節約術・お金を増やす

本当にお金持ちになれるのか?「長財布」をオススメする理由とは?

Written by 言祝(kotoho)

お金がいっぱい欲しい

世の中はやっぱり「お金」?

いきなりですが、みなさんお金が欲しいですか? 

お金持ちになりたくないですか、と聞かれたら、なんて答えますか? 

反応は様々だろうけれども、

「お金なんて欲しくありません。金持ちになりたいとは思いません」

と、きっぱりと答える人は多くないと思います。

贅沢な暮らしはできなくてもいいから、せめてお金に困らない一生を送りたい、なんて考えている人は多いはずです。

上を見ればきりがないけれども、やっぱり「お金」は欲しい。お金で買うことができないものは確かに存在するけれども、お金で買うことができるものの方がはるかに多いのが現実だったりするわけです。

お金が欲しい、なんて口にすると「がめつい」だとか「欲深い」なんて陰口をたたかれそうですが、そもそもお金を稼ぐために、社会人は働いているわけです。だから、

「お金が欲しい」

というのは目標ともいえるわけで、けっして悪いことではない、と筆者は思います。(お金に執着しすぎるのは、考えものですが…)



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金持ちは「長財布」を使う?

さて、お金の増やし方には様々な方法があります。投資だったり風水だったり、様々な「お金と仲良くするための方法」が紹介されていますが、そのなかでも、

「財布は長財布を使うべし」

という方法は比較的有名です。

長財布とは紙幣を折らずに入れることができる財布のこと。対して紙幣を折ってコンパクトに携帯できる財布として二つ折り財布と呼ばれるものもあります。

よくテレビのバラエティ番組などで芸能人の財布の中身を公開するような演出があったりしますが、このとき見かけるのがほぼ100パーセント、長財布です。また、これは筆者の勝手なイメージですが「羽振りが良い人」はだいたい長財布を愛用しているように思えます。

長財布は二つ折りと比較してだいたい高価です。革職人がひとつ一つ手作りした高級な財布も大体において長財布である場合が多いように見受けられます。

ちなみに筆者が愛用している財布も長財布です。結構長く使っているので大分くたびれてきています。買い替えたいとも考えているのですが、

「おっ、この財布良いな」

と思うものはたいてい高額で、そのためもし買ってしまったら、中に入れるものがなくなってしまうのでいまだに買い替えることができません。

ホントに金持ちになることができるのか?

長財布が望ましい本当の理由

筆者も愛用している長財布ですが、では本当に効果はあるのでしょうか?

もう5年以上使用していますが、残念ながらお金が足りない生活を続けています。では、この話は根拠のない風評にすぎないということなのでしょうか?

長財布はお金と仲良くするためのヒントを与えてくれます。それに気がつけば、お金持ちになれる可能性はかなり高いです。

もちろん、長財布を使いだしたとたんに、お金がどんどん舞い込んでくる、なんていうことはありません。

財布はお金の

「いれもの」

です。お金を大切に思えばこそ、折り曲げる必要の無い長財布を選ぶ、いわばお金に対する思いやりの表れだといえると思うのです。居心地の良い場所から出ていったお金が、居心地の良い場所に戻ってくる。

お金持ちという言葉は適切ではない気がするので「お金の恩恵を受けている人たち」と言い換えることにしますが、彼ら、彼女らは一様にお金を大切にします。お金に対する感謝の気持ちを忘れません。

人間だって礼節を尽くされれば悪い気はしませんよね。お金も同じで、大切にされたから

「また戻ってこよう」

ということなのではないでしょうか。だから自然とお金が集まってくる。長財布を使え、という教訓にはこういう意味があるのかもしれません。

お金に好かれる人になろう

長財布を買ってくればお金を大切にする習慣がすぐ身につくわけではなく、日ごろから意識することが大切です。

例えば、何か買ったときに、

「これでまたお金が減るなあ」

と考えると良くないそうです。

「いい買い物をした」

「大切に使おう」

など、ポジティブに考えると、お金の恩恵が受けやすくなるという話を聞いたことがあります。

いかがでしょう。「お金に対する片思い」から「両思い」に発展させたいと思いませんか?

まさケロンのひとこと

くしゃっくしゃのお札とかたまにみるけど、なんかいい気しないもんね。出会うお札みんなを綺麗に扱ってみたら変わるかもよ。

masakeron-love


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筆者情報

言祝(kotoho)

映画オタク。日課は読書。最近は料理にハマっています。座右の銘は「好奇心を失ったら、そこで終わり」