記憶を「外部装置」に保存するのは危険?
電話番号を覚えていますか?
質問です。あなたの携帯電話の番号を教えてください。
いま、ほとんどの人が携帯電話やスマートフォンを操作したのではないでしょうか?
筆者もそうです。スマホを確認しなければ、自分の番号が分かりません。
少し前、そう、まだ携帯電話が存在していなかったころは、何も確認せずに自宅の電話番号を相手に伝えることができていたのです。
さすがにいまでも住所は覚えていますが、郵便番号はちょっと怪しい。ときどき忘れることがあり、スマートフォンを取り出して、検索して確認したりすることがあります。
このような状態を
「デジタル健忘症」
と呼ぶそうです。
これが続けば、やがて人は「記憶喪失」になると警鐘を鳴らす専門家も多いとか。
デジタル健忘症は、じつはポジティヴな現象かもしれない
インターネットが普及した現在、人間はあまり記憶しなくても良い環境のなかで生活しています。
なぜでしょうか?
いうまでもありません、覚えなくても、調べれば答えが見つかるからです。
自宅や職場ではパソコンで検索できます。さらにスマートフォンがあれば、どこにいようとネットに接続し、答えを得ることができるのです。
人間の記憶というものは、必要でない情報については忘れるような仕組みになっています。
携帯電話の番号などは、覚えていなくても、例えば赤外線通信機能を使えば、相手に伝えることができますよね。
家族の誕生日などの「記念日」もカレンダーアプリによっては通知してくれたりします。
「デジタル健忘症」という呼称は、多分にネガティヴな響きがありますが、スマートフォンによっていつでもネットにアクセスできる環境を手に入れた現代人にとって、
自分の脳に記憶すべき情報と、外部に保存しておいて必要に応じて取り出せるようにする情報とを区別できるようになった、
と筆者は考えます。
何を脳に記憶するかを考えるのは楽しい
可能性が広がる
筆者は「デジタル健忘症」という現象について、憂慮していません。
このままでは記憶喪失につながるという考えは否定しませんが、筆者にとってこの現象は「人間の可能性が広がる」ことにつながっているのではないかと思うのです。
Facebookの創設者でありCEOとして知られるマーク・ザッカーバーグ氏はいつも同じ服を着ていることで知られています。
彼がどんなときでもグレーのTシャツを愛用している理由を、皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
これと同じことだと思うのです。
自分の脳を電話番号やら、記念日といった情報を記憶するために使うのではなく、もっと有益なことに使用してみよう、と考えてみるのはどうでしょう?
もちろん、大切な情報というものは、人それぞれで異なります。
電話番号が大切な情報だと考える人もいます。電話番号ではなく、大好きなアーティストの曲の歌詞こそ、自分にとって重要な情報である、と考える人がいてもおかしくはありません。
記憶(情報)の取捨選択、とでも表現すればいいのでしょうか、筆者にはとても魅力的なことに思えるのです。
脳を本棚だとイメージしてみてください。本が情報だとしたら、整理することでスペースが増えます。増えたスペースに自分のお気に入りの本を好きなだけ置くことができるのです。
それは漫画でもいいし、好きなアイドルの写真集だって構わない、楽譜でもいいし、電話帳なんか意外に便利かもしれない。
好きなものが手に届くところに保管されていれば、それだけでモチベーションが上がる気がしませんか?
今まで「必要」だと思ってた記憶は実は「無駄」なものだったりしてね。「デジタル健忘症」は人の生き方の変化を表していて、これこそ人の「進化」なのかもしれない。