漫画とか、映画とか、ドラマストーリーを展開する仕掛けとして「記憶喪失」という事象は、昔からよく使い古されている手です。
ミステリーものだと、事件の真相の失われた記憶を取り戻す・戻さないの攻防が描かれ、恋愛ものだと、記憶を失っていた間に愛し合った人と築いた暮らしのことを記憶が戻ったと同時に忘れてしまう、という流れは定石です。
が、しかし、実生活の中で記憶喪失の人って会ったことありますか?
または、「知り合いが記憶喪失でさあ・・・」なんて話を聞いたことは?
私の周りでは、ドラマに出て来るような典型的な記憶喪失って人の話は全然聞きません。
もしかして、あれって、顔のマスクをベリベリベリって剥がすと全くの他人の変装だったって展開のように、フィクションでしかありえない常識なのでしょうか?
そもそも記憶喪失ってどういうもの?
覚えていたはずのことを忘れちゃったら記憶喪失?
正解をいうと、そういう人は実際にいます。病気としても医学的に認知されています。
ただし、「記憶喪失」という病名は正式にはありません。記憶障害の中のいろいろな症状の中の「健忘」の状態の一種のことを俗にそう呼んでいます。
- 見たもの
- 聞いたもの
- 経験したこと
の全ての情報を、人間の脳は蓄積しているそうです。が、全てを思いのままに取り出すことは不可能です。思い出せる記憶は限られます。
また、前はよく覚えていたのに、長く思い出さないうちに忘れてしまうこともあります。
「一年前の晩御飯は何食べた?」なんて聞かれても普通は思い出せません。
しつこく暗記したはずの受験勉強知識も合格したら忘れてしまったりします。
が、これらは記憶障害とはいいません。
普通に生きている中で、人はいろんなことを新しく覚えたり忘れたりして生きています。たいして関心もなかったことを覚えていられないことは普通です。時と共に前のことを忘れていくことも・・・。
全生活史健忘
しかし、中には病的にものごとを覚えられない、思い出せない人もいます。それが記憶障害です。
ある程度のまとまった過去の期間のことが思い出せなくなっている記憶障害のことを「健忘」といいます。
いわゆる「ここはどこ?私は誰?」状態で、自分のことや家族のこともすっかり忘れているのに、言葉はしゃべれて日常生活も普通にできる症状を
「全生活史健忘(全般健忘)」
といいます。これが俗にいう「記憶喪失」です。
原因は、脳の障害であることが多く、統合失調症やうつ病などの心因性の精神障害に伴って起きるケースもたまにあります。
認知症で過去のことをどんどん忘れてしまう健忘症状は、一般的には記憶喪失とはいいません。認知症は脳の組織がどんどん破壊されていくため、次々忘れていく一方ですが、記憶喪失は、喪失した時点以降の記憶は普通に残っていきます。
記憶喪失者はどうやって暮らしているのか?
実際の記憶喪失事例
記憶喪失の実例は、案外たくさんあるようです。
最近、認知症高齢者が徘徊して行方不明になったり、保護されたりする話題をよく見聞きします。高齢化社会が進む昨今、厚生労働省や各都道府県では、公式ウェブサイトに
「身元不明者探し」
に関するページを設ける所が多くなりました。
多くのページで
「この人探して下さい!」
及び、
「こんな身元不明者いました」
の情報が掲載されています。
その「身元不明者一覧」の中に、認知症ではなく“記憶喪失”と見られる人が、時々混ざって載せられています。
記憶喪失、記憶障害って思う以上に壮絶かも
身元不明者で記憶喪失、という状況は、特殊な場合です。事故や病気で脳に障害を負って記憶喪失になった場合、周囲の家族や友人は本人のことを覚えていますから、少なくとも身元不明者にはなりません。
実際の記憶喪失症例数は、身元不明者リストより相当たくさんいるものと思われます。
記憶喪失全体で、どれくらいの発祥数があるのか検索してみましたが、全生活史健忘の患者に絞った数値をまとめたものは見つかりませんでした。
彼らはその後どう生活しているのか、などの具体例についても、病気の症例などにはほとんど書かれていません。取りあえず、家族が身の回りの世話を焼いたとしても、仕事はどうなったのでしょう。
また、脳の損傷による記憶障害の中には、過去を忘れるのではなく、自己認識ができても新しい記憶ができなくなってしまう症状もあります。
自分のことはわかっていて、普通に生活しながら、事故後、数か月~数年単位で記憶が飛ぶことをくり返す人もいます。気付くと昨日とは別の場所で、別のことをしていて、時間をみたら一年たっていた、という症状です。
また、全生活史どころか、言葉や日常生活の社会常識まで忘れて、赤ん坊のように最初から全部教わらないといけないほどの記憶喪失例もあります。
実際の記憶障害とは、ドラマのように美しくはなく、社会生活に相当な困難をきたす場合が非常に多いようです。
身元不明な記憶喪失者たち
身元不明者については、仮の名前と住民票をもらい、生活保護を受けながら施設や病院で保護され続ける人が多いようです。
警察に保護を自ら求めるような記憶喪失者は、身体は健全な場合が少なくありませんから、戻らぬ記憶について治療を受けるばかりの病院生活の中で、生きる気力を保つことは辛いものであると、容易に想像できます。
日本は、身元不明者が普通に住まいを借りたり、仕事についたりすることは基本できない社会です。1988年、記憶喪失の身元不明者が自立して生活するため、新たに戸籍登録を申し立て、初めて認められました。
しかし、戸籍があっても、身元不明・学歴不明・保証人なしの人が、自立して自分の生活を築いていくには、この社会には厳しすぎることがたくさんあります。
未成年と推定されれば、それなりに保護・育成する法律なり手立てもありますが、成人の場合、特に保護するための法律や制度は整えられていないのが現状です。
記憶を失っても希望を失わない社会に
記憶喪失の人たちの実際の生活は、もしかしたらある意味ドラマ以上にドラマチックです。彼らに対する支援は、この国は必ずしも進んでいるとはいい難いです。
ドラマのように、記憶を失ったまま、新たな名前で新たな人生を生き、恋愛して家庭を築くことは、実際には難しそうです。
本当に記憶喪失になった人に会ったことがなく、話も聞かないのは、そういう人が稀有だからではなく、そういう人たちが私たちのいる社会から排除されているせいで、見えなくなっている、というのが実態のようです。
忘れている人は、忘れられていく人になっています。
世の中いろんな病気や障害があり、それぞれに困難や課題を抱えています。公的支援がない人たちもたくさんいるでしょう。
記憶障害者だけが特別ではないと思いますが、せめて、健全で意欲もある記憶喪失者たちが、例え記憶が戻らなくても、希望をもって生きていける社会になってほしいものです。
そのために、まず、彼らのその後に、社会はもう少し関心を持つべきかもしれません。
あんまりつらいことがあると「記憶喪失になりたい」って言う人いるよね。まさケロンも思ったことある。でもそんな人には一度忘れた後に希望をもつことの難しさを考えてみてほしいんだ。