東京近辺では、1月7日までが「松の内」といって玄関前の松飾りを飾る期間ですが、関西など他の地方へ行くと、15日までが松の内、という習慣のところもあります。
昔は、元旦または7日までを「大正月」と呼ぶのに対し、15日まで(一部地域では月末まで)の期間を「小正月[こしょうがつ]」と呼んでいました。
15日には毎年決まった行事を行う風習が残る地方も多く、15日だけを指して「小正月」「二番正月」と呼ぶ場合もあります。
成人式も、江戸時代まで武士の元服式(男の子が一人前の侍と認められる儀式)が小正月に行われる慣わしだったため、1月15日に制定されましたが、ハッピーマンデー政策により、第二月曜に移動しました。
今も小正月の行事を行っている神社などでは、観光客のため、成人式の移動に合わせ、小正月イベントも祝日に揃えたところもあります。
なぜ大と小、2回も正月を祝う風習だったのか?
大正月は神様の日、小正月は人間の日?
昔の日本では、人間はお正月が来るとひとつ歳を取りました。
これは、毎年正月には「歳神様」という神様が各家庭にやって来て、新しい年の新しい命(御魂[みたま])を授けて下さる、と考えられていたからです。
神様が迷わないように、それぞれの家が玄関に松飾りを出して目印を掲げ、鏡餅をお供えしてお迎えしました。大正月の主役は歳神様なのです。
これに対し、他の神様に
と祈念する類の行事が行われるのが小正月です。
農業国だった日本では、農業の神様に豊作を祈願する行事を畑や田んぼで行うものが多いです。
また、お正月の間お休み中だった竈[かまど]の神様に復帰していただき、家族の健康を願って小豆粥を作るなどの慣わしがあります。
小正月は、家庭的というか、より生活に根差した部分に焦点を当てた、人間が主役の新春のけじめ行事、といった印象です。
小正月は女正月
大正月の間は「竈は休ませる」(竈の神様にお休みいただく)のが建前です。
だから、調理をしなくていいよう、年内にお節料理を作っておくのです。
とはいえ、実際は御雑煮を作りますし、親戚などのお客様がいらっしゃれば、お湯を沸かしたりお酒をつけたり、なんだかんだと台所仕事は発生しています。
小正月は、みんながお休みする期間にも忙しく働きまわる家庭の主婦たちをねぎらう、という日でもあります。
そのため、小正月は「女正月」とも呼ばれます。15日前後は主婦が自分の実家に里帰りすることを許される期間にもなっていました。
小正月に行われる行事
どんど焼き
小正月にはかがり火を焚いて火祭行事を行う風習の地域がたくさんあります。
代表的なのが、全国各地、多くの地域で行われている「どんど焼き」です。
大正月に神様をお迎えするために飾り付けた、松飾りやしめ縄、地方によっては書初めや前の年にいただいた神社のお札なども一緒に、田んぼや畑の一角で燃やします。
木の枝に団子や餅を指して、どんど焼きの火で焼いて食べると、その一年は健康に過ごすことができると言われています。
鬼追い
もとは、中国で大晦日に行われる風習のものが日本に伝わり、こちらでは年明けの小正月期間に行われる行事になりました。
鬼に扮した人に棒で叩かれたり、逆に叩いたり追い払ったり、鬼の身体に付いている紙の飾りやお札などをはがし取るために村人が鬼を追いかけたり・・・などいろいろな形があります。
この鬼は善い鬼で、災いを払ってくれる厄除け行事とされています。地域により「鬼踊り」「鬼こそ」など、呼び名もいろいろです。
餅花
大正月には松飾りですが、小正月には「餅花[もちばな]」と呼ばれる飾りものをしました。
餅や団子を柳のような細長くて何本も垂れ下がるような枝に、少し間隔を開けながらいくつも刺した飾りです。
地域によっては、米粉で作った蚕の繭玉(まゆだま)を刺しました。餅や繭に色をつけて、枝先に連ねた様子が花の飾りのようにも見えるので、「餅花」「繭花」です。
たくさんの餅花が飾られる小正月はまた「花正月」と呼ばれることもありました。
家庭でも小正月のイベントを意識することが一般的だった時代は、14日に松飾りを片づけて、餅花や繭玉を飾ったようです。
現在では、松飾りや鏡餅と共に、細い枝に紅白の玉が連なったものがあしらわれた正月飾りも飾られるようになりました。
小正月イベントの終わりが、お正月機関の終了と言われます。まだなんとなくお正月ボケが後を引いて、なかなか仕事のエンジンがかかっていない人も、15日を過ぎる頃には、本気でシャキーンとしてくださいませ。
まさケロンもどんど焼きの火にお餅をさして一年を健康に過ごすよ~。