住まい・暮らし

ハズレても誰も怒らない? 天気予報はなぜクレームにならないのか?

Written by 言祝(kotoho)

天気予報は特別なのか?

普通は怒られます

どのような仕事でもミスをすれば注意を受けます。さらに自分のミスでお客様に迷惑をかけた場合は深刻です。極端な場合、解雇ということもあり得なくはない。

例えばお客様に提示した見積もりの金額が間違っていたとしたなら、一般的にはまず謝罪をしなければならないですよね。

でも、ミスをしても謝罪を求められることは無い仕事があると聞いたら、皆さんどうします?

その仕事とは「天気予報」です。

ご存知のように天気予報は、ハズレたとしても謝罪などは一切しないし、誰もそれを望んだりはしません。

あくまでも予報であるのだし、外れても、それは「ミス」とはいえないでしょう。

「明日は雨です」

と予報して実際には快晴だったとしても、それはお客様に提出した見積もりが間違っていたという場合とは全く異なりますから、単純に比較はできませんけれど、ちょっとうらやましく見えたりします。(けっして天気予報にかかわる人たちを非難しているわけではないですよ)



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自然現象は手ごわい

天気予報の歴史

天気予報の歴史をひも解いてみると、1875年6月に東京気象台が設立されたことが始まりとされています。さらに1994年8月に第一回気象予報士試験が開催されました。

現在ではテレビの天気予報で活躍している気象予報士ですが、それ以前は天気予報は気象庁だけが実施するものと法律で定められていたのです。

気象予報士制度の導入によりは気象庁が発表したテータをもとに民間でも予報を行うことが認められるようになりました。

天気予報の的中率

次に天気予報の的中率を見てみましょう。

2006年の的中率は「約86パーセント」だったというデータがあります。結構高い的中率ですね。技術の進歩で的中率は徐々に上がっている傾向にあるとか。

精度は上がっているものの、それでも外れてしまうことがあるのは人間の力ではどうすることもできないであろう「自然現象」を相手にしているためでしょう。やっぱり大変な仕事だとおもいます。

クレームにならないのは「自然観」のため?

自然とともに生きる

天気予報に対してクレームにならないのは、日本独自の特徴なのかどうかを調べていたところ、おもしろいニュースを見つけました。

イタリアにて地震予知失敗に対して裁判所が科学者たちに有罪判決を言い渡したのだそうです。

これはちょっと極端な例ではあります。天気ではなく地震ですし、300人以上が命を落としたというのですから。

さすがにこのニュース、世界的にも賛否両論あるようですが、もし日本の話であれば、裁判などには発展しなかったと思うのです。

昔から日本人は自然に対して畏怖の念をもって接してきた習慣や文化がありました。「富士山信仰」などはその一例です。自然をコントロールするのではなく、共存しようという考え方の方が強いと思います。

たいして主に欧米では自然をコントロールしようという意識が強いのではないでしょうか?

日本が良い、欧米が悪い、という話ではなくそれぞれの考え方なのですし、日本においても時には人の命さえ奪ってしまう災害を可能な限り未然に防ごうと、多くの方たちが努力を続けているわけで、けっして「自然は人間にはどうしようもないのだから…」とあきらめているわけではないのです。

誇るべき日本人の特徴

天気予報に対してクレームならないのは

「予報だから」

という考え方が強いのが一番の理由だと思います。

でもその根本には

「自然とともに生きてきた」

という日本人の自然に対する接し方が影響しているとも思うのです。

そしてそれは日本人が胸を張って世界に誇ってよい特徴のひとつといえるのではないでしょうか。

まさケロンのひとこと

たしかに、「まぁしょうがないよね、大自然だし」で納得しちゃうもんね。まさケロンは逆に的中率100%になんかなっちゃったその時がこわかったり。。

masakeron-sorrow


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筆者情報

言祝(kotoho)

映画オタク。日課は読書。最近は料理にハマっています。座右の銘は「好奇心を失ったら、そこで終わり」