死後の世界と幽霊
「死んだら行く所」はどんな場所
「あの世」という言葉があります。死後の世界のことです。でも、死後の世界なんて本当にあるのでしょうか?
これは誰にもこたえられない質問ですよね。なぜなら一度死んでよみがえった人はいないからです。
臨死体験者はいます、その体験はとても貴重で興味深いテーマを投げかけてくれますが、先の質問に関しての明確な答えにはなりません。
死後の世界なんてあるのか、ないのか誰にもわからない。でも興味がないわけではない。人間である以上、残念だけれどいつかは死んでしまいます。
- 死んだらどうなるのか?
- 死後の世界なんてあるのか?
- あるとしたらどんな所なのか?
最後に自分が訪ねることになるのかもしれない場所がどのようなところなのか、出来れば事前に知っておきたいと思うのはごく自然な考えなのではないでしょうか。
幽霊が教えてくれる。でも…
死後の世界を知るためのキーワードといえるのが「幽霊」です。
幽霊だったら死後の世界について詳しく話してくれるのではないか。なんといっても自分が住んでいる場所のことですからいろいろとアドバイスしてくれるかもしれません。
でもここに大きな壁が立ちはだかります。幽霊については「信じている人と信じていない人」がいるのです。
「幽霊から聞いた死後の世界はこんなところです」
と説明したとして、幽霊のことを「本当にいる」と考えている人は話を聞いてくれそうですが、「幽霊なんているわけはないじゃないか」と考える人たちは相手にしてくれないと思われます。
なぜ原始人の幽霊は出ないのか
信じない派、信じる派
「幽霊」は信じる、信じないが顕著に表れるテーマです。信じる派と信じない派の間ではしばしば感情的になるぐらいの論争に発展したりします。
信じない派の根拠はさまざまですが、そのなかに
「原始人の幽霊というものが目撃された例がないから幽霊なんて実在しないのだ」
というものがあります。
とてもユニークな視点だと思いませんか。この主張について少し詳しく知りたいので、「幽霊は信じない派のAさん」に意見を聞くことにしましょう。
「幽霊は信じない派のAさん」の意見
「死んだ人の魂がこの世に現れるという現象が幽霊だというのであれば、当然原始人の幽霊というものが目撃されてもいいはず。でもそんな例はない。日本でいえばせいぜい戦国時代の武士までだ。だから幽霊なんて目撃者が頭の中で作り出している錯覚に過ぎないんだ」
なるほど、幽霊は錯覚だ考えているのですね。
「幽霊の正体見たり、枯れ尾花じゃないけれど、幽霊を見たと主張するひとの多くは見間違いなのではないか。木の枝か何かを見て、頭の中で「人がいる」という風にイメージを結んでしまうのだろう。原始人の幽霊がいないというのは、原始人のイメージというものがあまり身近じゃないからだと思う。イメージが乏しいので錯覚を起こす際に「あれは原始人だ」ということにはならない、だから目撃例というものがないのだ」
よくわかりました。でもこのままでは不公平なので「幽霊を信じる派のBさん」にも登場いただきましょう。
「幽霊を信じる派のBさん」の意見
「原始人の幽霊について目撃例がほとんどない理由として二つ考えられます。
まず転生を繰り返しているために、原始時代の魂というものが世代としてもう無くなっているということ。魂は転生を繰り返して何度もこの世に戻ってくるという考え方がありますが、この法則に照らし合わせてみると、転生の回数が重なっているであろう現在では、原始人の姿で人前に出るということはむしろあり得ないのです。原始時代より少し後の時代であれば原始人の幽霊はもしかしたら見ることができたのかもしれません。
そしてもうひとつが、そもそも幽霊というものは生きていた時の形のまま現れるものなのかということです。霊魂という言葉がありますが、幽霊が死んだ人の魂だと仮定すると、生きていたときの姿で現れなくても別に良くはありませんか? 原始人だったので、原始人の姿で出てこなければならないというルールはむしろ不自然です」
否定と主張
原始人の幽霊はなぜいないのか? 明確な答えは簡単には得られないようです。
幽霊なんているわけがない。死後の世界なんて存在しない、と否定してしまうのは簡単です。また、幽霊は実在する、死後の世界だって存在するんだ、と主張だけすることもできます。
でも反対意見に耳を傾けるということもとても大切なことなのではないでしょうか。相手の意見もきちんと聞いて、そのうえで自分の考えも伝える、簡単にできることではないけれどとても大切なことです。
それができるようになったら、もしかすると「原始人の幽霊」が姿を見せてくれるようになるのかもしれないですね。
いろんな意見があって、そのすべてに納得して、自分が信じたいものを信じていきたいね。