成人の日。
全国各地の自治体の多くは、大ホール会場などで式典を開催します。
2000年頃から、式典参加者のマナー低下の問題が顕著になるなど、イベントの様子が、新成人自らが大人になる決意を自覚する儀式とは別のものに変わってきていると言われています。
何のために開催するのか、意義や必要性に対して疑問視する声も、当事者・一般人に関わらず、毎年必ずどこかでつぶやかれる昨今です。
意義や目的が変わってきた最近の成人式
意識調査アンケートからわかる、現代の新成人
今の時代、成人式の式典参加者の多くが学生かフリーターです。
新成人や保護者を対象にしたアンケートや、広く一般のいろいろな年齢の人を対象にしたネット調査などの結果を並べてみると、全体の集計では、成人式の意義や、出席して良かったことについて、
- 「同級生と再会できる」
- 「思い出になる」
- 「着物や袴など着ることができる」
- 「家族や親戚に晴れ姿を見せることができる」
という回答が上位を占めていました。
「大人として認められたという実感や自覚が持てる」という意見もありますが、保護者世代より上の人では上位の回答である一方、新成人世代ではごく一部です。
若い世代にとって成人式は、行政が用意してくれる同窓会の集まり、または一生に一度の着飾り姿を見せ合う思い出づくりイベント、のような認識が普通のようです。
市長や来賓のあいさつを「はなむけの祝辞」と感謝する人も稀で、「式典を無駄に冗長する」「つまらない」と認識する新成人が多いことも、調査の結果として出ています。
税金の無駄と言われても、成人式を無くせない事情
式典の最中に、周囲に気兼ねなくおしゃべりやスマホいじりを続ける光景は当たり前で、野次ったり暴れたりして式典を妨害する参加者の様子がニュースになることも恒例となりました。
たむろしてしゃべりたいだけの若者のために、税金を使って場所のお膳立てなどしてあげる必要はない!といきり立つ声は毎年聞かれます。
成人式が式典だけで、アトラクションなどやらず、式典会場の外に交流スペースを設けなければ、税金も節約できるし、たむろしたいだけの人たちの参加は減って、市長が壇上から参加者を叱りつけるようなマネは減るかもしれません。
実際東京の自治体では、イベントなしで式典のみの成人式が増えています。
しかし、妨害者が出ても、参加者や参加率が減少しても、自治体がせっせとお膳立てを続ける姿勢は変わりません。
止めない理由のひとつは、イベント継続を要望する当事者(新成人と親)の声が強いためです。全国いろいろな自治体のアンケート結果を見ても、当事者の80%以上が開催を望んでいます。
親心が支える成人式
特に、子どもが参加に消極的であっても親が望んでいる場合が多いことも、調査の結果からわかりました。
晴れ着を親や祖父母が全額負担して買ってあげるのが当然だとする風潮もあります。
少子化が進み、親がひとりの子にかける手間とお金が昔よりはるかに大きくなった現代、子どもの通過儀礼に対する親の思い入れは激しく強くなっています。
晴れ着を着て成人式に臨む子どもの姿を目にすることが、親にとっても重要な通過儀礼であり、育てた自分自身への賞賛のように感じるのが、当世の親心のようです。成人式会場内に親と新成人が一緒に参列している自治体も少なくありません。
ビジネス戦略が育てた親心?
振袖が定番になったのはごく最近の傾向
「晴れ着姿」に意義を感じている新成人や保護者が多いですが、成人式に女性が振袖を着ることは、決して伝統的な習慣ではありません。
高度経済成長が始まった頃はそんな豊かな家庭ばかりではありませんでした。高卒で働く人も多かった時代、新成人は社会人も多く、親に着物を買ってもらうのではなく、逆に給料を貯金して親にお礼の品を買う人も少なくありませんでした。
自分でローンを組んで振袖を買う社会人もいました。振袖が流行り出した当初は、他に着る機会がほとんどないものに出費するよりも、未来の目的のために貯金するほうを優先し、貸衣装にしたりフォーマルな洋服を仕立てたりする人もまだまだいました。
だんだん「振袖を着ないと寂しい」という風潮が作られる
成人式の支度を親が揃えてあげるのが当り前になったのは、まだ学生で親離れできない新成人が増えていったことと、「振袖を着なくちゃいけない」風潮が1980年代頃から急激に高まったことが原因です。
振袖のための出費は、20歳前の女学生が自分の経済力でなんとかできる金額ではありません。
そして、親心が入ってくることで、「振袖を着られないのは可哀そう」とまで感じてしまう強迫観念が、あっという間に社会に広がっていきました。
商業宣伝に弱い日本社会
振袖強迫観念が根付いたことに、商業宣伝が大きく影響したことは否めません。
振袖という大きな買い物を伴う儀式は、呉服関係、美容院、写真屋さんを始めホテル・レストラン、タクシー会社などにとっても大きな商戦処となります。
個人情報保護法などなかった時代、高校の卒業者名簿情報は、着物ビジネスにたれ流されていました。女の子の家には卒業と同時に30社くらいから成人式の振袖カタログが届いたものです。
18歳の時から親共々販売促進戦略に取り込む体制が何重にも出来上がっていました。
「みんなと同じ」が好きな日本文化をうまく利用し、「一生に一度の特別で大切なイベント」という価値観の植え付けにいとまがない宣伝に、みんながマインドコントロールされていきました。
現実的な今の時代の若者の選択
大人になるということは、親の気持ちを気遣うこと
失われた20年の間に子ども時代を過ごした今の新成人世代は、かなり現実的思考の人が多いそうで、成人式に大金をかけるよりも未来のために貯金する、または自己研鑚のために使うほうがいいと思う人が増えている、という調査結果もあります。
しかし、彼らの親世代はバブル期に豪華な成人式を親にしてもらった人たちですから、自分の子どもの晴れ姿への思い入れが強い人が少なくありません。
ゆとり教育を経験した子どもたちは心優しく、親の期待に応えようとする気持ちも強いので、結局親を優先してしまいがちです。
せっかく晴れ着を作るのですから、見せる場がないと意味がないです。かくして、荒れた成人式の報道が流れ、成人式不要論を唱える声がネットに飛びかいながらも、ニーズに応えて粛々と自治体がお膳立てに税金を使う状況は変わらないのです。
ところで、大人になるということは、自分の気持ちを押し通すだけでなく、周りの人の気持ちにも配慮することができるようになる、ということでもあります。
成人式なんてもったいない、面倒くさい、やりたくない、と思う所があったとしても、育ててくれた親の気持ちを思って、晴れ姿を見せて儀式に臨むことを選ぶのは、考えようによっては、成人式の本来の意義的には、とっても正しいあり方なのかもしれません。
式典でのマナーがどんなに悪くても、わが子の晴れ姿を立派だと感じてしまう親のほうを心配した方が良さそうです。
これから先、彼らが子どもたちの人生にとって、大人を通りこして「老害」とならないことを祈ります。
成人式は本人のためのものじゃなくて、親のためのものなのかもしれないね。まさケロンも年齢を重ねるごとに、親には感謝してるな。