子どもの時、胃薬のCMを見て、胃の痛みの表現が理解できなくて、ずっと不思議でした。
- 「シクシク」とか
- 「きりきり」とか
- 「むかむか」とか
どんな風な痛みなのか、言葉からは全然想像できませんでした。
お気楽に能天気に生きていた子どもだったので、あんまりストレスが溜まる日々を送っていなかったのでしょう。
子どもなりに、悩みはあったような気がしますが、胃が痛くなることは無かった子ども時代だったようです。
医者の質問の意味がわからない!?
オノマトペがたくさんある日本語
物事の様子や音を表わす言葉の総称を「オノマトペ」といいます。
- 「擬音語」
- 「擬声後」
- 「擬態語」
とよばれている表現です。
日本語は、他の言語文化と比べ、オノマトペが多く使われるそうです。
雨が“ざあざあ”降る。
犬が“わんわん”吠える。
キャンディーを“ペロペロ”舐める。
胸が“ドキドキ”する。
これらはみんなオノマトペです。
オノマトペは人間の主観的なイメージ表現です。
雨が本当に降っている時の音と、人が声に出していう「ざあざあ」という擬音語は、たぶん科学的に音を分析した時、決して近いものではないでしょう。
全然違う音なのに、ぴったりとイメージが重なるのだとすれば、それはもう言葉の文化としてすっかり染みついてしまっているからなのでしょうね。
言葉の文化なので、日本語圏外へ行くと、全然違う表現であることも珍しくありません。
例えば、本降りの雨はトルコ語では
「シャクル・シャクル」
と降るそうです。
トルコと日本では雨の降る音が違うわけではなく、表現のイメージが異なる文化なのでしょう。
日本語は情緒的な言葉の表現がとても豊富な文化といわれます。
ちなみに、英語では、雨の降る様子を例えるいい方はあっても、定番のオノマトペはないそうです。
英語文化圏は、情緒より、合理的な考え方がわかりやすいのかもしれません。
痛みのオノマトペ
日本人は「痛み」がどんな風かを人に伝える時も、オノマトペをよく使います。
頭が“ガンガン”痛い
傷口が“ズキズキ”する
注射が“チクッ”とする
擦りむいた所が“ヒリヒリ”する
特に「お腹の痛み」を表現するオノマトペは多いです。
最初に紹介した胃の痛みのほか、下痢の時の急激に便意をもよおす下腹部(腸)の痛みは
お腹が“ゴロゴロ(ぐるぐる)”する
と、よく表現されます。
私は、胃は強くても腸は弱かったらしく、ちょっとお腹が冷えるとよく下痢をしていました。
そのため、「お腹がゴロゴロする」という表現は、自然に覚えて使えるようになっていました。
しかし、胃の痛み表現は、なかなか体得できませんでした。
ある時、何かの食べ物に当たって、胃が激しく痛み、医者に行ったことがありました。
今にも吐きそうでまだ吐けない、そんな不快感と胃の痛みで涙が止まらなかった時、お医者さんから、
「お腹はどんな風に痛いですか?」
と聞かれました。答えに困っていると、先生は続けて
「シクシク痛い?きりきり痛い?」
と聞きました。
シクシクときりきりがどんな痛みかわからない私は、
「とっても痛くて気持ち悪い」
としかいえませんでした。
「むかむかするのかぁ」
と、先生がいいました。
私はその時初めて、“むかむか”が吐き気をもよおす表現であることを知りました。
結局どう処置をしてもらったのかは忘れてしまいましたが、
「吐き気がすることならそういえばいいのに、なんでわざわざ『ムカムカする』なんていい方をするんだろう。シクシクとかきりきりとかいわないで、ちゃんと説明しろよ!」
と、子ども心に腹立たしく思ったことを覚えています。
外国人が日本で急にお腹が痛くなって、医者に説明する時、下手に日本語がしゃべれると、私と同じように聞かれて、戸惑ってしまうことはないのでしょうか。
なぜ医者は
「シクシク・きりきり・むかむか」
で通じると思うのでしょう。
痛みの判断にオノマトペの確認てどうなのよ?
シクシクときりきりの違いの解明
私は大人になって、ストレスの多い仕事についた時、初めて胃が慢性的に痛い状態というものを体験しました。
医者との問診の際、ようやく
“シクシク”は、継続的な鈍痛の表現
ということを知りました。
やがて、胃炎から胃潰瘍になり、激痛も経験します。そして、
“きりきり”は、局所的な強い痛みの表現
だと知りました。「差し込むような痛み」ともいうそうです。
ものの本などを読んでいると、このシクシクときりきりが一緒に使われる表現がたくさんありました。
「お腹がシクシクきりきり痛む」といういい方です。
シクシクが鈍痛で、きりきりは激しい痛みのことだとすれば、
ということなのでしょうか。
この「波のある痛み」は医学的には「疝痛(せんつう)」というそうです。
字面のイメージは人によって違う
実は、シクシクときりきりの違いについて、医者からいわれるまで、私は字面のイメージだけを膨らませていました。
シクシクは何かを揉んでいるようなイメージを持ちました。
ですから、「シクシク痛む」とは、なんとなく、ズキズキと脈打つような傷の痛みのように、断続的にリズミカルに襲う痛みなのかな~と想像していました。
きりきりは穴をあける道具の「キリ」をイメージしたので、「刺すような痛み」なのだろうな、とやはりなんとなく思っていました。
だから、「シクシクきりきり」は、刺すような激痛が短い感覚のリズムで繰り返し刻まれていくような感じなのかなぁ…と解釈していました。
まあ、当たらずも遠からずのイメージでしたが、医者がはっきりと区別したいポイントとは微妙な違いとなっていると思います。
私の例は、決して特殊ではないと思います。
「痛みをうまく表現できない」
という悩みは、多くの人が持っています。
オノマトペの表現には、自分の伝えたいことと相手が受け取る意味が共通しているのかどうか、確信できない部分がたくさんあるのです。
雨がざあざあ降ったり、犬がワンワン吠えたりする様子を全く見聞きせずに育つ人はほとんどいないでしょう。
その状態を「ざあざあ・ワンワン」と表現する他者の言葉もたくさん聞くことでしょう。
けれども、「痛み」や「不調」は、風邪や下痢のように、子どもの頃から自分も周りも頻繁に体験するものもあれば、胃や胸の痛みのように、丈夫に育つ子は経験しないまま大人になってしまうものだってあります。
人の表現と自分の症状が同じかどうか確かめる経験がないまま、異なる解釈を思い込んでしまってもおかしくありません。
経験もなく、経験談を身近に見聞きすることも少なかった症状の表現の確認に、オノマトペを使うことは、もしかしたら、医者の判断を誤らせる危険があるような気がするのは、考えすぎでしょうか。
お腹の痛みで医者が本当に知りたいこと
医者が知りたいことは、本当はオノマトペではない
問診の時、医者が先にいろいろ質問するより、まず患者に好きなように話してもらう、という方針の先生は多いそうです。
オノマトペも含め、患者の表現から、医者は大事なポイントを探り、判断するそうです。
お腹の痛みについては、実は、大事なポイントは決まっています。そのポイントは以下にあげる4点です。
- 激しい痛みか、鈍痛か
- 急に襲ってきた痛みか、だんだん時間をかけて痛くなってきたのか
- ずっと痛いのか、痛くなったり治まったりするのか
- 広い範囲が痛いのか、局部的に痛いのか
これがわかると、緊急性のある症状か、どの部分に原因がある症状か、だいたいのことが判断できるそうです。
オノマトペはその4点を判断するための参考に確認するのであり、痛みのイメージがシクシクでもキューンでもジンジンでも、その主観の微妙な違いは、あんまり関係なかったのです!
「だったら、最初からそうやって具体的に聞けよ!」
と、大人になっても思ってしまう私は、もしかして合理的な米英人気質なのでしょうか?
患者に表現を考えさせ、オノマトペで確認する必要って、ほんとにあるの?
「シクシク痛む」ってのが継続的な鈍痛の表現だって初めて知った!オノマトペを勘違いしてる人もいるかもしれないから、最初から具体的に聞いたほうがいいような気がするな~。