さりげなく「名前」は頑張る
名前がなくなる日?
名前は、とても重要なものだと思います。もし世界から名前がなくなってしまったら、どうなるか?
朝起きたら、雨が降っているとします。
「今日は、空から水が降ってきている」
ということになるでしょうか?
でも「空」も名前ですから、
「上のほうから水が降っている」
よく考えたら「水」も名前ですね。
名前がなくなったら、とても不便です。たぶん、会話とか言葉とかいったものが急速に衰退していくかもしれません。
こんなに重要な役割なのに「名前」は控えめで、「去る者は追わず来る者は拒まず」みたいな性分です。
ほぼ毎日、顔を合わせている会社の同僚の名前が、いざというときに思い出せなかったりします。もちろん「上の名前」は忘れません。い
つも「上の名前」で呼んでいるからです。
ところが何かの拍子に同僚の「下の名前」を確認しなければならなくなったとき、全く思い出せない。どうしても思い出せない。
「去る者は追わず来る者は拒まず」だと思いませんか?
そんな不思議な存在に、敬意を払う意味で「名前」について考えてみたいと思います。
あだ名をあなどるなかれ
日本で、すべての国民に氏名をつけることが法で定められたのが、明治維新後といわれています。それまでは貴族など身分の高い人たちは別として、一般人は下の名前だけだったようです。
これについては諸説ありまして、維新前も一般人は名字をもっていたけれど、使う機会が全くないため、事実上名前だけだったとする研究者もいるようです。
現在、日本の名前は
「名字+名前」
という形式と決められています。
外国のようにミドルネームは一部例外を除いて認められていません。
最近は「キラキラネーム」といって、かなり個性的な名前をつける親もいるようです。
いけないことではありませんが、あまり度が過ぎたりすると、受け付けてもらえないこともあるようです。
あだ名や愛称というものも「名前」の一種ですね。早ければ、乳児ぐらいで家族から「○○ちゃん」といった愛称でよばれて、学校へ通うようになったら、あだ名をつけられて、名前で呼ばれることがほとんどなくなったりします。
奥が深い「名前」の世界
本名で呼ばないで
諱ということばを知っていますか?
「イミナ」と読みます。
「忌み名」とも書きます。ちょっと怖いイメージを伴いますね。
諱は意味としては「本名」ということになります。そして古代の風習と深いかかわりがあります。
かつての中国など漢字文化の国では、相手に対して本名で呼びかけるのは、大変失礼な行為だったそうです。
本名で呼びかけてよいのは親や国王などの限られた人のみ。同僚や年下の人間がそんなことをするのは厳禁。本当の名前を口にすると、その人を霊的にコントロールできてしまうから、と信じられていたのがその理由なのだとか。
そのため「字(アザナ)」という正式なあだ名のようなものを決めて、それを使っていたそうです。
いまでも上司のことを名前ではなく役職で呼んだりすることがあるのは、その名残りなのかもしれませんね。
改名ってできるの?
もし自分の名前を変えたいと思ったときは、必要な書類を準備して管轄の家庭裁判所に申し立てを行います。正当な理由があって、裁判所が「変更してよろしい」と認めてくれたら、名前を変更できます。
「もっとかっこいい名前にしたい」
などという理由では認めてもらえません。「正当な理由」についてははっきりとした定義や線引きはなされていないようですが、何十年も前に名前のせいでいじめにあっていた子供の改名が認められたケースがあります。
以上、名前について見てきました。
人は自分の名前に関しては、自分で決めることができません。与えられた名前を掲げて人生を送っていくしかないのだけれど、だからこそ、どんな時も堂々と名前が名乗れるように意識したいですよね。
まさケロンって名前なんだよな、ってたまーーーに思うことがあるんだけど、でもけっこう気に入ってたりもする。