1月20日頃から節分までの期間を暦の上では「大寒」と呼んでいます。
[だいかん]と言っていますが、意味はそのまま訓読みで[おおさむ]、つまり一年で一番寒さが厳しい時期に当たります。
二十四節気のひとつ前「小寒」(1月5~19日頃)と併せてこの約1ヶ月間のことを「寒の内」「寒中」と呼び、いわゆる「寒中見舞い」を出す期間となっています。
最も気温が低い時期は大寒じゃない?
大寒の期間と大寒の日
二十四節気は、太陽の位置に合わせて季節のうつろいを二文字の漢字で表わした暦の表現です。
太陽の黄経(天の太陽が通る道を360度に区切って位置を表わす座標のこと。春分の日の位置が0度)が15度移動するごとに次へ切り替わります。
期間の先頭の日、すなわちその座標を太陽が通過する瞬間が含まれる日の季節感を表わす名称がつけられています。
つまり、大寒の先頭の日が「一年で一番寒い日」ということです。
東京の気温が一番低いのは2月?
しかし、実感としては
という人もいるのではないでしょうか。
実際に、一日の平均気温を調べてみると、東京だとだいたい毎年1月26日~2月4日くらいの時季が、最も寒くなっています。
この傾向は本州ならばほとんどどこも同じです。やはり、2月の始めが一番寒い、という感覚は間違ってはいなかったようです。
本当は大寒が一番寒いんです
昔と今では寒い時季が違ってきた?
二十四節気を含む旧暦(太陽太陰暦)が日本に取り入れられたのは、遥か1500年ほど前、朝鮮半島を通じて中国文化がいろいろ伝えられてきた時代です。
その頃と今では、大寒の時期がずれていたのでしょうか?
当時は正確に測れる温度計などなかったので、記録が残っているわけでもなく、なんとも言えませんが、立春前が一番寒さ厳しかったらしいことは、文献などからわかります。
当時から、少し暦はずれていたのでしょうか?
実はずれていなかった大寒の時季
先に答えを言ってしまうと、
やはりずれていました。
が、
本当は大寒が一番寒い日に間違いはなかったのです。
と、禅問答のような回答ですみません。
実は二十四節気が生まれた発祥の地では、大寒の日前後がもっとも気温が低くなるのです。
太陽太陰暦は中国から伝わった暦です。
中国大陸の内陸部、黄河の中流の流域が発祥地と言われています。古代文明の時代から中国で使われ、発展してきた暦が、その後朝鮮半島や日本など、東アジアの周辺国にも広まったのです。
地形や海流・気流、緯度の違いにより、黄河中流域と日本では、季節の移り方に若干の違いがあり、それが、大寒の時期の微妙なずれとなっていたのでした。
日本と中国の微妙な違いを比べる
日本の季節感に合わせた改暦後も残った二十四節気
中国の太陽太陰暦は、江戸時代初期まで使われていました。
しかし、特に関東以北では季節感があわず、東北地方では主に農業の指標とするために独自の暦が使われていた、という事実もありました。
月の朔望などもずれることがあり、農業のみならず、社会のいろいろな部分に支障がでたので、江戸初期にようやく日本独自の太陽太陰暦が作られました。
日本の四季に合わせた暦(雑節など)が沢山追加されました。が、二十四節気は太陽の位置を表わす指標として精巧にできた仕組みだったので、そのまま残されました。
早かったり遅かったり、二つの国の季節
一方、二十四節気のひとつの期間を更に3つに区切って表現する「七十二候」は、日本に合わせて書き換えられました。
中国と同じ文言が時期をずらして設定されたものも、独自に新たに作られた文言もあります。
旧暦の案内などをするサイトを見ると、日本と中国の七十二候を並べて表記してあるページもよく見かけるので、比べてみると、両国の微妙な季節のずれがわかります。
大寒の七十二候を比べてみると、同じ表現が時季をずらして使われているのもが二つあります。
「鶏初乳[にわとりはじめてとやにつく]」は鶏が初めて卵を産み始める頃、という意味です。
中国では初候ですが、日本では末候です。逆に、「水沢腹堅[さわみずこおりつめる]」は日本では次候なのに中国では末候です。
中国は一番寒いのは大寒なのに、沢に氷が厚く張り詰めるのはその2週間後なんですね。自然とは面白いものです。
日本の大寒は微妙にズレてるとはいえ、大寒あたりから冬本番ってのは間違いないよね。寒いのはいやだ。。