七五三

七五三の起源から見える、生きるに厳しかった時代の陰

ひしゃくと七五三
Written by すずき大和

11月といえば、七五三の季節です。

昔は11月15日に行われるものでしたが、現在では15日に拘らず、11月中のどこか都合のいい土日祝日に行う家庭が増えています。

氏神様の神社にお参りし、ご祈祷して祝詞をあげてもらうことが従来の儀式でしたが、最近では、普通にお賽銭を入れてお参りしてくるだけの人も多いようです。

子どもの晴れ着姿を写真屋さんで撮影してもらうことも習慣化していますが、地方によっては神社には行かず、写真撮影だけして家族でお祝いするパターンが主流の所もあります。

写真屋さんや神社の混雑を避けるため、11月を待たずに10月あるいはそのもっと前にお祝いをしてしまう家庭もあるそうです。

写真屋さんなどは、早ければ早いほど割引してくれる所もあるようで、早い人は4月くらいに済ませてしまうらしいです。



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神様事なのに、そんなアンニュイで大丈夫なのか?

七五三が行事化したのは意外と最近

神事ならば、時期や祈祷にも深い意味があることが普通ですから、そんな風に人間の都合で適当に日程を決めたり、ご祈祷もお参りもなかったりしたら、ご利益が及ばないんじゃないか?とか、罰が当たるんじゃないか?なんて気がする人もいるかもしれまぜん。

実は七五三の風習が、「七五三」と呼ばれ、ある程度定番化して庶民に普及したのは、近代以降のことで、案外“最近の”習慣なのです。

そこに至る以前の、起源や由来を調べると、複数説があり、もともといろいろなやり方や解釈があったことがわかります。

明治以降、今の形に落ち着く過程でも、地方により微妙にやり方の違いが生れており、時代や状況に応じて何でもありで発展した感じも受けます。

本来は子どもの無事な成長をお祝いする習俗

罰の心配をする程、元来厳格な儀式だったわけではなさそうです。

というより、現代では“日本古来の風習”という扱いになっており、宗教にこだわらず、お寺でご祈祷してもらったり、教会で祝福してもらったりする七五三もありとなっています。

日本に限らず、どんな地域にも、古代の土着の信仰(死生観)から生まれた習俗があり、社会が進んで宗教の形が発展しても、昔からの慣わしはなかなか捨てきれず、国が奨励する宗教と習合しながら残っていくものが多いです。

七五三も、「七歳までは神のうち」という考え方が元になって発展した「子どもの無事な成長を祝う」風習が、神道と結びついて残っていったものです。

七五三の影に隠れた悲しい歴史

七五三の起源

子どもの成長を祝う儀式は、古くは平安時代の頃から公家の間にありました。

奇数年齢にそれぞれ違う儀式が行われましたが、それが時代と共に武家の間にも広まります。

江戸時代後期、江戸の呉服屋さんがそれぞれ別の儀式だった3つをまとめて「七五三」と呼んでキャンペーンを行ったため、そこから庶民にも徐々に伝わり、明治以降今のような祝いの形が定着しました。

七五三としてまとめられる以前、まだまだ乳幼児の生存率は極めて低く、7歳になるまでは「神のうち」と言われ、いつ死んでも(神様の元に戻っても)おかしくない時期とされていました。

それゆえ、成長の節目節目でご丁寧に祝いの儀式をしました。

「3歳で言葉を、5歳で知恵を、7歳で歯を授かる」

といわれる年に、それぞれ

  • 「髪置[かみおき]」(これから髪を伸ばし始める)
  • 「袴着[はかまぎ]」(初めて袴をつける)
  • 「帯解[おびとき]」(初めて大人と同じ帯をする)


という“大人に一歩近づく”儀式をして祝福したのです。

間引きと神隠し

子どもの生存率が低かったのは、安全設備や医学が今のように発展していなかったせいもありますが、自給自足の農業国であった日本では、飢饉になるとたくさんの子どもが死にました。

栄養失調で自然死するだけでなく、他の人間の食べ物を確保するために、これ以上子どもを育てられないと判断されると、堕胎はもとより7歳以下の子どもは間引かれることが頻繁にあったのです。

また、生産性の低い人間=障害者だとわかると、やはり7歳までに間引くことが掟になっていた村も少なくありませんでした。

掟に逆らって、養っていけない子や障害児を間引かずにいると、「神隠し」として強制的に連れていかれ、処分されました。

生き延びてくれただけで何より。細かいことは気にしない

七歳まで生きられることは特権階級の幸せ

子沢山の農民が飢饉時に生き延びるためには、堕胎や間引きで養う子どもの数を調整するのは止む無いこと、と考えざるを得ない時代でした。

7歳までは育てられなければ神に返すと解釈することで、子を殺す苦しみに、せめてもの救いを求めたのでしょう。

公家や武家では間引きはなかったものの、疫病や事故で死ぬ確率は今よりは高かったでしょうから、やはり「7歳」を人としてこの世に認められる境界と捉えて祝福したと思われます。

昔は、7歳まで無事に元気に生き延びることが、本当に大変なことだったのです。

仏教が入ってきてからは、輪廻転生の死生観が普及したので、7歳までに神の元に返された子は、通常より早く生まれ変われるように、人間として弔ってお墓を立てたりはせず、“水子”として供養されたそうです。

生き延びたお祝いに宗教の違いはない

子どもが成長する喜びの大きさも、今以上に大きなものであり、そこを目いっぱいの思いで祝福する気持ちが大事な七五三なのでしょう。

日本古来の死生観や伝説は神道の信仰と見られますが、中世に檀家制度が確立され、神仏一体化の信仰になった日本では、お寺でもちゃんと七五三のご祈祷してくれるのもうなづけます。

七五三の仏教解釈

ついでなので、お寺さんで七五三の祈祷をしてもらうにあたってのウンチクを少し説明しておきましょう。

神社でもお寺でも、七五三のご祈祷をしてもらう時、子どものおでこに丸い印をつけてくれることが多いです。

仏教では、これは「仏様との縁を結ぶための印」と解釈するそうです。おでこの丸は仏様の額にある印を意味し、仏教ではこの印を「口[くち]」と捉えます。

もともと人間には10個の口があります。

目、耳、鼻、口、小便、大便、生殖器の合計10個が、からだの外に開いた口なのです。

仏様はさらに11個目の口を持っているわけです。良いことの意味を表す“吉”という字は、11個の口と書いてあります・・・なるほど~。

あまり深く考えず、みんながやっているから神社にお参りに行ったり、写真を撮ったりしてきた七五三・・・・実はいろいろな意味が含まれていたのですね。

今でこそ、子どもは放っておいても自然に大きくなっていくような感じですが、ほんのひとむかし前までは、それは奇跡的に凄いことだった時代もあったのです。

現在も、発展途上国の多くは、まだ5歳までの生存率がとても低い状態にあります。未来を担うすべての子どもの命が守られる社会がくることを祈る七五三でありたいですね。

まさケロンのひとこと

今の日本で7歳まで生き延びることはそんなに難しいことじゃないと思う。過去のみんなに感謝しなきゃだね!

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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。