2015年、日本は第二次世界大戦終結後から保ってきた国のあり方・考え方を大きく改める方向に動いています。
時の総理大臣安倍晋三さんは、それを「戦後レジームからの脱却」と言っています。
安倍内閣は、戦後レジームを
「日本国憲法を始めとする、現行の行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組み」
と、定義しています。
簡単に言えば、世の中の根幹になっているしくみや考え方を変えよう、ということが、国の一番上のところで始まっている、ということです。
変えたい理由「時代に合わないから」は、表面的なこと?
細かい部分にだけに囚われて選択枝を考えてはだめ
90年代小泉内閣の頃から、すでに教育行政の改革は始まっていました。
第二次安倍政権では、特に安全保障の問題と、憲法の平和主義と人権保障の見直しに力を入れています。
2014年、今までナシだった「集団的自衛権の行使」をアリにする、と憲法の解釈を変えることを閣議決定しました。
それを受け、今、安全保障法制関連のたくさんの法改正が進められている所です。
政府は概ね、今まで以上に自衛隊がいろいろな作戦に参加する必要が出て来たため、と法改正の理由を説明しています。
が、対処の内容が複雑でわかりにくく、マスコミも私たち国民も、そのひとつひとつを理解するだけで精一杯な感じです。
けれども、この問題は、戦後レジームの根幹に関わる部分なので、あまり細かい所の議論ばかり突き詰めていると、もっと大事なことがわからなくなる心配があります。
安倍さんの言葉の裏にあるもっと深い理由をちゃんと知ろう
全体の改革理由として
ということが真っ先に言われます。
ですが、本当はそれが第一の理由ではありません。
改革推進派のモチベーションの原動力は「時代に合わせる」などと一時的に変わっていくものを基準にした発想から生まれているわけではないのです。
諸外国でも、憲法が作られた時代にはあまり出てこなかった問題が発生したり、「人権」の考え方が世界的に進展したのに合わせ、憲法の条文を部分改正したり、新たな条項を加えたりしてきました。
「時代に合わせて変えていく」というのはそういうことです。
憲法の理念そのものから全て書き換え、新たな憲法に作り変えることは、例えば東側だった欧州の国が、ソ連崩壊後に国家体制を大きく変更する、などの場合にしか行われていません。
自民党の出している憲法改正案は、前文から理念から全て変えてしまう、新憲法への作り変えです。
なぜそうまでして戦後レジームを一度チャラにしたいのでしょうか?
どうして今「戦後レジームからの脱却」が必要なのか?
自民党発足時からの悲願
日本国憲法の改正を頂点とする戦後レジームの改正は、自民党の長年の悲願です。
が、これまでは自民党の中の派閥間の圧力や、国民の反対が大きくて、なかなか実現できずにきました。
90年代、小泉総理が自民党内の派閥政治をぶっ壊し、総理や閣僚などに権力が集中するしくみを作りました。
また、護憲派の野党の力がこの20年でとても小さくなり、今の若い有権者は、与党の価値観を肯定する人が多くなりました。
自民党が国政の大多数を占めている今こそ、ようやく悲願を実現させうる好機だと、安倍さんは考えているようです。
なぜ戦後レジームではだめなのか?
改憲派に共通する強い思いは、以下のようなことです。
「日本国憲法を初めとした戦後レジームとは、
『戦争勝利国側から日本に一方的に押し付けられた価値観、システム、国家体制』
なので、日本が真の独立国になるためには、改めて日本人によるレジームを構築する必要がある」
という考え方が根っこの所にあります。
今の憲法の内容の良い悪い以前に、その成立過程がそもそもダメじゃないか、ということです。
戦後レジームからの脱却とは、YP体制を考え直すこと
ヤルタ協定とポツダム宣言
第二次大戦末期、連合軍の勝利が確実となってきた1945年、米・ソ・英の3ヶ国の首脳が会談して、戦後の世界秩序について取決めをしました(ヤルタ協定)。
それまで日本の領土だった朝鮮半島・台湾・北方領土などの統治権が無くなることは、この時連合国内で合意されました。
その後、なかなか降伏しない日本に業を煮やして、今度は米・英・中の三国共同宣言の形で「ポツダム宣言」が日本に突き付けられました。
これは、日本に無条件降伏を迫るもので、敗戦後の日本がどういう国になっていくべきかまで、具体的に定められていました。
日本はこれを受諾し、戦争は終わりました。
戦後レジームは、このヤルタ協定とポツダム宣言の内容に沿って決められました。
武力の脅しによって受け入れさせられたもの(戦争とはそもそもそういうものですが)であるため、安倍さんたちは“押し付けられた”と捉えているのです。
ポツダム宣言の内容と戦後の日本の発展の関係
ポツダム宣言では、日本と戦争について、次のようなことを明確にしています。
- 日本は一部の軍国主義指導者が国民を騙して扇動し、侵略戦争をした
- 日本は今後軍国主義を止め、民主主義、自由、人権が尊ばれる社会になるべき
- そのために、侵略戦争を指導した軍国主義者は罰せられ、排除されるべき
- 日本が完全に武装解除され、民主的な社会を確立するまでは、連合国が占領統治する
日本はこれを受け入れ、戦争は終わりました。
- 軍事指導者は戦争犯罪人として裁かれ、
- それまでの軍国主義の考え方を否定して、
- 自由と人権が尊重され、権力者が暴走しない立憲民主主義国家のしくみを作りました。
そうして出来上がったものが戦後レジームです。
YP体制は国際社会の中でのコンセンサス
ポツダム宣言の認識は世界共通の歴史観になりました。
現在、侵略戦争を否定し、軍事独裁主義国を平和な民主主義国に移行させていくことが、世界の平和のために進むべき方向だと認識されています。
戦後レジームを見直すということは、この世界のコンセンサス(共通認識)の見直しを望んでいると受け止められる部分もあるため、政府は慎重に言葉を選び、表向きは「時代に合わせる」という理由を建てている、と、言えなくはないです。
私たちが考えないといけないこと
戦後の国づくりのスタートには、連合軍からの大きな助言や指導があったのは事実です。
が、それまで人権が抑圧される戦時中の生活に疲れ果てていた国民の多くが、新しい国の体勢や平和主義の考え方を喜んで受け入れました。
現在も護憲派の人たちは、一貫して、この憲法の理念は、成り立ちや時代に関わらず、大切にすべき価値観だ、と評価しています。
一方、戦後レジームからの脱却を目指す人たちの中には、このポツダム宣言の内容そのものを不満に思う人もいます。
というのは“自虐的歴史観”であり、真実はそうではない、と主張しています。
武装解除も“自立した独立国としての権利を奪われた”と認識しているので、憲法9条は連合軍に押し付けられた抑圧と考えています。
戦後レジームは、
- これからも守っていかないといけない大切な理念なのか
- 戦勝国が作った一方的な価値観なのか
その判断は決して二者択一の問題ではない部分もあるでしょう。
どの部分は変え、どの部分まで守っていくべきか、もっと正面からちゃんと話合うことが必要かもしれません。
右も左も、危機感を煽る情報にむやみに扇動されずに、丁寧な議論を進めてほしいと思います。
戦後レジームからの脱却は、おおげさに言ったら「今までとは違う国になる」っていうことだよね。
いろんなことが複雑に絡み合ってわけがわからなくなるけど、みんなで真摯に考えよう。