アニメオタクを差別するな
オタク = 夢中になれるものを持っている人
先日、映画館へ行った時のこと、平日なのに妙にロビーが混雑していました。
中高生ぐらいの主に男子でごったがえしていました。
よく観察してみると、アニメのキャラクターがデザインされたTシャツを着ている人が圧倒的に多く、どうやらいま上映中のアニメを観に来たようなのです。
普段は閑散としているグッズ売り場も、この時ばかりは大盛況で、ちょっと近づくことができないぐらいでした。
彼ら、彼女らは、いわゆる
「アニメオタク」
です。
最近は海外でも日本のアニメが注目されてきていますので、若干ゆるくはなりつつありますが、それでも「アニメオタク」という言葉には差別的な意味があります。
「キモイ」
とか言われてしまうわけです。
筆者は特にアニメが好きだというわけではありません、でも「アニメオタク」って「キモイ」ですか?
人はいろいろなことに興味を持ったり、趣味に打ち込んだりしますが、興味の対象が「アニメ」というだけで、なんで「キモチワルイ」ということになってしまうのでしょうか?
私見ですが「オタク」って、言い換えれば
「夢中になれるものを持っている人」
ということになるとおもいませんか。
人は誰でも「オタク」なのではないか
夢中になれるものを持っている人 = オタク
と定義しました。
ということであれば、人はみんな「オタク」になると思いませんか?
野球が大好きな人は「野球オタク」、料理が得意な人は「料理オタク」になるわけです。
筆者の場合は「映画オタク」です。
仕事に黙々と打ち込んで結果を出しているような人は「仕事オタク」ということになります。
人それぞれ、興味のあるものや子供の頃からずっと続けている趣味があって、場合によっては大人になったとき、その分野のエキスパートになってしまったりすることもあります。
だから、「オタク」であることは、決してマイナスではないと筆者は考えています。
なぜアニメオタクだけ、差別されてしまうのか?
アニメへの偏見を捨てよう
アニメに夢中になっているだけなのに、後ろ指をさされてしまうのは、なぜなのでしょうか?
アニメに対しての偏見
が背景にあるのかもしれません。
筆者はアニメについて詳しくはありません。
だから「映画オタク」として見た場合のアニメという狭い範囲の話になってしまいますが、アニメは表現のひとつだと思うんです。
例えばあなたが映画監督だったとして、次回作の構想を練っているとします。
今回は時代劇にしよう、とか、ラブストーリーをつくろうとか、色々と考えますが、選択肢の中にアニメがあってもいいと思います。
だから、もう亡くなってしまいましたが黒澤明監督がアニメを作っても良いし、もしまだ生きていたら本当にアニメ映画を監督したかもしれない。
それぐらいアニメというものが特殊なものではなくなってきている気がします。
また、アニメはビジネスとして大きな市場を抱えています。いま一番パワーのある産業だといえるのではないでしょうか。
アニソンがヒットチャートの上位に登場することも、珍しくなくなってきましたし、人気声優のライヴやアニメ関連のイベントはチケットが即日完売するほどの人気だと聞きます。
アニメとそれを取り巻く状況が大きく変化しているのは明らかです。
頑張れ「アニメオタク」
「オタク」の話に戻りますが、何かに夢中になることは必ず役に立つと筆者は考えます。
それがアニメであってもです。夢中になるということはパワーの源です。
とくにアニメのような創造性を刺激するものは、ときにものすごいパワーを呼び覚ますきっかけになったりします。
「アニメオタク」の皆さん、「アニメが好き」をとことん追求しましょう。
「夢中になれるものがない」って人も増えてるなか、「オタク」のパワーってこれから凄い必要になってくると思うんだよね。