来る6月24日は
ドレミの日
なんだそうです。
1024年のこの日に、イタリアの修道僧グィード・ダレッツォさんが“ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ”という音階名を初めて定めました。
ダレッツォさんは、教会音楽の指導者でした。
音階名がなかった時代の音楽ってどんなだった?
人類史と共に発達してきた音楽
人間以外の動物には
音楽
という文化はほぼ見られません。
鳴き声で威嚇したり求愛したり、羽音やモノを叩く音でコミュニケーションする種はあります。
しかし、個々の感性によって音階とリズムを組み合わせて何かを表現する、表現されたものを鑑賞する、ということができるのは人間だけです。
音楽は人類すべてに共通するもので、どこで発祥した文明にも音楽があります。
初めは、自然の驚異を追い払う手段だったのかもしれません。
集団の気持ちを鼓舞し、行動を統率し、喜びを分かちあうために歌や打楽器が使われ、社会の発展に伴って、音楽文化も発達していきました。
古代から中世の音楽
西洋の古代音楽史の研究は、記録がほとんどなく、まだあまり解明されていません。
宗教が大きな影響力を持った時代は、祝祭や儀式のための音楽はとても重要視され、旋律を奏でる楽器が徐々に発達するに従い、口伝てや見様見真似だけではだんだん伝承が難しくなっていきました。
古代ギリシャで、既に音階のひとつひとつの音の呼び名が付けられていましたが、例えば
- 「ド」=“パリュパテー・ヒュパートン”
- 「レ」=“リカノス・ヒュパートン”
- 「ミ」=“ヒュパテー・メーソン”
みたいな感じだったので、音階を歌いながら音を覚えていくわけにはいきませんでした。
中世の初め頃には簡単な楽譜が記録されるようになり、直接やってみせなくても音階を伝える術が少し整いました。
が、複雑な旋律や奏で方を伝えるには不十分で、楽譜が読める人もごく一部に限られました。
ダレッツォさんの3つの発明
ダレッツォさんが行った、後世に名を遺すほどの偉業は3つあると伝えられています。
一番は、
これで旋律を音階で歌って覚えられるようになりました。
また、音の高さを視覚的に把握しやすいよう横線が4本ひかれた楽譜(今の五線譜のモトです)を作りました。
楽譜が読めない人や子どもたちにもわかりやすく伝えるために、左手の指の関節を指し示すことで音の高さを説明する方法も取り入れました。
グィードの手
の図は、今も音楽の教科書に肖像画と一緒に載っています。
これらのアイデアにより、聖歌隊の子どもたちはそれまで10年かかって覚えていたことを2年で覚えられるようになったと言われます。
ドレミファソラシの呼び名の由来
聖ヨハネの日
6月24日は、キリスト教信者にとっては、大事な記念日
聖ヨハネの日
です。
聖書に出でくる聖人の中でも、ヨハネ(キリストに洗礼を施した人です)は別閣扱いで重要視されています。
キリストの半年前に生まれたとされているため、クリスマスの半年前6月24日を「聖ヨハネの日」と定め、ミサや祭が行われています。
その時歌われる聖ヨハネ賛歌が、実はドレミの音階名の元になっています。
もしかしたら「ド・レ・ミ」は「ヌ・ヴェ・テ」だった
「聖ヨハネ賛歌」は、6行のラテン語の詩の歌です。
各節の最初の音が、丁度音階の順番でひとつづつ高くなっていく曲がついています。
その最初の音にあたる文字を抜粋すると、
- ウト
- レ
- ミ
- ファ
- ソ
- ラ
となっており、そのまま音階名にしたのです。
この時代は6音音階が基本でシは使われなかったそうです。
後に17世紀に入り、「ウト」が「ド」に変わりました。
また、7番目の音階が使われることが標準になり、聖ヨハネ賛歌の最後の言葉の頭の文字をとって「シ」という音階名が1670年頃追加されました。
聖ヨハネ賛歌には、実はもう6行、2番の歌詞があります。
もし、ダレッツォさんが2番の歌詞の方を気に入っていて、そこから文字を採ったら、
- ヌ
- ヴェ
- テ
- フォ
- ノ
- セ
- オ
- ヌ
という音階になっていたとのことです。
後々のドレミの歌の歌詞も違っていましたね。
グィード・ダレッツォさんは、音楽教師の僧侶でしたが、とても頭がよくて斬新な発想をする人だったのでしょう。
今では、音階名がないなんて考えられませんが、人類は4000年以上もの間、楽譜も音階名もないまま、人から人へと音楽を直接見聞きし伝えてきたのですね。
それはそれで、ちょっと驚いてしまいます。
日本でも多くの人が、ドレミのおかげで幼稚園児の頃から、ちゃんと楽器の演奏も教えてもらって、そんなに苦もなく覚えてこられました。
ドレミの音階には、こんな歴史があってんなぁ~
学校の音楽の授業で何気なく使っとったけど、奥が深いな!