喫煙VS禁煙
いったいどっちなの
世の中にはいろいろな考え方があります。
先日、書店でこのようなタイトルの本をみかけてビックリしました。
タバコは体に悪い影響を与えるとされています。
これはどうやら事実らしいです。
現にタバコのパッケージにはその旨、警告文が印刷されています。
また喫煙スペースが次々と街中から消滅していることから、社会全体がタバコは健康に良くないという認識で一致していることが分かります。
本のタイトルの話に戻りますが、
「早死にしたくなければ、タバコはやめたほうがいい」
なら、よく分かるのですが
「タバコはやめないほうがいい」
なのですから、世の中の流れに逆らっているとしか思えません。
そのタイトルのあまりのインパクトに我を忘れてしまい、本の内容を確認することを忘れてしまったほどです。
この本を見かけてしまって以来、タバコに関しては、
「ほんとうに健康を害するのだろうか」
と、何がなんだかよく分からなくなってしまいました。
そこで、これは自分で確認するしかないと思い、禁煙を実行してみることにしました。
と書いておいて、大変恐縮ですが筆者は禁煙する自信がありません。そこで1日限りのプチ禁煙に変更させていただきます。
自他ともに認めるヘビースモーカーの筆者にとっては、1日限定とはいえまったくタバコを吸わないという行為は、大きなチャレンジなのです。
禁煙をすれば分かると思ったこと
「タバコはやめないほうがいい」という考え方があるのであれば、もしかしたらタバコは人間にとって必要なものである可能性があるといえるのではないでしょうか?
それを知るためにはタバコを吸わないとどうなるのかを身を持って経験する必要があるのではと考えたのです。
- 「タバコは害だ」
- 「タバコは無害だ」
プチ禁煙の果てに筆者がたどり着く結論はどちらになるのでしょうか?
プチ禁煙
いざ実行
筆者の喫煙ペースですが、1日にほぼ20本吸います。
これは市販されているタバコ1箱分に相当します。つまり一日タバコ1箱ということになります。
非喫煙者にとってこの本数が多いのか、少ないのかピンとこないと思いますが、喫煙者にいわせると若干多いとのことです。
途中でタバコを吸いたくなってもそれができないようにするため、ライターは持ち歩かず、お金も昼食代ぎりぎりの金額しか持ち歩かないことにしました。
ではいざ実行です。
開始から3時間
筆者はまず朝起きてから一本吸います。
これを我慢するのは非常にきつかったです。変わりにコーヒーを飲みましたが、これがいけなかったようで、コーヒー後の一服が吸いたくなってしまい、余計につらくなりました。
この時点でイライラするというより絶望を感じました。
今日一日タバコがいっさい吸えないかと思うと、あきらめに似た気持ちでいっぱいになり、憂鬱な気分で家を出ました。
最寄り駅に到着。いつもなら駅前で一服するところなのですが、それができません。
ここで初めてイライラしてきました。プチ禁煙なんかとっととヤメにして、タバコを吸おう。
そう思いましたがタバコを買うほどのお金を持ち合わせていません。買うことは買えますが、タバコを買ったら昼食抜きになります。
舌打ちをしながら、タバコ自販機の前から立ち去りました。
喫煙スペースにはタバコを吸っている人がけっこういました。知り合いでもいたら一本めぐんでもらおうと思いましたが、知り合いなどいるはずがありません。
もうこの時点で当初の「タバコは本当に害があるのか」を知るという目的は頭から消えていて、
「タバコを我慢するするほうが、よっぽど不健康だ」
という考えで頭がいっぱいになりました。
この時の筆者はかなり切羽つまっていたようで、知らない人でもいいから百円でも渡して
「すみません。タバコ一本売ってもらえませんか?」
とお願いしようと思いましたが、おそらく気持ち悪がられると思い、断念しました。
電車に乗って乗換駅に到着。普段なら、一度駅の外にでてタバコを吸いながらコーヒーを飲むのですが、今日はそれができません。
ため息をつきながら、そのまま地下鉄に乗り換えて会社に向かいました。
6時間経過
筆者の会社では喫煙者は数えるほどしかいません。
そのため喫煙所などは特に設けられておらず、喫煙者は昼休みまでタバコは我慢するという暗黙の了解があります。
だから昼休みまでタバコが吸えないのはいつものことです。
でも、それは出社前に十分吸っているから我慢できるのであって、今日のように朝から一本も吸っていない状態では拷問に近いです。
ここまでくると頭がぼんやりとしてきました。
特に頭痛がするという訳ではないのですが、朝起きて間もないようなぼんやりとした状態で頭のなかがはっきりしません。
また同僚に今日は表情が硬い、といわれました。そりゃそうです。大好きなタバコを我慢しているのですから。
仕事中は気が紛れてタバコのことは忘れることができるので、すこし楽になりました。
でも昼休み近くになると、
「いつもはタバコが吸えるのに、今日は吸えない。楽しいはずの昼休みがぜんぜん楽しくない」
とため息をもらすのでした。
12時間経過
昼休み。
いつもは牛丼屋かファストフードでさっさと昼食をすませ、あとはひたすら時間までタバコを吸うというパターンですが、今日は食事に時間をかけることができます。
普段入ったことのない定食屋で昼食を食べました。
ここまでくるとぼんやりではありますがタバコを意識しなくなりました。
もやもやした感じは拭えないものの、午前中のようにタバコが吸いたいと心の中で叫び続けているような状態ではなくなったのです。
もしかしたらやめられるのかも、などと思い始めました。
覚悟していた食後の一服の衝動も、予想していたほど強くなく、缶コーヒーを飲むことで、
「まあ、いいか」
と受け流せるようになっていました。
昼休みが終わり、仕事に戻った後も落ち着いてきました。
タバコ無しでも良くなったわけではなく、
「どうせ、吸えない。だったらもういいや」
という開き直りに近かったと思います。
午前中に感じていたもやもや感もなくなりました。
ただ、頭がさえ渡るということはなく、表情に乏しい状態はまだ続いています。
この時点で漠然と感じたのは、
「タバコって必要不可欠なものではないんだな」
という思いです。
失恋したらかなり落ち込みますよね。もう立ち直れないんじゃないか、と感じます。
でも時がたつにつれて元気を取り戻したりなんかして、「なんであんなことで悩んだりしたんだろう」と思えるようになります。
どうもこの感情に近くなっているようです。
幸いなことに今日は外回りがありませんでした。
場合によっては急に外出しなければならないケースがあって、そうなったら一緒に行動することになるであろう同僚が筆者と同じぐらいのタバコ好きなんです。
こいつと一緒に外回りしたら、間違いなくタバコ吸おうぜ、のパターンになる、そうなったらタバコに手を出してしまうかもしれない、という危惧がありましたが、どうやら大丈夫なようです。
仕事が終わり、帰宅しました。いつもなら、
- 会社の付近
- 乗換駅の外にある喫煙スペース
- 自宅の最寄り駅
の計3カ所で最低一本、合計3本のタバコを楽しむのですが、今日はまっすぐ帰宅しました。
ある情報では体に蓄積されたニコチンが抜けるまで3日かかるといわれています。
だから筆者の体にはまだニコチンが残っているわけで、禁断症状はまだ続くはずです。
でも圧倒的な禁断症状は午前中がピークだったようで、脆弱ではありますが、落ち着いたようです。
プチ禁煙でわかったこと
タバコは嗜好品
帰宅した後は特にタバコを欲することもなく、なんとかプチ禁煙を乗り切りました。
意外だったのはもしかしたら、このまま禁煙を続けることができるのではないかと感じたことです。
正直にいうともっとひどい禁断症状に陥ると思っていたのです。
事実午前中はその通りの状態でした。
が、それさえ乗り切れば、それほど禁煙という行為がヘビースモーカーの筆者にとって、実現困難なものではないと思ったのです。
そしてさらにタバコは文字通り嗜好品なのだということも強く感じました。
贅沢品といいかえてもいいかもしれません。
つまるところタバコを吸うという行為は贅沢な行為なのです。
絶対に必要なことなのかといえばそうでない。筆者は1箱430円のタバコを吸っていますが、このままタバコを吸う限り、たとえ全く食事をしなくても430円は毎日必要になるのですから。
タバコは体に悪いのか、そうでないのか、という疑問から始めた今回のプチ禁煙ですが、体には悪い影響を与えることがはっきりと自覚できました。
午前中に襲ったタバコへの渇望、あんなに強烈な禁断症状が現れるものが体にいいわけがないと、私見ですが強く感じました。
喫煙すると肺ガンになる、と言われていますが、それよりもタバコの中毒性のほうが問題だと思います。
筆者の禁煙はあくまでも一日限りの「プチ」なので、翌日からいつものペースで喫煙を再開しました。
もしかしたら本数が減るのかなと思いましたが、すぐに元のペースに戻りました。
贅沢品でありながら中毒性がある。喫煙者はタバコの中毒性について一度自分の考えを確認する必要があります。
中毒性が強すぎると、いざそれを失ったときに自分がどういう行動をとるかわからなくなるのがおそろしい・・・。