7月16日は、東京近郊では
お盆の送り火の日
ということになっています。
全国を見回すと、徳島の阿波踊りのように、お盆のイベントと言えば8月15日前後となっている所も多く、会社のお盆休みもそこに集中しています。
そうかと思うと、沖縄出身の人が、9月の初め頃にお盆の行事のため休みをとって帰省する話もよく聞きます。
日本にはどうしてこんなに何回もお盆があるのでしょう?
宗教行事なのに、全国で日程がバラバラで大丈夫なのか?
人間の都合で日程が3つに分散
例えば同じ浄土真宗でも、大阪人と東京人では別の時期にお盆を行います。
お盆のしきたりは江戸時代初期に今の形に定着し、全国的に当時の暦、旧暦の7月で統一されていました。
明治政府が太陽暦に強引に遍歴したのに伴い、首都東京ではそのまま新暦7月に移行し、その他の地方の多くは一月遅れの8月に変えました。
沖縄に限っては、他の年中行事も全て旧暦を基本にしていたので、お盆も旧暦の7月のまま続けることにしました。
東京が新暦にした理由も、地方が一月遅れにした理由も諸説ありますが、要は、その地域の人間の都合で解釈をいろいろに変えて運行することにしたわけです。
そんなに都合よくして仏様は困らない?
人の都合はともかく、地獄の釜にはいろんな方向をむいた蓋がたくさん付いていて、時季により開閉の日程が違うわけではないでしょうから、死者の精霊が帰ってくる時期は決まっているのではないのでしょうか?
という疑問が湧きます。
最もポピュラーな宗派
浄土真宗
のHPを探してみると、なんと
という言葉が並んでいました。
お盆は仏教の行事とは関係ないためお寺は日程に寛容
これは実は浄土真宗が変わっているわけではありません。
お盆の言葉の元になった仏教の功徳行事
盂蘭盆会(うらぼんえ)
とは、もともと
ではなく
死者の魂がこの世に帰ってくる
という考え方は仏教にはないのです。
仏教では輪廻転生を説くので、死んだ人が仏様になることはなく、ずっとあの世にいったきりにもなりません。
先祖崇拝の風習は、日本古来の土着の文化で、お盆やお彼岸の習慣もその民族文化のひとつです。
そもそもお寺にしきたりを聞いても仕方ないのです。
お盆の仕切りもお寺がやるのは政治の都合
それなのに、お盆が、法事と同じようにお寺の仕切りのようになっているのは、江戸時代に宗教統制政策として檀家制度が設けられ、全ての家がお寺の檀家になり、寺院が日本の葬祭供養一切を独占的に執り行う仕組みになったためです。
強制的に檀家にさせられても、土地に根付いた風習や宗教観を一掃することはできず、お寺のほうも教えを強制せず、民族文化とうまく融合させることで、檀家支配の仕組み維持を優先した結果、現在の形になっています。
死者が帰ってくる時期とお盆がズレてる地域はない
お盆が7月になった訳は仏教と神教の影響?
まとめると、死者の魂が定期的にこの世に戻ってくるという死生観と先祖崇拝は日本独自の風習で、そこに仏教や神教の考えが合体して今のお盆やお彼岸のしきたりが出来上がっています。
7月がお盆になったのは、仏教の教えでは7月は地獄の扉(日本では釜の蓋)が開いていて、あの世とこの世の間を霊がさ迷う時期となっていたこと、神教で1月と7月に先祖の霊を供養する大きな行事
御魂(みたま)まつり
が行われること、の2点の影響が大きいと考えられています。
で結局の所、地獄に落ちた仏教徒の魂は、苦役を強いられているはずですから、地獄の開閉に関わらず帰ってはこないはずです。
なので、お盆に帰ってくるのは、仏教徒じゃない部分(ご先祖様信仰?)の魂であり、どこから帰ってくるのかはよくわかりませんが、旧暦の7月期間に拘らなくても構わない、ということでいいんでしょうか。
う~ん、日本の神様・仏様・ご先祖様信心は、あまり宗教的に突き詰めてはいけないもののようです。
あの世から魂が帰ってくるっていう考えは、日本独自の文化なんやね~
日本自体、いろんな宗教の文化を取り入れてるさかい、独自の文化が生まれてもおかしくないと思うわ!