2014年は12月22日が冬至です。
ヨーロッパを中心とする北半球の多くの国々では、夜通しかがり火を焚いて祝うなど、盛大な祭が開かれます。
緯度が高く、冬の日照時間がとても短くなる北欧などでは、最も日が短い冬至を無事乗り越え、後は春に向けて太陽の力が日に日に強くなるのを感じていく季節に入ることは、みんなが祝福することでした。
ヨーロッパより南にある日本では、現在それほど冬至への強い思い入れがあるような行事が見当たりません。
柚子湯やかぼちゃなど、それなりに縁起担ぎ行事はありますが、国中がお祝ムード、というのはクリスマスのほうがよほどそんな感じです。そんな日本でも、実は19年に一度だけ、ちょっと特別に祝福ムードが盛り上がる冬至の日がやってくることをご存知でしょうか。
19年に一度だけ、特別に祝われる冬至がくる
太陽太陰暦では重要な19年周期「章」
実は2014年は丁度その19年に一度の冬至に当たっています。
これは、かつて中国から伝わった旧暦(太陽太陰暦)においてとても重要な意味を持つ日でした。
日本では、中国文化を率先して取り入れ始めた飛鳥時代から江戸時代まで、中国に習ってこの日は時の天皇が率先して、宮中にて盛大な儀式が催されていました。
旧暦では、月と太陽の周期が丁度重なるサイクルが19年でした。
この周期を「章[しょう]」と呼び、その始まりは、この特別な冬至「朔旦冬至」の日と決められていました。
儀式は、前の章をつつがなく過ごせたことを神に感謝し、新たな章も国の安定と発展が続くことを願う祝福と祈念のためのものでした。
太陽と月が同時に新しく生まれる日
朔旦冬至の“朔”は
「朔日=新月」
のことです。
旧暦では新月は1日に当たります。
というのが旧暦のルールです。
つまり、朔旦冬至とは、旧暦の11月1日が冬至となる日のことです。
冬至を境に太陽の傾きは日に日に高くなり、一日の日照時間が長くなっていきます。
朔になった月が新たに満ちていく始まりを新月というように、太陽も冬至を境に新たに生まれ変わる、と考えられました。
朔日冬至は、月と太陽が同時に新たな命を宿してよみがえる日として、大変縁起のいい吉日とされ、章の始まりの日として選ばれたのです。
中国からきた暦は、日本で占いのベースになる
暦が“まつりごと”にとって最重要だった時代
自然の中で文明を築いていった古代人類にとって、季節の移ろいを正確に知ることはとても大事でした。
また、社会が発達してくると、世の中の人たちと共通する日付を決めることが必要になってきます。
カレンダーを作って発布することは、世を制するに等しいことですから、どんな文明でも暦の策定は権力者の専制事項・最優先事項でした。
当時東アジアで最大最先端の文明国だった中国では、皇帝は天子(天の神様の子)と呼ばれ、やはり暦の発布権を独占しました。
日本の暦も聖徳太子の頃から中国暦に
中国の皇帝は天子ですから、この世で唯一絶対の最高位の存在です。
中国発の文化や技術を輸入して後追い発展した周辺国は、中国からは臣下国と見なされ、その国の統治者は“中国皇帝の任命を受けた王”という扱いをされました。
「時[とき]」の支配権も中国となる、という意味もあり、臣下国は天子のみか発行を許される「暦」を頂戴することになりました。
こうして、日本も国として中国皇帝に正式に国書を送った飛鳥の時代から、中国の太陽太陰暦が使われるようになります。聖徳太子の送った国書は対等な関係の国交を求めたものでしたが、相手にはやはり日本も臣下だったのです。
日本の暦を作るのは朝廷の役人
太陽太陰暦が伝わった当時、日本の天文学の知識や技術では、その作り方を理解することはまだできませんでした。
中国では技術の進歩や権力者の交代に伴って次々新しい暦が作られ、日本にも取り入れられていきました。
が、894年、遣唐使廃止により中国王朝との国交が途絶えると、新たな暦が入ってこなくなり、その後800年近く最後に輸入された「宣明暦」という暦が使われます。
日本で暦を発布するのは帝[みかど]でした。
朝廷で暦を作るのは陰陽寮[おんみょうりょう]という官僚です。
暦を作る測量・計算などの技術を持たない彼らの仕事は、中国暦に日々の吉兆を書き加えたカレンダーの作成です。貴族は占いが大好きでしたから、何を決めるにも吉凶の縁起担ぎを大事にする慣習があったのです。
今も和風の日めくり暦などを見ると、「十二直」「二十八宿」などと書かれていますね。
それぞれ、縁起の良い悪い方角・時刻・行いなどが細かく示される占いで「暦注」と呼ばれます。
占いが自然現象より大事?
太陽太陰暦の誤差の調整と限界
ここで19年の周期について改めて説明します。
旧暦では月の満ち欠け(朔望)に合わせて一か月の日付が決まります。
新月から新月まで約29.5日なので、29日の月と30日の月が交互に来て12か月354日で一年になります。
本当の一年より11日くらい足りないので、3年もすると1か月以上季節がずれてしまいます。
そこで、32~33ヶ月に一度
「閏月」
を作って調節していました。
割り切れない端数の誤差の積み重ねも考慮すると、19年に7回閏月を入れると、誤差がわずかとなることが発見され、「章」のサイクルが生れました。
しかし、誤差が完全になくなるわけではないので、何百年も同じ作成法の暦を使っているとやはりずれが起きます。
また、地球の公転は完全な円ではなく楕円であるため、実際の月の朔望周期は厳密には一定ではありません。9世紀に作った宣明暦では、日食や月食などの天体現象(暦の吉凶にとっては重大なもの)の予想が外れることも多く見られました。
技術の進歩に伴い、日本でも正確な暦が作れるように
江戸時代に入り、日本にも優れた技術者が出現し、1685年、ようやく日本の緯度や季節に合わせた大和暦が作られました。
以後、技術の進歩と共に和製の暦も何度か改訂され、太陽や月の周期もより正確に計算された暦ができるようなりました。
月の周期に忠実に合わせてひと月を決めると、日食や月食や朔日はずれなくなりました。
しかし、閏月も正確な計算に基づいて入れられると、必ずしも19年に7回ではなくなりました。すると、必然的に19年に一度の朔旦冬至が完全に11月1日にならない場合が出てきました。
陰陽寮の官僚体質が暦の進歩と相反することに
江戸時代半ばにもなると、暦の吉凶を重視するのは公家だけでなく、幕府や一般庶民にもその傾向が浸透し、何か大きな決め事などに吉日を選び不吉な日を避けることは、政治を行う上でも重要な要素になっていました。
大和暦以来、暦の作成は幕府の天文方に移りますが、暦注を決めるのは引き続き陰陽寮でした。
世襲制で受け継がれる陰陽寮が吉凶の決定権を独占しているわけですから、そこに既得権益が生れないわけがありません。
それを守るために、改革に抵抗するのは、現在の官僚と全く変わりありません。
暦の作成が科学的に進歩することで、従来の暦ではなかった日の並びが発生してくることは、時に吉凶の理屈に合わない状況も生みます。陰陽寮はそこの改革に徹底して抵抗しました。
吉凶優先で不自然な細工が加えられていく暦
朔旦冬至は章の始まりという、重要な儀式の日であり、威力の強い吉日です。
朝廷の定番儀式を行わないわけにもいきませんから、陰陽寮は暦の11月1日と冬至がずれた時は、強引に暦を冬至の日に合わせるように調整するようになりました。
また、正確な月の周期に従うと閏月の入れ方や大の月の決め方も従来とは異なってきます。
が、前例のないものが出てくると不吉と嫌って、そこもまた、陰陽寮が調整して科学的分析とはずれる暦を作る工作もされました。暦の作成はどんどん複雑なものになり、もはや陰陽寮以外の人には作れないものとすることで、彼らは独占権を守ったのです。
太陽暦の時代の朔旦冬至はどうなったか
明治の改暦で、非科学的な迷信に基づくものは一掃
しかし、そんな官僚の悪あがきも、文明開化の波の前にあえなく砕け散ります。
日本が鎖国している間に、中国以外の大国では太陽暦への改暦がどんどん進んでいました。
明治維新以後、西洋の文化や技術に追い付け追い越せの気運が高まり、日本の暦もついに太陽暦(ユリウス暦)に改暦されます。
それに伴い科学的根拠のない占いを暦に入れることも、暦の吉凶に伴ってまつりごとが成されることも禁止されました。
江戸末期頃になると、あまりにも暦注を重視する人が増え、仕事をするにも、方角が悪いとなっていればわざわざ別の方角へ向かってから改めて目的地に行ったり、不吉な日だからと仕事を休んでしまったりする人もいました。
そういう東洋的な文化の多くは遅れた野蛮なものであるとして、新政府は斬り捨てていきました。
宮中でも、神事に基づく儀式以外のものはことごとく廃されました。
朔旦冬至の祝賀儀式は改暦が進んだ江戸末期にすでに廃れていましたが、改めて以後の開催を禁じられました。
現在の朔旦冬至は観光イベントのネタ?
現在は太陽暦(グレゴリオ暦)ですから、冬至が11月1日になることはありませんが、冬至に新月が重なることを「朔旦冬至」と呼んでいます。
現在旧暦に換算する場合に使う暦法は、明治の改暦の直前に使われていた天保暦です。
これは実際の月の周期に合わせてひと月を決める暦なので、確かに旧暦11月1日になります。
すでに宮中での祝賀儀式はなくなっていますが、迷信というものはなかなか消えませんし、月や太陽に神秘の力を見る占いは現在でも支持されているため、今もなお「おめでたい吉日」と見る風潮は残っています。
19年に一度という希少価値をウリにして、主に観光業などでイベントが企画されているものをよく見ました。
霊感商法的な意味合いなのか、この縁起の良い日に厄を落として浄化しようと、お寺巡りツアーみたいなものを奨励するものや、寺社自ら開運の祈祷など開催する所もあるようです。
2014年は火星が最接近したり、皆既月食があったり、旧暦8月が閏月となり中秋の名月が2回あったり・・・と、天文現象的には話題の多い年でした。
最後の盛りあがりが「朔旦冬至」となり、19年前の1995年に比べると、ニュースになる頻度が高いようです。
縁起がいいのか悪いのかは、ひとり一人の受け止め方ですが、19年に一度という希少な日ではありますから、特別なイベントの日に選ぶのも悪くないでしょう。
せっかくなので、お月見でもできればいいですが、そこが新月というのがあいにくなところです。
19年に一度の希少な朔旦冬至!まさケロンも祝うよ〜。