もう、混んだ電車に乗らなくていいの?
リモート
- 社会人は、朝、会社へ出かけて、仕事をし、終わると家に帰る。
- 学生は、学校に行き、授業を受けて、終われば家に帰る。
説明不要なほど、当たり前のことです。
でも最近の変化に伴い、この当たり前が大きく変わろうとしています。
会社や学校まで移動しなくても、仕事ができるし、授業を受けることができるようになったのです。
在宅による
「リモート勤務」
「オンライン授業」
は特別なことではなくなってしまいました。
この大きな変化は、これからの私たちにどのような影響を与えるのか。
そこで今回は「リモート」の急成長により絶滅の危機(?)に立たされている「移動」について、考えていきたいと思います。
人の歴史は「移動の歴史」
少々大げさですが、人は移動とともに成長していくような気がします。どういうことか?
生まれてすぐには、人は歩くことができず、自力で移動ができません。ずっと横になった姿勢のままです。
やがて、寝返りができるようになり、さらにハイハイができるようになると、初めて自力で移動ができるようになります。
それまで動くことができなかったわけですから、これはもう大きな変化で、一気に世界が広がります。
そして、いよいよ立って歩けるようになると、今度は目線が高くなり、興味あるものを間近でみたり、手が届くものであれば、触れることだってできます。
外に連れて行ってもらう機会も増え、家の中とは違う世界も体験できます。
移動力
小学生ぐらいになると、移動の手段として「自転車」が登場します。徒歩メインとくらべて行動範囲が広がることはいうまでもありません。
中学、高校に通うようになると、バス、電車の出番となります。
取得可能年齢になれば、原付、バイク、そして自動車の免許を取る人もいます。免許があれば、公共の交通機関よりも自由がきくようになり、「移動力」は一気に高まります。
最終的に様々な「移動力」を身につけ、社会人として活躍していくわけですが、移動にはいくつかのデメリットもあるわけで、なかでも「時間」はとても大きな課題です。
手段を問わず、移動には時間がかかります。目的地まで1時間かかるとしたら、逆算して支度をしなければなりません。長時間の移動では、始発に乗らなければ間に合わない、ということも起こりえます。
時間がもったいないと思うこともあるかもしれません。瞬間移動ができればどんなに楽かと、誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
「デジタルネイティブ」は幸せ?
通勤ラッシュが死語と化す日
最近の世界を取り巻く変化に後押しされて、在宅での「リモート勤務」「オンライン授業」が普及しつつあります。通信回線を使い、進化したテレビ電話のような方法で、自宅にいながら仕事をしたり、授業を受けることができるようになったのです。
大げさかもしれませんが、移動から開放されつつあるとも考えることができます。
在宅勤務が難しい業種があったり、ある程度の環境を整えなければいけない等の課題はありますが、通勤・通学の煩わしさがなくなるのは、やはり嬉しいと思います。
将来的には、より高度な通信技術と仮想現実を組み合わせて、あたかもその場で作業しているような感覚を再現できるようするための研究も進められているとか。
「デジタルネイティブ」と同様に「リモートネイティブ」が現われたりして、「通勤ラッシュ」が理解できず、説明しなければならない、なんてことも冗談ではなくなるかもしれませんよね。
切り捨てられるもの
でも、ふと思うのです。本当にこれでいいのかなと。
通勤ラッシュなんて、無くなればそれにこしたことはありません。移動時間がゼロになれば、その分の時間をほかのことに使うことができます。ただし、代わりにほかの何かを失うのではないでしょうか。
駅で、他校の学生に絡まれて、必死になって逃げたり、通勤電車の中で毎朝一緒になる女性にひとめぼれしたり、一見たわいのないようなことですが、技術の進化のために切り捨ててしまうのは、惜しい気がするのです。
みなさんは、どう思いますか?
こうなってくると、学校のスタイルとかも変わっていきそうだよな~。みんながみんな行かなくてもいいとか、選択の幅が広がるのはいいよね~!