昭和の子どもには懐かしい悪口ですね。
東京では、この後
「ついでにお前もデベソ!」
と続きました。
言われた子が
「そういうお前もデベソ!」
と言い返すパターンもありました。
チンドン屋を知らない最近の子ども(と若い親たちも?)にこの囃子言葉を言うと、それが悪口なのかどうかも通じず、意味もわからず「???」状態になることが少なくないそうです。
チンドン屋さん、知っていますか?
戦後復興の時代、街角のスター
子どもに人気の「ドラえもん」の中で、スネオくんがジャイアンの陰口を叩く時、
「デベソのくせに!!」
ってよく言っています。
ので、かろうじて「デベソ」は悪口だということは、今の子どももわかっているのではないでしょうか。
が、「チンドン屋」を知っている子どもは、今ではほとんどいないかもしれません。
戦後、昭和20~30年代にかけ、広告業界の花形といえるくらい、都市から地方まで、全国各地で見られたチンドン屋さんは、どこでも子どもたちがゾロゾロ後ろをついて来る、人気のパフォーマーでした。
白塗り化粧にチョンマゲや日本髪で派手な着物を着て、身体の前に括り付けた太鼓や鉦を組み合わせた「ちんどん太鼓」や大太鼓、胴太鼓などをチンチン・どんどん鳴らしながら、街中を練り歩いていく街頭宣伝マンです。
へんてこりんが愛されたのに、変なもの扱いが差別になった
「チンドン屋」という呼び名は知らなくても、市民まつりなどの地域イベントでパフォーマンスする彼らの姿を見たことがある若者や子どもは少なくないかもしれません。
宣伝広告業ではなく、大道芸のパフォーマンスの一種だと思って見てきた人もいるでしょう。
インターネットもTVのCMもない頃は、町の商店やイベント主催者にとっては、広く地域市民に情報を広め、お客さんを呼び寄せる広告塔として、チンドン屋さんは大事なメディアでした。
奇抜な格好や独特のスタイルの楽隊の奏でる音は、初めて見聞きする人にも、昭和の叙情に満ちたレトロな感覚を思い起こさせます。
奇抜でへんてこりんなのが、面白おかしく、目だって宣伝になったのです。
その「へんてこりん」さ故に、子どもの戯言の悪口に使われたのが、タイトルの囃子言葉です。
誰が言い出したのかわかりませんが、いつの間にか全国各地で言われていました。
が、しかし、子どものイジメに教育が過敏に反応するようになっていく中、
「悪口としてチンドン屋が使われるのは、職業差別だ」
という主張がされるようになり、
「ばーかかーば・・・」は、言ってはいけません!
と怒られる言葉になりました。
(ついでに「デベソ」も身体的特徴をあげつらう差別だからダメ!になりました)
21世紀に蘇る、新たなチンドン屋“芸”
TVのCMに押され、激減していったチンドン屋さん
昭和40年代に入り、日本は高度経済成長期に入ります。
一般家庭にカラーのTVがすっかり普及するまでには、15年もかかりませんでした。
大手企業は街頭宣伝よりもTVCMに移行していきます。
また、都市の人口密度が高まり、人の暮しや街並みが貧困から中流な風景に変わっていくと、閑静な暮らしに街のステータスを感じる人が増えていきました。
鉦や太鼓やラッパを鳴らしながら宣伝文句を声高に繰り返して街を歩くチンドン屋さんは、「騒音公害」として苦情を寄せられることも起きてきました。
チンドン屋さんの街頭宣伝は、都市部を残してだんだん見られなくなりました。
昭和30年代には全国で3000人くらいいたチンドン屋さんは、2000年頃には150人くらいにまで減っていました。
若手の成り手が徐々に表れ、新たな発展が始まった
しかし、チンドン屋の需要は完全になくなることはなく、生き残っていたチンドン屋さんたちはパフォーマンスの芸を磨きながら、綿々と続けていました。
バブルの時代の頃から、大道芸パフォーマンスがブームになってきたこともあり、景気が低迷していた21世紀初頭、若手の楽器奏者や大道芸人を目指す人たちが、再びチンドン屋業界にもどんどん入ってくるようになりました。
昭和の頃は、楽器演奏にプラスするパフォーマンスは、剣劇やしゃべり芸が主でしたが、21世紀の若者たちは、従来の形に拘らない、新たな形のパフォーマンスもどんどん取り入れていきました。
ジャクリングなどの大道芸もいろいろこなし、使う楽器やコスプレの幅も広がっています。
ほとんどが東京・大阪・北九州などの都市部ですが、チンドン屋さんの数も再び増えてきています。
街頭の広告宣伝だけでなく、前述のように、自治体や町会主催の地域イベントや大道芸が集合するイベントに呼ばれることも多くなっています。
また、福祉施設の慰問に呼ばれることもあります。現代のチンドン屋さんは、「アーティスト」なのです。
人間味のあるチンドン屋芸は、世知辛い社会の癒し
チンドン屋さんのユルさは、子どものケンカも柔らかくする
アナログで手垢のついた親しみのある芸風のチンドン屋さんには、得も言われぬ温かみがあります。
効率や機能性やコスパばかりを追い求め、損か得かでしか物事を判断できなくなっている現代人の“心の隙間”にスッと入ってきて、忘れていたユルい感覚の大切さを思い出させてくれるものがあるかもしれません。
「ばーかかーばチンドン屋、お前の母ちゃんデベソ!」
という悪口の決まり文句があった頃、言う方も言われる方も、本気でチンドン屋さんを侮蔑する気持ちなんてなく、本気で母ちゃんがデベソだなんて思っていませんでした。
暗黙の了解の定型囃子言葉の悪口は、本気で傷つけたり憎しみ合ったりする関係に発展させない歯止めにもなっていました。
ふと、そう思ってしまうのは、果たして考えすぎなのでしょうか。
対立の空気を受け止めてくれる大人、居ますか?
囃子言葉は悪口でしたが、暴力にはなっていなかったような気がします。
だから、
「そういうお前がデベソ」
って応酬すれば済んだんです。
永田町あたりで、大人が大人げなく悪口の応酬をしている姿は、誰もいさめてくれないのに、子どもへの悪口に過剰に規制をかけているのは、なんだか大人がズルい感じもします。
現代のセンシティブな子どもたちには、
「ばーかかーば」
と言われても目くじら立てないチンドン屋さんのような大人に受け止めてもらいながら、
「デーベーソ!」
って応酬しあえるユルい喧嘩のできる環境が、もしかしたら必要なのかもしれません。
まさケロンの母ちゃんはデベソだったよ!