ウソと正直
ワシントンの言い訳?
「ワシントンの桜」という逸話をご存じでしょうか?
ワシントンとはアメリカ合衆国の初代大統領、ジョージ・ワシントンのことです。
少年時代、桜の木を斧で切ってしまっことを「自分が切りました」と正直に話したところ、父親に怒られるどころか逆に褒められたそうです。
この逸話には「ウソはいけない。正直であれ」という教えが込められています。
近年になって、このエピソードは実はでっちあげられたもので、事実ではないとする説もあるそうですが、それはまた別の機会に考えることとして、今回のテーマは
「言い訳」
です。
もしワシントン少年が正直に答えず、言い訳していたとしたらどうなるでしょう。
「桜の木を切ったのはお前か?」
「僕じゃないです。マスクした怪しい男が切ったのを見ました」
これは言い訳ではなくて「ウソ」です。
言い訳とは「失敗などについて、誰もが納得できる理由を提示すること」だと定義できます。
なのでワシントン少年は、
「病気で家から出られない友達に桜を見せたかったのです」
と言えば、言い訳になります。
「ワシントンの言い訳」 なかなか良いエピソードになりました。
「言い訳」は「いいわけ」ない
でも実際には「言い訳」という言葉に良いイメージはありません。
失敗した理由を説明しようとすると「言い訳など聞きたくない」とか言われてしまいます。
偉人の名言にも「言い訳する奴はろくなものじゃない」的な意味を含んだものがあるようですし、座右の銘が「言い訳はしない」だという人もいると思います。もちろん、それは悪いことでも間違っていることでもないです。
本来なら、決して後ろめたいものではないはずなのに、ネガティヴなもの、そして自分の失敗をごまかすためのものとして認知されてしまっている「言い訳」。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?
皆さんはもし寝坊したら、まず何を考えますか?
急いで職場や学校に向かうべく、行動をおこすなかで、
「なんて言い訳しようか?」
と考えるのが、こういう非常時のごく一般的な考え方だと思います。
そしてこういうことが積み重なった結果、
- 失敗をごまかす
- 無理やり正当化しようとする
というような不名誉なレッテルを「言い訳」に貼ることになってしまったのではないでしょうか?
そうです、私たちが「目覚ましが止まっちゃって」とか「定時には家を出たんです。でも途中でトラブルに巻き込まれちゃって」
などとあまりにも頻繁にごまかそうとするので「言い訳」さんは、誰からも信じてもらえなくなってしまったのです。
だから今こそ「言い訳」さんの名誉を回復しなければなりません(笑)
言い訳はポジティブなツールであるべき
HOW TO「言い訳」
まず、ウソはいけません。ウソをつくと「ウソを取り繕うためにウソを重ねる」ことになります。寝坊を例にとると、寝過ごしていつもの時間に職場、学校に着くことができなくなってしまったのですから、
「すみません。寝過ごしました」
でいいと思います。
自分の都合で夜遅くまで起きていた結果の寝坊であるのなら「言い訳」はできません。
叱責されても、自分に非があるのだから素直に受け止めましょう。
相手に伝える必要がある「理由」があるときに「言い訳」するのです。
「昨日、お客様より急な仕様変更があったことはご存知ですね。修正ができる者が私しかおらず、残業しました。作業は間に合いましたが、終電ギリギリの帰宅となり、そのため寝坊してしまいました」
これでも「ごまかそうとしている」ととらえられてしまう可能性もあります。
でもこのような事情ならば伝えるべきだと思いませんか?
見極めが難しいところではあるけれど、理由が私用ではなく、仕事などに関わっているものや不測の事態であるのであれば、飲み込んでしまわないで伝えてみることから始めてみるのはいかがでしょう。
小さなことだけれどもこれが積み重なると、いつか「言い訳」さんも笑顔になると思うのです。
言い訳さん、同じこと言うのでも「言い方」でかなり印象が変わるよね。とんでもなく申し訳なさそうに全力でいけばきっと相手も理解してくれるはず!!!!!