる宣伝効果で「月にはウサギがいて、お餅をついている」というイメージだけがインプットされ続けている人が多いのかもしれません。
十五夜の夜、良かったら月を見上げて、改めてその模様をじっと見つめてみてはいかがでしょう。あなたにも餅つきをする月ウサギの姿が見えてきますよ、たぶん・・・・。
月の世界で甦ったウサギは、満月の夜に会えるんだね!