『四谷怪談』といえば、顔が醜くただれた「お岩さん」の幽霊が、自分を殺した夫「伊右衛門」を祟り殺す話、というイメージの人が多いのでしょうか。
舞台や映画などで四谷怪談を発表する場合、
“四谷にある『お岩稲荷』に関係者一同でお参りしないと祟りがある!”
という話が有名なので、怪談は“実話”だと思っている人がたくさんいます。
が、実は、あれは『鶴屋南北』という人が作った歌舞伎狂言の物語です。田宮家のお岩さんは実在した人で、お岩稲荷もお岩さんのお墓もあるのですが、本物のお岩さんの人生はどうやら別の真相があるようです。
東海道四谷怪談
四谷怪談は忠臣蔵のスビンオフ?
鶴屋南北の話は、実在の話ではないことを強調して『東海道四谷怪談』というタイトルになっています。
お岩さんが亡くなったのは1636年ですが、歌舞伎の初上映は約200年後の1825年です。当時の歌舞伎は、歴史的な事件を扱った話と、世俗的なテーマの話をセットで上演する興業が一般的でした。ふたつの話は微妙に登場人物や世界観がだぶった、今でいうスピンオフのような物語にするのが常でした。
東海道四谷怪談は、かの有名な『仮名手本忠臣蔵』とセットで上映されました。忠臣蔵と被る設定が随所にあります。忠臣蔵が忠義を称える話になっているのに対し、四谷怪談は忠義のために家族を犠牲にする武士の生き方や、浪人が生活に疲弊する世の中を放置している幕府を揶揄しているようにも取れます。南北の鋭い社会風刺精神が伺えます。
東海道四谷怪談の簡単なあらすじ
歌舞伎狂言の脚本なので、話を面白くスリリングにするために、登場人物がたくさん出てきて、互いに複雑に絡まりあう長い話となっています。恨みつらみの祟り話に絡めて、運命のいたずらのような悲劇がたくさん描かれています。以下がそのあらすじです。
高師直のせいで取り潰しになった塩冶家の元家臣「四谷左門」は、乞食となっても忠義を貫いて他家に仕官せず、美人の娘ふたり「岩」と「袖」は家計の足しに水商売をしています。
同じ元塩冶家浪人「民谷伊右衛門」は岩に求婚しますが、伊右衛門が実は悪党だと知っていた父親に反対されます。伊右衛門は左門を暗殺し、お岩と夫婦になります。しかし、その後伊右衛門は、金の誘惑に負け、敵の高家の家臣伊藤家の婿養子に入るため、お岩さんを惨殺します。お袖も悪い男のせいで非業の死を遂げます。
以後、お岩お袖の姉妹を不幸に陥れた関係者が次々死にます。伊右衛門は、お岩さんの幽霊に惑わされて狂乱し、袖の許婚(いいなづけ)与茂七の仇討ちに合い絶命します。
元となった話
当時、四谷にお岩稲荷はすでにあり、参拝者が絶えませんでした。この神社建立のいわれとして、良い話と悪い話が残っていました。
良い話
良いほうは、伊右衛門とお岩は仲むつまじい夫婦でしたが、落ちぶれて貧しく、お岩さんの献身的な働きでお家を復興させた、という話です。
「お岩さんが屋敷内にあった社を信仰していたおかげ」
という噂が立ち、あやかろうとお参りする人が増えお岩稲荷になりました。
悪い話
悪いほうは、田宮又左右衛門の娘お岩は浪人の伊右衛門を婿にとります。が、やがて伊右衛門が心変わりして一方的に離縁します。お岩さんは狂乱して行方不明になり、その後田宮家で異変が続いたため、お岩稲荷を建てて怨念を諫めたというものです。
鶴屋南北は、悪い話と、当時実際にあった
“不義密通の男女の遺体が戸板に括り付けられて川に流された”
という事件の話をミックスして、歌舞伎の脚本を創作したとされています。
真相はいかに?
本当のところはわからない
現在四谷の左門町に残る『於岩稲荷田宮神社』には、当然良い話が伝わっており、今も
- 夫婦円満
- 家内安全
- 無病息災
- 商売繁盛
- 災難除け
などの祈願にくる人が絶えません。
評判がよくて人気者は、妬みから悪い噂を流されることは世の常であり、悪い話はやっかみから生まれたデマ、と考える歴史家もいます。
一方、家庭内で何らかの女性失踪があり、悪い噂が立つのを恐れた田宮家が良い話をねつ造して広めた、と予想する人もいます。
祟りはなぜ起きるのか?
現在も続く「祟り現象」が起きているのはどう考えればいいのでしょうか?
お岩さんが実在の人だったことは確かなので、
「良い話」が真実ならば、真実とは違う醜いお岩さんの話を作られることに腹を立てて祟る
「悪い話」が真実ならば、自分の悲劇を晒されることについての怒りから祟る
どちらもあり得るのかもしれません。
が、仕掛け舞台や特撮映像の撮影現場は、もともと事故が起きやすいので、
- 単なる偶然を寄せ集め、「祟り」として話題を強調しただけ
- お参りしない人の顔が腫れたりするのは、暗示効果によるもの
との解説も否定できない部分があります。
ところで、於岩稲荷田宮神社の向かいには、もうひとつのお岩稲荷「陽運寺」があります。
実はこれは、田宮神社の人気にあやかり、観光スポットに加わろうと、昭和27年に作られたものです。境内には「お岩さんが産湯をとった井戸」なんてものまで作りました。
もし、お岩さんの祟りが本当ならば、
「こんな便乗ナンチャッテが祟られずに済むわけないのでは?」
と、突っ込みたくなりますが、今のところ、この神社周辺の祟り話はないようです。
お岩さん、本当はどんな人だったのでしょうか・・・。
デマほど広まっていくような気もするんだよね~。だからお岩さんって実はすっごく人気者で輝いてたんじゃないかな。