干支は中国から伝わった数と方角を表わす表現
漢字文化と共に易学・暦学・宗教などが中国より伝来
古代、東洋で最も進んだ文明を持ち、影響力が強かったのは中国であり、日本もさまざまな影響を受けてきました。
インドを発祥として中国にも広まった仏教やヒンズー教などの宗教も、初めは朝鮮半島や琉球を経由して日本に伝わりました。
飛鳥時代に中国の王朝と直接国交が結ばれると、漢字文化や天文学、易学、哲学、倫理学などと共に、仏教の教えもそれまで以上のボリュームで、一気に入ってきました。
暦と方位を記すための数詞として干支が広まる
中国から伝わり、すぐに日本文化の中に根付いたもののひとつに「干支」がありました。
例えば漢字で153を表わすと「壱百伍拾参」となります。
たくさん並ぶものに漢数字で順番を振っていくのは大変です。
日付や時間の表記など、できるだけシンプルに伝えるために、漢字一、二文字が決まった順番で繰り返す表記法を用いるようになりました。
それが「干支」です。十干と十二支の組み合わせで60番まで数えられます。
日付や年は60種を延々と繰り返していくことで表わしました。月は十二支で表わしました。
「甲子の年、卯の月、癸戌の日[きのえねのとし、うのつき、みずのといぬのひ]」
と言うと、平均寿命が50年に満たなかった時代は、通常の約束事の年月日を特定できました。
60年以上昔のことを言うならば、そこに元号を付ければ十分でした。
また、円に並べられるものを表わすのにも十二支が使われました。
代表的なものは時刻と方角です。
時刻は一日24時間を2時間ずつ区切って子[ね]の刻から亥[い]の刻と表しました。正午は午[うま]の刻となるため、
「午前・午後」
という言葉ができました。
方角は30度刻みで12に区切り、天体の太陽の位置なども干支で表わしました。
一方、易[えき]=方角占いの場合、東西南北とその間を示して八等分(45度刻み)に方角をわけ、それぞれに八掛と言われる基本図像を当てはめた図を使いました。
そのため、日常会話の中で北東などの方角を表わすことも多く、そんな時は二つの干支の中間という意味で“丑寅[うしとら]の方角”のように表現しました。
十二支と守り神のつながり
十二支と仏様のつながり
仏教の仏様のひとつ薬師如来と薬師経を信仰する者を守護する12体の武神を
「十二神将」
と言います。
これら12の武神は12の時、12の月、12の方角を護っており、十二支に対応しています。
仏教で言う「神」とは、仏様を護る存在ですが、十二神将はそれぞれ悟りを開いた仏様(如来、菩薩、明王)たちの化身と言われており、中国では十二支と結びつけて、守り神として信仰されています。
一方、仏教の流派のひとつ密教では、八掛の基本図像の方角に8人の仏様を割り振り、その方角を示す十二支の年に生まれた者の守護本尊としました。
仏教が伝わって間もない頃の日本は、貴族が力を持っている世の中でしたが、貴族は現世利益について説く密教にとても興味を示していました。
その影響なのか、日本では、生まれ年の干支に対応して、十二神将ではなく、密教が方位で割り振った8人の仏様が守護本尊となる、という考え方のほうが根付きました。
丑寅、辰巳、未申、戌亥の方角を護る仏様は、そのまま二つの干支の守護本尊となっています。
外来の宗教と融合していった日本の神様
日本では、仏教伝来以前より、土着の様々な信仰がありました。
国家が出来上がる過程で、天皇家に繋がる神様信仰が王道となり、古事記や日本書紀が国の大元となる神話の書とされました。
やがて、朝鮮半島などから次々と新しい神様が伝わると、日本の神様と習合して信仰されるようになるものもたくさん出てきました。
宝船に乗った七福神は、えびす様以外は全て、元はヒンズー教や仏教・密教の神様たちです。
権力者が強制的に仏教を国教とすると定め、庶民にも改宗を強制したことが、歴史上何回かありましたが、神様信仰は完全に廃れることはなく、仏教とうまく習合したり、折り合いを付けながら続いてきました。
中国から伝わった干支文化と神様を結び付ける考え方も発生し、大国主命[オオクニヌシノミコト]が干支の守護神となりました。
七つの顔をもつひとりの神様が干支の守護神
「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」の神話で有名な大国主命は、天で一番偉い神様「天照大神[アマテラスオオミカミ]」の弟「スサノオ」の子孫とされる神様で、出雲の国を治めていましたが、ある時アマテラスから統治権を譲るように言われます。
神話では、国譲り後、幽冥界の主となりますが、全国には
「実はこの神様は大国主命だった」
と言われる神様が複数います。
土着の神様や外来の神様を国譲り後の大国主と見なした信仰の習合があちこちで行われたことの結果と思われます。
というわけで、大国主命は7つの別名を持ち、それぞれが異なる役割の神様とされています。
干支の守り神はこの7人(本当はひとり)の神様が分担しています。
京都の下鴨神社には、7人の神様を祀る七つのお社があり、訪れる人がそれぞれ自分の干支の守護神をお参りできるようになっています。
十二神将、守護本尊、守護神
では、生まれ年の干支に対応した神様・仏様の一覧をまとめてみます。
以下、
- 十二神将(元の仏様)
- 密教の守護本尊
- 干支の神様(役割)
の順に表記します。
子年
- 毘羯羅[びから]大将(釈迦如来)
- 千手観音菩薩
- 大国主神[おおくにぬしのかみ](国づくり・縁結びの神様)
丑年
- 招杜羅[しょうとら]大将(大日如来)
- 虚空蔵菩薩
- 大物主神[おおものぬしのかみ](物を司る神様、神仏のお使い)
寅年
- 真達羅[しんだら]大将(普賢菩薩)
- 虚空蔵菩薩
- 大己貴神[おおなむちのかみ](国づくり、医薬の神様)
卯年
- 摩虎羅[まこら]大将(大威徳明王)
- 文殊菩薩
- 志固男神[しこおのかみ](天下一の強者、力の神様)
辰年
- 波夷羅[はいら]大将(文殊菩薩)
- 普賢菩薩
- 八千矛神[やちほこのかみ](邪悪を断ち切り武勇に優れた神様)
巳年
- 因達羅[いんだら]大将(地蔵菩薩)
- 普賢菩薩
- 大国魂神[おおくにたまのかみ](国土・大地の神様)
午年
- 珊底羅[さんちら]大将(虚空蔵菩薩)
- 勢至菩薩
- 顕国魂神[うつしくにたまのかみ](国土の守り神、物事を運び営むことに力を表わす神様)
未年
- あにら大将(如意輪観音)
- 大日如来
- 大国魂神[おおくにたまのかみ](国土・大地の神様)
申年
- 安底羅[あんちら]大将(観音菩薩)
- 大日如来
- 八千矛神[やちほこのかみ](邪悪を断ち切り武勇に優れた神様)
酉年
- 迷企羅[めきら]大将(阿弥陀如来)
- 不動明王
- 志固男神[しこおのかみ](天下一の強者、希望のシンボル)
戌年
- 伐折羅[ばさら]大将(勢至菩薩)
- 阿弥陀如来
- 大己貴神[おおなむちのかみ](国づくり、医薬の神様)
亥年
- 宮毘羅[くびら]大将(弥勒菩薩)
- 阿弥陀如来
- 大物主神[おおものぬしのかみ](物を司り、力を与える神様)
こうして見ると、同じ仏様なのに、十二神将と守護本尊とでは、対応する干支が違う、というパターンがたくさん見られます。
熱心な仏教徒で宗派に拘る人でなければ、どちらを信心してもいいのではないでしょうか。
どの仏様や神様が、どこの神社仏閣にいるのか(祀られているか)というと、それぞれ全国にいくつもあります。
ご自分の守り神については、ちょっと検索するといろいろ出て来ると思います。
日本人は宗教観が大らかなようですから、薬師如来と密教と神様、どれもみんな信仰しても許されてしまうところがあるので、行けたら全部拝んでおいても罰は当たらなそうです。
守り神を大事にして、今年も一年、充実したよい年にしてください。
まさケロンは全部の守り神様を拝んで充実した年にするよ〜。