お盆休みのシーズン
がきました。
帰省ラッシュの様子が朝夕のニュースになっています。
田舎で過ごす夏休みを楽しんでいる子どもたちもたくさんいる頃でしょうか。
田舎の夏休みというと、自然豊かな野山に囲まれる中を、麦わら帽子をかぶって虫取り網をもった子どもたちが走る光景が思い浮かんだりします。
が、最近はそんな田園風景広がる町でも、子どもたちは家の中で最新式のゲームなんかやってたりします。
日本のゲームやアニメといったカルチャーは、今や外国でも人気の
クールジャパン
の代表です。
- ゲーム
- アニメ
- TVドラマ
などに描かれる日本の夏風景には、必ずといっていい程、BGMに蝉の鳴き声が入っています。
蝉があまりいないヨーロッパの人の中には、日本のアニメなどを見ながら蝉の声が何だかわからない人もたまにいるとか・・・。
夏に日本を旅行中のイギリス人に、何かお土産に欲しい物はあるかと聞いたら、
鳴く木がほしい
と言った、という小話もあります。
日本の蝉は“もののあわれ”の象徴
蝉は実は世界中どこにでもいる
日本でよく聞いている鳴き声の蝉たちは、温暖な気候でよく繁殖するので、亜熱帯から温帯地方に多く、アルプスより北に位置するヨーロッパには、確かにあまりいません。
ですが
ヨーロッパにも、実はヨーロッパの自然に適した種類の蝉がちゃんといます。
が、日本人ほどあまり蝉を身近に感じる文化ではないらしく、蝉の鳴き声にしみじみと夏を感じる、などということは少ないようです。
無常な自然を象徴する蝉の一生
一方、平安から中世にかけて、わびさびを愛し、自然の移ろいの中に
無常観
を見出し、
もののあわれ
を覚えるという、独特の美意識を高度に発達させた日本では、蝉の生涯の生き様は、まさに「もののあわれ」の代表のように映ってきました。
土の中で人生のほとんどを過ごし、やっと光の中へ出てきたと思ったら、ほんの数週間の短い命を終えてしまう。
しかし、そのわずかな時間の中で、伴侶を探し命を残すために、全身全霊をこめて高らかに鳴き声を響かせている。
無事繁殖に成功し、卵をこの世に残すと、突然パタッと地面に落ちるようにこと切れていく・・・
という、蝉たちの姿は、まさに自然の感動と無常観を実感させてくれるものであったのでしょう。
蝉の鳴き声はうるさいのに閑[しずか]
閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声
ご存知、
松尾芭蕉
の句です。
わんわんと耳をつんざくように泣いている蝉ですが、その声を聴きながら、うるささではなく閑けさを感じてしまうという、まさに
ですね。
盛夏の頃の暑い午後に響き渡る甲高い蝉の声すら、自然の雄大さと人工音のない閑けさを思って感銘してしまう日本人には、晩夏に目立ってくる
蜩(ひぐらし)
の声は、もう癒しの環境音楽の代表としか聞こえません。
日没や日の出の頃に、
と控えめに響く蜩の声は、転がるように心地よく耳に入ってくるリズムであり、薄暮の中に広がる田園風景と相まって、しみじみとした物悲しさや、夏の終わる寂しさを湧きあがらせていくものです。
ゲームとアニメが伝える蝉の声
冒頭に書いたように、アニメやゲームで
夏のシーン
を演出するのに、お約束のように蝉の声が入ってることがあまりに多いため、最近はめっきり蝉の声が聞かれなくなった都会の子どもたちも、ヨーロッパに暮す日本文化好きの外人さんたちも、
蝉の声=日本の夏
という図式だけはしっかりインプットされている人が多いそうです。
学者さんの研究によると、ヨーロッパの英語圏の人に蝉の声を聞かせている時の脳波を調べると
彼らは、蜩の鳴き声が延々3時間とか5時間とか入っているたけの環境音楽CDが売っている日本を見て、
日本人はさぞや忍耐強い民族
であると思うことでしょう。
俳句では、
蝉も空蝉(抜け殻のこと)
も夏の季語ですが、蜩は秋の季語になります。
まだ都会にも毎日のように蝉の声が聞かれた40~50年くらい前は、お盆が終わり、子どもたちが夏休みの宿題に四苦八苦しだす頃の夕暮れ時には、必ず蜩の声が響いていました。
現在、昔よりだいぶ季節感が乏しくなり、都会では、秋になってもなかなかヒートアイランド現象が収まりません。
そんな町で暮らすおじさんおばさんたちも、蜩の環境音楽に癒しと寂寥感を感じてしまうのは、わびさびのせいではなく、かつての夏休みの宿題の思い出が心と体に染みついているせいもあるのかも・・・・。
皆さん、良いお盆休みを。
蜩の鳴き声を聞くと寂しくなるんはまさケロンだけかなぁ~
なんか夏の終わりっぽくてしみじみしてくるねん。