結婚式・披露宴

平安時代の結婚式はできちゃった婚!?母系社会って開放的

京の街
Written by すずき大和

ちょっと前、人気女性タレントがミュージシャンと不倫して、マスコミや世間からめちゃめちゃバッシングされる騒動がありました。相手の男性より女性のほうが多くを失うよう煽る風潮を憂う声も、海外などからありました。

女性の「性」については、確かに、男性より“マジメ~な慎み”(お堅くいうと「貞操[ていそう]」)を求められるのが日本の伝統のように思っている人がたくさんいます。

が、それって、実は、武士が中心になった中世の時代以降の文化です。原始社会から平安時代までの古代の日本では、性や結婚に関しては、今とは全然違う常識と慣習で世の中回っていました。



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平安時代の結婚と結婚式

お試し式婚活「夜這い」の文化

平安時代の結婚は、貴族から庶民まで、まずは“既成事実”を積み重ねてから正式にカップリングされる、という順番で進行していました。基本の流れは次のような感じです。

  1. 男性が気に入った女性の家に「“お試し”してくれ~」とあの手この手で交渉
  2. 女性側が「オッケー」になれば、“夜這い”が開始
  3. お互い気に入って、複数回の“逢瀬”が続けば結婚
  4. 富裕層は結婚しても同居せず、男性が女性の家に夜だけくる“通い婚”が一般的


相性がイマイチだったり、女性が「ダメだこりゃ」サインを出したら破局です。

「夜這い」から「通い婚」になるけじめの儀式が結婚式

貴族や裕福な層では、ちゃんと交渉の仲介・監視する人(媒酌人)がいて男性の審査をしていました。合格者の中でお嬢様が気にいった人だけ“お試し”まで辿りつけます。

「この人いいわ」となれば、女性の家で“おもてなし”も受けるようになり、おもてなしが3日連続すると、3日目に親族も招いて儀式が行われ、正式に夫婦となります。

おもてなしを含めた一連の儀式は、地域や氏族によってそれぞれ厳格な作法があり、中国から伝わった部分も含め多彩にイベント化していきました。いわばこれが貴族の結婚式と披露宴です。

自由で大らかなお試し期間を経た「できちゃった婚」

庶民の場合は、忍び込んで女性が拒否しなければすぐお試し開始も普通だったようです。

貴族のように、3日連続するとお餅が振る舞われる風習も一部で見られました。

  • 夜這いの事実を世間にオープンにする日、という意味で『露顕[ところあらわし]』
  • 3日目にお餅が出て来るから『三日餅[みっかもち]』

などと呼ばれ、これが結婚式みたいなものでした。

地域によっては、日数にこだわらず、女性が妊娠するまで(時には複数の男性から)夜這いを受け入れ続ける風習もありました。妊娠すると女性が父親を指名して、ようやく親族に紹介され、正式に結婚です。どちらかというと、農村などはこの“できちゃった婚”パターンが多かったようです。

性モラルが大らかだった古代日本の母系社会

原始社会の性モラルはもっともっと自由だった

武士の時代に入って通い婚から嫁入り婚に変化しても、この“夜這い婚活”の風習が残る村はたくさんありました。実は近代まで、地域によっては、若い娘への夜這いは“あり”の習慣が残っていました。

日本の「性」は、元来かなり自由で大らかだったようです。

原始社会まで遡ると、男女は特定の相手を継続的に定めるカップリングではなく、共同体内で自由に乱婚、雑婚状態でした。いわば「共同婚」みたいなものです。当事者の合意でカップリングされる、実に自由でオープンな性モラルでした。

母系社会だからこその自由恋愛文化

西洋の原始社会は父系社会で、男性の階層分けの支配構造がありました。首長の指示で特定の男女のカップリングが割り当てられ、家族単位で共同体から管理統率されていました。結婚は当事者の問題ではなく、氏族間や種族間の“取引”みたいなものでした。

日本が大らかな自由恋愛社会だったのは、母の血筋で氏族が受け継がれる母系社会だったことも影響していると思われます。父系社会では、カップリングを固定・管理することで、どこの父の子か明確にする必要がありましたが、母系社会の日本は、どの氏族の母の子かわかればよかったのでしょう。

日本も社会の中で階層が分かれるようになる飛鳥時代以降、カップルは固定化され、「結婚」という概念もできました。権力者層では、政略結婚も行われるようになります。しかし、母系社会は続いており、大らかな性文化が夜這い婚活の風習を作っていきました。

父系社会への変化

武家文化の時代になり、日本も階層の中で結婚と性を管理する父系社会になります。

「家(血統)を守る」ことが最重要視され、結婚も自由恋愛ではなく、家(親)が決めるのが普通になり、女性の貞操概念も厳しくなっていきました。

また、日本では、一夫多妻制(妾制度)が、古代から戦中(戦後も?)まで社会的に認知されてきました。古代では、効率的に子孫を増やすため、中世以降は男系血統を守るために必要とされました。

現代でも、女性のほうが叩かれる理由は、そんな時代の価値観が根強く意識の中に残っているせいでもあります。

夜這いや通い婚文化は、女性に拒否権や選択権もありましたが、女性から男性の元へは行けず、ただ待つのみという辛さもありました。どっちが良かったとはいえませんが、千年たつと、社会の常識なんて、こんなにも変わるものか・・・という点は、驚きです。

まさケロンのひとこと

本人らが幸せだと思えるカタチがいいよね。できちゃった子どもは大切にね~。

masakeron-love


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。