これは、昭和30~40年頃子どもたちの間で流行した言葉遊びの一節です。
関西近辺では、連想ゲームのように繋がる言葉遊びの出だしの一節でした。
「デーブデーブ百貫デブ 電車に引かれてぺっしゃんこ」
「ぺっしゃんこはせんべい」
「せんべいは甘い」
「甘いは砂糖」
「砂糖は白い・・・・」
と続いて、最後は
「・・・電気は光る、光るはオヤジの禿げ頭」
となります。
全国区の言葉遊びなのに、地域によって微妙に違う
東京のはやし唄
この「オヤジの禿げ頭」で終る言葉遊びは、全国各地にありましたが、出だしや途中経過が地方によって様々に違います。
東京近辺では、出だしは以下の2つが主流でした。
- 「いろはに金平糖」「金平糖は甘い」「甘いは(ここから先は複数のパターンあり)」・・・
- 「さよなら三角またきて四角」「四角は(同)」・・・
しかし、東京でもこの言葉遊びとは別に、悪口のはやし唄として「デーブデーブ・・・」は使われていました。
これは「ばーかかーばチンドン屋、お前の母ちゃんデベソ」と並ぶ悪口唄の代表でした。
私はずっと東京で生まれ育ってきたので、「デーブデーブ・・・」が「オヤジの禿げ頭」につながるということを知ったのは、物凄く最近のことでした。
その後わかりましたが、東京の西の県境辺りにいくと、「デーブデーブ・・・」も若干あったようです。
東西の都のどちらかから、もう一方に伝わる?
一方、ネットの中で「オヤジの禿げ頭」アンケートの話題(質問サイトなどで結構あるんです)をいくつか拾って見ると、
関西では
- 「いろはに金平糖」
- 「さよなら三角またきて四角」
を実際に使って「オヤジの禿げ頭」を歌っていた地域は少数派のようです。
TVや漫画を通して言葉を知っている人は多かったですが、東京人の「デーブデーブ・・・」の認識同様、それが「オヤジの禿げ頭」の冒頭だとは知らなかった人もいました。
関西の「デーブデーブ」が関東に伝わる途中で分離したのか、関東の「禿げ頭」の言葉遊びと「デーブデーブ」の悪口が関西に伝わる途中で混同されたのか、それははっきりとはわかりません。
九州や東北には両方のパターンが広まっているそうです。どちらにしろ、関西か東京のどちらかの都市部から発祥して全国に広まった感じはします。
子どもから子どもへ地域から地域へゆっくり伝わる文化
似ているけどちょっとずつ違うわらべ唄、はやし唄
日本には、他にもたくさん昔から口伝に伝わってきた遊び歌のようなものが、全国各地にいろいろ残っています。
その土地独特のものは、古く江戸時代以前から伝わっているものも少なくありません。「かごめかごめ」のようにほぼ全国区化しているものもあります。
明治以降に広まったものは、子ども用の歌本が市販されたり、ラジオ放送で流れたりして普及したものもあり、それらは全国区でほぼ同じ形で伝わっています。
しかし、口から口へ、人の移動に伴ってゆっくり伝わっていったと思われるものは、伝わる途中でいろいろな形に発展・変化しています。
縄とび歌に「青山のえんどう豆」というのがありましたが、これも広くいろいろな地域で歌われています。そして、物凄く狭い地域ごとに歌詞がどんどん変わっていきます。
並べてみると、
- 「途中でこの言葉を聞き間違えたんだな」とか、
- 「ここが一か所抜けて伝わったんだな」とか、
- 「新しい節が一節付け足されたんだな」とか、
- 「別の遊び歌のここが混ざったんだな」とか、
微妙な伝達の過程が見えてくる部分が多々あります。
「オヤジの禿げ頭」や「デーブデーブ百貫デブ」も、そんな風に全国に広まり、多様化していったのでしょう。
「三丁目の夕日」の時代
昭和30年代は、日本の戦後復興が本格的に進められるようになっていった時代です。
当時の世相を描いた映画にちなむと「三丁目の夕日の時代」と言えるでしょうか。
インフラが次々整って、庶民の暮らしも少しずつ豊かになり、昭和40年代初めにかけて、家電製品も一気に普及していきます。
映画の中でも、TV・冷蔵庫・洗濯機が“三種の神器”と言われ、中流階級のステータスシンボルとされていた描写がありましたね。
三丁目の夕日時代の子どもたちは、まだ全員が一家に一台TVがある所まではいかなかったので、近所のTVのある家に集まってプロレスや野球中継を大人と一緒に見ていました。
当時、大人と子どもの距離も、近所付き合いの距離も今よりずっと親密でした。
また、当時は庶民家庭の母親の多くは働いていましたが、保育園も学童保育も今のようにはありません。
多くの子どもたちが、近所の子どもたちと遊びながら、小さい子は大きな子が面倒を見て、周りの大人にも見守られながら、地域の濃い人の繋がりの中で育っていました。
そんな環境の中、子どもの遊びも代々語り継がれ、受け継がれ、時代や地域に合わせてどんどん変化もしていったのです。
TVやインターネットがカルチャーを伝える時代
イマドキの子どもの遊ぶ環境
高度経済成長期に入ると、
- サラリーマンと専業主婦の家庭が増えました。
- 塾やお稽古ごとに通う子どもも増えました。
- 子どもたちは近所の年の違う子と一緒に遊ばなくなりました。
- 大人も近所の人がいつも家に来るような付き合いが減りました。
- 子どもが近所の大人に叱られることも、あまり無くなりました。
- 近所の人の家に上がって、おやつやご飯を食べさせてもらうことも無くなりました。
- 見守る大人が居なくなり、子どもだけで外で遅くまで遊ぶことが危ない社会になりました。
- 小さい子は保育園に行くのが当たり前になりました。
- 学校が終わったら学童保育や塾に行くのが普通になりました。
子どもが、子どもだけで自由に社会を作って遊ばなくなると、子どもから子どもへ遊びが伝授されていくことがあまりなくなります。
最近は、昔ながらの遊び歌や手遊びは、児童館や図書館や学童で大人の指導員さんが教えてくれるものになりました。
または、NHKの教育番組や、スマホのアプリが教えてくれます。
大人は汚い言葉は教えてくれない
しかし、悪口やからかいの言葉は、大人は教えてはくれません。
- 「デーブデーブ百貫デブ」も
- 「オヤジの禿げ頭」も、
- 「お前の母ちゃんデベソ」も、
身体の特徴を指摘して差別することにつながるので、言ってはいけない言葉ですから。
百貫(375kg)のデブな人が、電車にひかれてぺっしゃんことは、なんともグロすぎる描写にも関わらず、その後に「ぺっしゃんこはせんべい」と、おやつを連想するなんて!!
確かにとっても不謹慎かもしれません。
でもね・・・子どもってそういうフレキシブルな発想にワクワクしてしまう生き物なんですよ、多分。
いけないいけないと言われながら、大人たちの世界からもれ聞こえて来る情報の中に、そんな悪口はやし唄を見つけると、気になって気になって仕方がないのです。
ネットが伝えていく悪い子文化
そして、小さいうちからIT化されているイマドキのお子様は、「けんさく」という技を習得すると、密かに「デーブデーブひゃっかんデーブ」を探し出し、質問サイトに「この続きを教えてください」なんて書きこんでしまうのです。(そして、多くの大人が喜んで教えてくれます)
今は「いけない情報」を子どもが見られないようにするシステムが非常に発達しています。
子どもにスマホやPCをいじらせている親たちは、ほとんどがそういうフィルターシステムを導入しています。
人を傷つける言葉や汚い言葉を書きこむことができないようにしているサービスもあります。
が、「オヤジの禿げ頭」をブロックするシステムは、まだ今のところないようです。
もしかして、「かつての子ども」の大人たち自身も、密かにはやし唄文化を次世代の子どもにも引き継いでほしいのかもしれませんね。
まさケロンが小学校に通ってた時、光る禿げ頭の先生がよくいじられてたっけな~。
育毛技術が発達してそんな先生もいなくなっちゃうかもしれないね。
言葉遊び、引き継がれるといいな~。