9月に入りました。
暦の上ではそろそろ処暑も終り週末には「白露」の時季を迎えます。
“白”は、昔は何の色にも染まっていない透明に輝くものを表現する言葉でした。
白露は朝の陽ざしにキラキラと光る朝露を表わしています。
夜の気温が下がるようになり、草木に朝露がたくさん付くようになる時季という意味です。
秋になると、手紙の挨拶などで
「仲秋の候」
を使いますが、丁度この
「白露(9/8頃)」~「寒露(10/8頃)」
の間がこの言葉を使う時季ということになっています。
この間に訪れる満月の日を「仲秋の名月」と呼んで、お月見をする習慣になっています。
しかし、これは本来「中秋の名月」でした。現在はどちらの表現も使われていますが、そもそもの意味は実はちょっと違います。
「ちゅうしゅう」
ってどういう意味なのでしょうか?
太陽暦と太陰暦の表現を兼ねる言葉“仲秋”
太陰暦の月と季節の意味づけ
「仲秋」とは、
秋の半ば
という意味です。
江戸時代までの日本の標準暦は旧暦(太陽太陰暦)でした。
旧暦では、3か月ごとに季節を区切っており、秋は7・8・9の3か月でした。
季節を初・仲・晩と分けて表現していたので、それぞれの月の意味として初秋・仲秋・晩秋が使われました。
つまり、仲秋とは旧暦の8月を指す言葉でもあったのです。
旧暦は月の満ち欠けを元に日付がふられていたので、毎月1日が新月、15日は十五夜です。
すなわち、お月見は必ず旧暦の8月15日でした。
これは、3か月の丁度真ん中の日です。
秋の真ん中の日の名月だから、
「中秋の名月」
と呼ばれました。
「仲秋の候」は太陽暦の季節感に準じた表現
ところで、月の満ち欠けを基準に月を決める太陰暦では、12か月で354日にしかなりません。
実際の一年は356.2422日ですから、毎年11日くらい季節がずれてしまう、という問題がありました。
農業が主産業だった中世の東アジアでは、季節を正しく把握する必要があったので、太陽の位置を基準にした暦も併用していました。
これが二十四節気や七十二候、その他の雑節などの表現です。
「白露」は太陽黄経165度になる日、「寒露」は195度になる日で、丁度秋分(180度)を挟んだ約一か月間であり、物理的な秋の半ばなのです。
暦の表現と割り切るなら仲秋、季節感にこだわるなら中秋
現在の季節の表現「仲秋」
以上のように、中秋は暦の真ん中という明確な設定条件を表わす表現であるのに対し、仲秋のほうがより感傷的というか、体感の季節感を表わす意味合いが強い言葉となっています。
実際、猛暑・酷暑の激しい夏の多い昨今では、暦の白露はまだまだ暑さが厳しいことも多く、過ごしやすい秋の夜長を実感できるのは10月の上旬くらいの感覚になってきています。
手紙の表現も、二十四節気に拘らずに10月初旬から半ばにかけて「仲秋の候」が使われることがとても多くなっています。
これは暦の8月の意味の「仲秋」とは最大で1か月近くズレることもあります。
ちなみに2014年の旧暦8月15日は9月8日。
これは最も早い時季にあたるので、カレンダーの10月半ばは旧暦ではもう9月の後半です。
そうかと思うと、2006年の十五夜は10月6日でした。
旧暦の季節のズレとは、それくらい幅があるものでした。
中秋8月15日の月
ということで、「秋の半ばの季節感」にこだわる人は、9月前半にくる満月は、
「中秋の名月」
のほうが違和感はないかもしれません。
日本の伝統行事は、旧暦を伝えてくれた中国伝来のものも含め、旧暦の日付けで定めたものがたくさんありました。
明治の改暦に当たり、それぞれに諸事情が考慮され、多くがそのまま新暦の同じ日付に移行されたり(正月、五節句など)、一か月ずらして改めて新暦の日付で定めなおされたり(お盆など)しました。
「中秋の名月」は貴重な旧暦の日付で行われる行事のひとつです。
まあ「月」に関わることですから、新暦に変えようがない、とも言えますが。
まだまだ暑さが残る夜になる年も、心地よい秋の風情を感じる年もありますが、月を愛でる文化をもつ民族は世界でもとても少なく、十五夜のお月見はとても日本らしい伝統行事です。
古来のしきたりにこだわり過ぎることもないと思いますが、自然を愛して大事に思う心は受け継いでいきたいものです。
ようするに
- 「秋の半ばの季節感」にこだわる人は「中秋の名月」が違和感がない
- 感傷的で、体感の季節感を表したいときは「仲秋の名月」がしっくりくる
っていうことだね!