エノラ・ゲイの元搭乗者死去
搭乗員12人の最後の生存者だった
来年2015年は終戦から70年になります。
戦争を経験した人の多くが高齢者となりつつある状況です。
亡くなられた方も多くいることでしょう。
筆者が小学生のころ、夏休みの宿題で
親しい人から戦争体験を聞いてくる
という課題を出されたことがあります。
筆者は祖父に話を聞きました。
祖父が徴兵され戦場に駆り出された頃は日本の敗戦は火を見るより明らかで、祖父はとにかく敵から逃げ回っていたと話していました。
祖父は親指を示すと
と言っていました。
その話が今も印象に残っています。
第二次世界大戦で広島に原爆を落としたB29爆撃機の元搭乗員が死去したとのニュースを入ってきました。
エノラ・ゲイ
というニックネームで知られる爆撃機の搭乗員はすでにほとんどが死去しており、今回亡くなった元搭乗員は最後の一人だったそうです。
歴史の証人はこれでいなくなった
亡くなったのは
セオドア・バン・カーク氏
93歳でした。
当時、航法士として搭乗していたそうです。
生前、カーク氏はあるインタビューで原爆投下の瞬間を以下のように語っています。
シンプルな説明ですが、日本人としては、その恐ろしさがひしひしと伝わってくる気がします。
長崎に原爆を投下した爆撃機の乗組員はすでに全員他界しているそうです。
カーク氏が亡くなったことで、原爆投下という未曾有の任務を与えられた歴史の生き証人がいなくなったことになります。
だからといって決して原爆投下を風化させてはなりません。
これは
日本人の義務
だと思います。
原爆を擁護する発言
当時の日本人に一矢報いたかった
生前のカーク氏は完全な原爆擁護派でした。
インタビューでは
と話しています。
また2010年には同じ状況で命令されれば
と断言しています。
原爆は確かにおおきな被害を与えたが、原爆を投下しなければ戦争は長期化していたはず。
原爆投下により戦争を終わらせることができたのだから、アメリカ人はもちろんのこと、多くの日本人の命も救うことができた、という考えが根底にあるようです。
終戦直後、エノラ・ゲイの搭乗者は長崎を訪れていたそうです。
カーク氏もその中に含まれていました。
長崎も原爆投下でひどい被害を受けていました。
英国の新聞が後にこのときのことをカーク氏に取材しましたが、カーク氏は長崎の惨状を見ても特に何とも思わなかったらしく
と語ったそうです。
長崎の情景はショックではなかったのかとの質問に対し軍隊の研修で原爆投下後にどのような情景になるかを学んでいたので
とさえ語っています。
原爆被害者と対面も
生前のカーク氏は原爆被害者とも対面しています。
と主張する被害者代表にたいしてカーク氏は
と主張、話し合いは平行線をたどったとの記録が残っています。
筆者はカーク氏を責めるつもりはありません。
戦勝国と敗戦国の違いが浮き彫りにされたのでしょう。
もうカーク氏にこの質問を投げかけることはかないません。
同じ誤ちをおかさないためにも、戦争の歴史を後世に伝えていかなアカンな。
直接争うんやなくて、話し合いで解決出来るようにしやんとな!