こどもの日といえば、30代以上の人の中には、
こいのぼり
や
背比べ
などのお馴染みの童謡を思い出す人も多いでしょう。
長く音楽の教科書にも載せられてきた唱歌だったので、異なる世代の人たちとも、歌を通して思い出のイメージを共有できました。
平成の初め頃、そういう昔からの唱歌が相次いで音楽の教科書から消えていきました。
の歌は、今も幼稚園や保育園では歌われている所が多く、幼児向け教育番組などでも紹介されています。
が、
の歌いだしの背比べの方は、最近あまりこどもの周囲では聞かれないようです。
こどもの日に背比べする風習はあったのか?
「端午の節句」の風習
こどもの日は戦後できた新しい祝日で、それ以前には5月5日は端午(たんご)の節句という男の子の成長を祝い、立身出世を願う年中行事の日でした。
柏餅を食べたりこいのぼりや5月人形や兜を飾る風習も、みなこどもの日の習慣ではなく「端午の節句」の慣わしを引き継いだものです。
この行事は江戸時代頃に広く一般化しました。
しかし、背比べに関しては、明治以前も端午の節句の風習だったという記録が、なかなか見つかりません。
柱に印をつけて子どもの身長の伸び具合を記録していく背比べは、昔から行われていたのは確かですが、それが「端午の節句」の習慣だったかどうかはなんだかあいまいです。
ただ、現代の人たちが、
と当り前のように思い込んでいる根拠は、童謡背比べの刷り込みであることは、誰もが証言しています。
作者の家族との思い出を描いた歌詞
童謡「背比べ」は大正8年に発表されたとされています。
童謡普及を進める活動をしていた鳩の笛社が出した子供たちの歌に掲載され、広まりました。
作詞は鳩の笛社の詩人
海野厚さん
七人兄弟の長男だった厚さんは、早稲田大学在学時、毎年端午の節句の頃静岡の実家に里帰りしており、その際17歳年下の小さい弟の背丈を測ってあげていたそうです。
その時の思い出を弟の視点で詩にした、海野家の風景の歌が「背比べ」でした。
なのは、たまたま里帰りできない年があって、2年ぶりに帰った時の弟の成長ぶりが印象的だった心情を描いたものだから、なんだそうです。
すごく大きくなったと思ったけれど、まだお兄さんの羽織の紐の高さくらいで、まだまだほんの子どもなんだなぁ~という、弟にはもどかしい、兄には微笑ましい心情が歌われています。
海野厚さんと弟の習慣が全国にひろまった?
海野家の背比べが、全国的な習慣だったのか、静岡周辺のブームだったのか、厚さんと弟の個人的年中行事だったのか、今となってはよくわかりません。
弟の春樹さんは後にアナウンサーになり、この歌と兄の思い出も語っていますが、その辺のはっきりした説明までしていません。
もしかしたら、海野家の個人的習慣が、このたった一曲の歌のせいで、ほんの10年程の間に全国的習慣になってしまったのかもしれません。
まだTVがない時代に、全国区の流行を作るって凄いことです。
しかも、その流行が100年近く続く風習になってしまったわけですから。
こどもの心を育み、歌い継がれることで世代を超えて共有できる文化となることを願い、童謡の普及を図った鳩の笛社の志が、みごと花咲いた証明かもしれません。
平成3年を最後に教科書から消えた「背比べ」。
今の若い親はすでにこの歌を知らない人もいるのでしょうか・・・ちょっと残念な気もします。
「背くらべ」って曲はまさケロンは、知らんかったわぁ~
でも、聞いてみたらこれか!
ってなったで!