酉の市

四の酉もやってます!あなたの知らない酉の市の真実

Written by すずき大和

お酉様(おとりさま)は、関東の晩秋のお祭です。

神社やお寺で開催されますが、ご本尊に関するお祭ではなく、

「縁起熊手」「開運熊手」

などと呼ばれる縁起物のお飾りを売る「市(いち)」のイベントです。

  • “各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)で、毎年11月の酉の日に開催される祭”
  • “最初の酉の日が一の酉、次は二の酉。年によっては三の酉まである”
  • “最も盛大なのは、酉の市発祥起源の浅草「鷲神社」”

などと説明されることが多いのですが、実はこれ、

東京で開催している「酉の市(とりのいち)」

に限った解説です。熊手の市の祭には、意外な例外がたくさんあります。



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お酉様の起源発祥の神社は3つある

鷲神社の本社は四の酉!?

東京は、お酉様の開催寺社が、確かに飛びぬけて多い地域です。

が、名前に「鷲」や「鳥」の字かついている神社の関東の本社は、埼玉県久喜市の

「鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)」

です。ここでももちろんお酉様やっています。

本社のお酉様は、12月の最初の酉の日に行われます。11月最初の酉の日を“一の酉”として、本社は“三の酉”ないし“四の酉”に行われているのです。

大酉祭の起源発祥は埼玉県

鷲宮神社は、酉の日の祭の発祥地でもあります。

神話によれば、

“「日本武尊(ヤマトタケルのみこと)」が東征に赴く前に戦勝祈願した神社”

と伝えられています。

平安時代にはすでに12月の最初の酉の日に、翌年の開運招福を願う

「大酉祭(おおとりさい)」

が行われていました。日本武尊の命日が11月の酉の日であったことにちなんでいます。

埼玉県では、以後、鷲宮神社に準じて、12月の寺社の祭が広まりました。

縁起熊手の市の発祥は足立区

日本武尊の神話では、東征の帰りに戦勝報告した神社は、花又村(足立区花畑)の

「大鷲神社(おおとりじんじゃ)」

となっています。

土着の神様を祀っていた大鷲神社は、平安時代に改めて日本武尊をご本尊にしました。

やがて、11月の酉の日に、遠くから武士たちが武勇にあやかろうと、参拝するようになります。室町時代には、近隣の農民が市を立て、

「酉の祭(とりのまち)」

と呼ぶ収穫祭を始めました。

市では初め農具や作物が売られていました。江戸時代になると、「熊手はお金や福を掻っ込む」といわれ、おめでたい飾りをつけた縁起熊手を、開運・招福の縁起物として売るようになります。これが熊手の市の起源です。

酉の市という呼び名は浅草発祥

江戸時代は神仏習合といって、お寺と神社が一緒になっていました。大鷲神社の酉の祭が盛況だったので、ご本尊として鷲に乗った仏様(鷲大明神)を祀っていたお寺、

でも熊手の市を始めました。

長國寺の境内には、大鷲神社と同じ日本武尊と、鷲が付く神様「天日鷲命(アメノヒワシのみこと)」を祀る「鷲神社」が建立されました。

長國寺の隣には吉原の遊郭があったため、江戸から離れた大鷲神社のお酉様よりも、盛大になっていきました。明治に入ると、東京近郊でお酉様を始める神社仏閣がたくさん表れ、現在のように広まりました。

浅草鷲神社が、現在、

“酉の市の起源発祥の神社”

といわれるのは、長國寺の熊手市で初めて「酉の市」の名称が付いたことに由来します。

間違ってはいませんが、紛らわしいかも・・・。

お酉様じゃない熊手市

12月に1日だけ行われる熊手市

縁起熊手の市が関東に広がり、埼玉でも多くの寺社で熊手の市を立てるようになりました。鷲宮神社の大酉祭などすでに12月に祭を開催している所はそこに重ねて、改めて始めた所もほとんどが12月に1日だけ行う形になっています。

多くが日付指定の祭です。酉の日にこだわっているのは鷲宮神社くらいです。酉の日に関係ない市は、「おかめ市」「大蔵の市」「熊手市」などと呼ばれています。

12月10日に行われる「大宮氷川神社」の市は

「十日市(とおかまち)」

と呼ばれます。これは「大湯祭(だいとうさい)」という、12日間の祭の中の1日にあたり、熊手の店と他の露店を合わせると、1,000を超す屋台が並ぶ盛大なものです。

12月12日に市が立つ浦和の「調神社(つきじんじゃ)」では

「十二日市(じゅうにんちまち)」

です。こちらは1,300以上の屋台が出ます。

日本一といわれる浅草鷲神社の酉の市が、900屋台ですから、出店規模だけ見ると、埼玉県の方が大きな祭です。

必ずある四の酉の酉の市

あえて毎年必ず四の酉

東京板橋の「西台大鷲神社」の酉の市は、130年続いていますが、ずっとあえて四の酉に行っています。

11月が二の酉までなら、12月の二回目の酉の日、

三の酉まである年は、12月最初の酉の日です。

本当に4回目の四の酉

最後に、もうひとつ。江戸時代には、本当に四の酉、五の酉まである年がありました。

当時のカレンダー(旧歴)には、約3年に1度、“閏月”がありました。閏月は、同じ月が2回続きます。どの月が閏月になるかは、暦の計算で決まりますが、江戸時代だけでも、7回、閏11月がありました。

11月と閏11月は58~60日間なので、この年は11月の酉の日が5回あったのです。

残念ながら、口伝以外に記録が確認されていないそうですが、お月見も2回やりますから、おめでたいお祭なら、閏月も繰り返し行ったことは十分ありえますね。

まさケロンのひとこと

四の酉は知らなかった!こんなにおめでたいお祭りなんだからもっと認知度上げていきたいよね~。

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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。