逃げることは恥なのですか?
自分を追い込む
「逃げるのか、卑怯者」
「そうやってずっと逃げてばかり。いつになったら前を向くの」
一般的な「逃げる」のイメージはこんな感じです。けっして良いイメージではありませんね。
「プレッシャー」や「壁」に立ち向かい、見事これを克服してこそ、人として大きく成長する、というような考えが一般的です。もちろん、これはこれで悪いことではない。でもその考えだけではうまくいかないことも多いのではないでしょうか。
「逃げてはいけない」 そうやって、自分を追い込んでしまう。
ときには「プレッシャー」に耐えられず、自ら命を断ってしまうこともすくなくないと思うのです。
そんなに「逃げる」は恥ずかしいことなのでしょうか?
逆に「逃げる」を便利なツールとして有効活用することはできないものか?
そこで今回は、うまく「逃げる」方法について考えていきたいと思います。
行き先が違う
最初に「逃げる」について、ちょっと考え方を変えてみましょう。
乗った電車の行き先が、目的地とは反対のほうだったことがわかった場合、皆さんはどうしますか?
次の駅で降りて、正しい電車に乗り換えますよね。
「この電車を選んだのは自分なのだから、降りるわけにはいかぬ。ここで頑張らずに、いつ頑張れというのか」
などと考えてそのままでいる人は絶対といっていいぐらい、いないはずです。
「逃げる」もこれと同じことだと、勝手に定義してしまいましょう。これでマイナスイメージが改善されたと思います。
これがルールだ
図鑑
とはいえ、逃げてばかりでは、どこにも進めなくなってしまいます。逃げることを繰り返していたら、やがて、振り出しに戻ってしまうでしょう。分岐点まで戻って、別の道を進むことができれば理想的です。
そこで、「一回逃げたら、別の方向に一回進む」というルールを設けてみましょう。
このように意識すれば、逃げたのはあくまでも手段の一つ、と捉えることができます。より前向きになることができるのではないでしょうか。
苦手な人がいる。その人の前ではどうも萎縮してしまい、本来の自分の力を発揮できない。相手もそれを察していて、良いように使われてしまう。
それが辛くて心を患ってしまい、転職。しかし、新たな職場にも同じようなタイプの上司がいて、負のスパイラルに陥りそうになっている。
ルールに従うならば、一度逃げているので、別の方向に一歩進まなければなりません。
そこで…
ある日、上司のスマートフォンの待受が愛犬の写真であることを発見する。
しかもその写真、真横から撮影しているため、味も素っ気もない。
撮り方を工夫すれば愛らしい姿を待ち受けにできるのに、これじゃあまるで図鑑だ。
この日を境に変化が訪れる。上司の顔を見るたびに「図鑑」という言葉とともに待ち受け画面が思い浮かぶようになり、萎縮どころか、笑いを堪えるのに必死になってしまう。
少しずつではあるが自分の意見を言えるようになってきたし、上司の態度にも変化が見られるようになった。今度自分が撮影した実家のネコの写真を見せてみようかと思っている。
立派なツール
いかがでしょうか。ちょっと創作がかっていますが、イメージとしては伝わりましたよね。
こうすれば「逃げる」も立派なツールとして利用できそうです。
もちろん、こんなに単純な問題ではないこともあります。
たとえば「いじめ」については、「プレッシャー」だの「壁」だのというレベルの問題ではないので、こんな方法では改善されません。多くの人の理解と協力が必要です。
逃げてはいけない、という考えにとらわれて身動きできなくなってしまった人たちを励ますことができればと思い、この記事を書きました。
逃げつつも前向きになりたいときにはぜひ試してみたいね!