たかがプレゼント。されどプレゼント
「ブタ柄のネクタイ」
プレゼントを贈る。または贈られる。誰もが経験したことがあるでしょう。
でもプレゼントを贈るのって、結構難しかったりしませんか。何を贈ったらいいのか、悩みますよね。
どんなに真剣に選んでも、相手が喜んでくれなかったら、ちょっと残念です。
さて、ここで問題。
もしあなたが、友人からブタ柄のネクタイをプレゼントされたら、どのような反応をしますか?
(女性の読者の方は、ハンカチとかスカーフとかに差し替えてイメージしてみてください)
ブタ柄といっても、イラストっぽい、可愛らしいデザインの絵柄ではなく、結構リアルなブタの勇姿がプリントされてます。
ブタさんの自己主張があまりにも強烈なため、このネクタイに合う服はこの世に存在しません。
イメージできましたか?
このシチュエーションかなり悩みますよね。
ここまで極端に凄いプレゼントはなかなか受け入れがたいでしょう。
この強烈なデザインをわざわざ選んだということは単なるプレゼントを超えて、裏に隠されたメッセージがあると考えたとしても、不自然ではないはず。
「お前はブタ野郎だ」
と言いたいのか?
逆に
「あなたは私のカワイイブタちゃんだよ」
という好意的なメッセージなのか?
後者の解釈はかなり無理があるので、やっぱり自分は「ブタ野郎」なのか…。でも怒らせた記憶はないのだが?
まあとにかく「ありがとう」とは言いにくいものを受け取ってしまったわけです。
もらっても正直困るもの
「豚柄のネクタイ」はかなり極端な例ですがもらっても困るものって確かにあります。
趣味ではない服などはその筆頭ではないでしょうか。
筆者は誕生日に香水をもらって、ちょっとびっくりしたことがあります。
なぜなら筆者は香水を全く使わないからです。プレゼントしてくれたのが、割と付き合いの長い友人の一人だったのですが、彼も香水の類は一切使わない人でありまして、なのになぜ香水なのか? ちょっと不思議でした。
「これで加齢臭をなんとかしろ」
という、無言のメッセージだったのでしょうか?
もらって嬉しかったもの
逆にもらって嬉しかったもの、これも筆者の場合で恐縮ですが、高校入学のお祝いとして両親からプレゼントされた「文庫本と万年筆」のセットです。
夏目漱石の「こころ」とシンプルなデザインの万年筆を受け取ったときは、なんかとても気持ちが良い感じがしました。人生初の万年筆だったこともあり、今でもはっきり覚えています。
この万年筆は現役は退いたものの、まだ手元にありますよ。
究極のプレゼントとは
プレゼントの起源
プレゼントの起源をひも解いてみると、諸説ありますが、日本の場合は祭りなどのお供えが始まりだったのではないかといわれています。
「プレゼントを贈る」という行為には、お礼やお返し、そして見返りを期待するという意味合いが込められているようです。
見返りという言葉は賄賂を想像してしまいますが、そういう方向ではなく「私はあなたのことを気にかけていますよ」というポジティヴな考えが根本にあるのでしょう。
やっぱり、一番喜ばれるのは…。
「物」を贈っても、喜んでもらえないというリスクがあるというのなら、究極のプレゼントは「現金」ということになるのでしょうか。
現金であれば好きなものを買うことができますからね。「これは、ちょっと好みではない」という事態は避けることができます。
でも、ちょっと寂しいような気もしませんか。
プレゼントされるなら「お金より物」ではないでしょうか。現金を渡したのではその人のことを考えて、選ぶ、という一番大切な行為が省略されているように思えるのです。
プレゼントの語源
プレゼント(Present)の語源には諸説あります。そのひとつにPresent(存在)を語源とする説があります。
贈り物を渡すことで、自分の存在を示す、もっと言えば、
「あなたのことを想っている人間がここにいますよ」
というメッセージが込められているのかもしれません。
もしそうであるならば、
という考えはいったん手放して、相手のことをよく考えながら、贈り物を選ぶ時間を大切にしたい、そんな気がしてきました。
日常生活で使えるようなものならなんでも嬉しいな~まさケロンは。(ください)