2月11日が「建国記念の日」に制定されたのは、1966年のことで、翌1967年から国民の祝日のひとつになりました。
しかし、80代以上の人たちにとっては、戦後の社会変革の前、旧憲法下の時代にあった祝祭日「紀元節」として記憶されている人が多いでしょう。
この時代に学校教育を受けた人たちは、2月11日のいわれについて、歴史の勉強として教わっていました。
2月11日は、当時の歴史の教科書では、初代天皇が即位して、日本の国家の形が始まった日とされていました。
現在の建国記念の日の意味
建国をしのび、国を愛する心を養う日
旧憲法下の日本では、天皇は神様とされていたので、天皇家に繋がる神教の古代神話が、「歴史」として教えられていました。
戦後、社会の仕組みが大きく変わり、祭日は廃止され、歴史の教科書の内容は、科学的な検証がなされた事実に基づくものに変わりました。
戦後20年を経て、再び紀元節が
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」
として祝日に制定されましたが、それはあくまでも
「国ができたということそのものを祝福する日」
であり、建国の日の認定をするものではありません。
日本は他国の属国となっていた歴史がなく、独立記念日のようにはっきりした建国の日が定めにくいこともあり、象徴的に神話の中の建国の日があてられた、という形です。
数少ない建国の歴史に触れた資料
実際の建国の歴史については、まだまだ解明されていない部分もたくさんあります。
天皇の祖先がかつて日本の地で他の勢力を制覇しながら国内統一を図ったのは事実と思われます。
が、今に残る歴史資料は少ないです。
古事記と日本書紀には、「天皇家は国を造った神々の直系の子孫」とする神話部分も含めて歴代天皇の歴史が綴られています。
古代、歴史書が覇者によって編さんされるのは世界に共通したことです。覇者が正統性を強調するため、神話を創造することも珍しくありません。
そのため、現在は、「建国をしのぶ」の「建国」の歴史の中に、神話部分は含まなくなりました。
学校でも教えなくなり、高齢者が当り前のように知っている建国の神話は、インターネットを頻繁に利用する世代の人にはあまり知られていません。
せっかく2月11日ですから、神話も知っておこう
いつか事実がわかる日のために神話の研究も大事
記紀(古事記と日本書紀のこと)の内容がどこまでが神話でどこに事実があるのかは、今もなお研究中です。
神話というのは100%フィクションではなく、何かしらの事実が象徴的にファンタジー化されるのが常です。
初代天皇の物語の中に、国家の始まりの歴史が象徴されているのは確かでしよう。
今は神話としかとらえようがない部分でも、この先事実解明を進めるために、沢山の人が知って、考えていくことも、「建国をしのぶ」ことになるかもしれません。
ということで、おじいちゃんおばあちゃんが教わっていた日本の創世神話について、簡単にまとめてみましょう。
神話の始まりは天地開闢と国産み・神産み
世界の始まりは
高天原[たかあまのはら・たかのあまはら・たかまがはら]
という天界に神々が誕生するところ「天地開闢[てんちかいびゃく]」からスタートしています。
最後に誕生した神様、伊弉諾尊[イザナギノミコト]と 伊弉冉尊[イザナミノミコト]が、地上に日本列島を作り、更に多くの島々と神様を産み出していきます(国産み・神産み)。
二人の産んだ神のひとり天照大神[アマテラスオオミカミ]は太陽の女神で、神様の住む高天原を治める神になります。
出雲神話と国譲り、そして天孫降臨
地上で人間が暮す国を
葦原中国[あしはらのなかつくに]
と言います。
アマテラスの弟スサノオは、かつて横暴ゆえに高天原を追放され葦原中国の出雲の国に降りてきます。
その子孫大国主命[オオクニヌシノミコト]は出雲の国を拠点に国造りを進めますが、豊かになっていく地上を見た高天原の神々は、葦原中国はスサノオの子孫ではなくアマテラスの子孫が統治するべきと考え、オオクニヌシから国を譲り受けます(国譲り)。
それを受け、葦原中国平定のために、アマテラスの孫、邇邇芸命[ニニギノミコト]が日向の高千穂という地(現在の宮城県)へ降臨します。
神武天皇の東征
初代天皇「神武天皇」はニニギの子孫です。名前は
神日本磐余彦尊[カムヤマトイワレヒコノミコト]
といいました。
ニニギの子孫一族は依然高千穂の地を治めていましたが、降臨した地が西寄り過ぎて、葦原中国すべてを統治しきれてはいませんでした。
イワレヒコは45歳の時に東遷を決意し、瀬戸内海を経て大阪、大和と、地元の勢力を討伐しながら大和の地を進んでいきました。
関西の豪族との戦いには苦戦を強いられ、共に船出した兄弟たちが途中傷つき倒れる中、イワレヒコが最後まで生き残り、大和の地を総べて統治するに至ります。
畝傍山[うねびやま]の橿原[かしはら]という地(現在の奈良県橿原市)に宮を建て、そこで天皇に即位して大和王朝を築きます。この日付が、江戸時代に紀元前660年の2月11日と計算されました。
以後、現在の天皇まで皇室の歴史が連綿と続いています。
天皇家の神話のどこからが歴史の真実なのか
現在の史実と神話の線引き
神武天皇の即位は紀元前660年になっていますが、実際に科学的に存在が認められているのは3世紀以降の王朝からです。
中国の古書「魏志倭人伝[ぎしわじんでん]」の中には2~3世紀に存在した「邪馬台国」について書かれた文章があります。
日本書紀に出て来る神功天皇は、邪馬台国の卑弥呼と同一人物という解釈もありますが、実際に天皇のルーツと卑弥呼が繋がっているのかどうかは不明です。
考古学や歴史学では、紀元前660年ころはまだ縄文時代の末期とされ、天皇が統治するような社会の仕組みはまだ出来上がっていないと見なされています。
それゆえ、現在では神武天皇はあくまでも神話の中の人物とされているのです。
神武天皇実在説
一方で、西方から豪族を討伐しながら東征し、大和王朝を開いた初代天皇は実在する、と考える学者・識者もいます。
神話として箔を付けるために1200年分くらい余計に物語を足し増しただけで、実際は3世紀の始め頃に即位したのではないか、との説もあるのです。
また、アマテラスは卑弥呼がモデルとなっており、九州にあった邪馬台国の子孫の一族が東へ攻め入って対抗勢力を討伐していったのではないか、という推測をする人もいます。
そうなると、邪馬台国の始まりが建国記念日になりますね。
大和王朝の始まりも邪馬台国の実態も、いつか解明される日が来たら、歴代天皇の神話の真実も読み解けるのでしょうか。
本当の「建国記念日」がわかる所までいくかどうかはわかりませんが、もし邪馬台国の遺跡が発見されれば、歴史が変わる可能性もあります。
とはいえ、天皇の祖先が神様だったのかどうかは、信じるか否かの宗教観の問題になるのかもしれません。
神話の世界は奥深く神秘的です。
いつか本当の「建国記念日」がわかるといいな~。