この原稿を書いている2018年4月現在、アメリカの大統領はトランプさん、日本の総理は安倍晋三さんです。1年後はどうかわかりませんが・・・
全体主義を尊ぶ戦前の社会回帰を目指す安倍政権は、戦後の国際社会が目指してきた、
“自由と人権を尊び、民主主義と国際協調を基盤として平和を目指す世界の在り方”
に反する部分があり、危惧も多く聞かれます。更に、現在、いわゆる
- 「森友・加計問題」と
- 「自衛隊の情報隠し」と
- 「官僚のセクハラ問題」で、
政権維持が危ぶまれ始める・・・・今ここ。という状況です。
どのスキャンダルも、他の先進国などでは、国民から非難を浴びて政権崩壊必須の問題です。が、日本では、まだ3割の国民が政権を支持しており、政権庇護の声とスキャンダルを告発した側へのバッシングが、時に政権批判の声より目立っています。
日本人の人権感覚はここが違う
貧富の差による教育格差はしかたがない
2018年の民間による保護者のアンケート調査では、所得の高い家の子がよりよい教育を受けられることについて、
「当然」または「やむを得ない」
と答えた保護者が60%以上いました。
「教育を受ける権利は誰しも平等」
という認識が前提となっている欧米先進国との大きな違いです。
力のあるものが優遇される社会を当然視し、そういう立場になれるかどうかは自己責任、とする考え方が、近年日本社会で強まっています。
不平等の是正を訴える人を叩きたくなる国
安部政権にどんなスキャンダルがおきても、国民の間から批判が噴出せず、根強い政権支持者がいるのは、不平等な社会を容認すると共に、強い者に追従して優遇される側に回ることが、処世術として支持される文化がある、ということと無関係ではありません。
もし親戚に議員がいれば、親を特養ホームに優先的に入れてもらえる、そういう社会のほうを望んでいる日本人は少なくありません。
そして、処世術に長けない人が不平等な扱いを受けることに対し、救済や保護が与えられることは、自己責任論的に間違っていると感じる人もたくさんいるようです。
- 生活保護受給者が叩かれる
- 妊娠した女性がハラスメントを受ける
- セクハラや性被害を受けた側が告発すると叩かれる
そんな社会では、人権を遵守しようとする感覚は、非常に希薄です。
世界の人権の常識ってどうなの
人権て何だ?
欧米諸国中心の国際スタンダードが、日本の文化に合うとは限らない、という考え方をする政治勢力が、安倍政権の基盤であり、国民は選挙の度にそれを支持しています。
が、一応、世界の人権意識はどうやって作られていったのか、も知っておきましょう。
人類始まって以来、様々な理由に基づく差別が、ありとあらゆる社会にありました。しかし、力で略奪し合う覇権争いの歴史を何千年と経る間に、人々の間に少しずつ、
「差別や略奪は不当なものだ」
という考えが生まれてきました。
近世から近代にかけ、世界は
どんな人にも認められるべき権利=「人権」がある
という概念を持つようになりました。
世界大戦と国際連合
20世紀の世界大戦を経て、世界はようやく力で征服して覇権を広げるやり方(植民地主義)を反省しました。1945年、国際社会は、自由と人権が尊重される平和な社会を築くために一致協力していくことを謳い、「国際連合」が生まれました。
1948年、第3回国連総会において、「世界人権宣言」が、採択されました。
すべての人には等しく人権があることが宣言され、差別がようやく「悪」になったのです。
区別と差別は違うのか
しかし、それ以後も差別はなかなかなくなりませんでした。
例えば、人種差別・・・アメリカでは、住区や入れる店、トイレ、バスの座席まで、あらゆるものが、黒人用と白人用に分けられました。
「黒人用もあるから、権利は奪ってない。区別しただけで差別ではない」
とされましたが、区別の先には、扱い方の差が必ずセットになっていました。白人用と黒人用には、明らかな待遇の差がありました。
区別を正当化する理由
区別と待遇差を正当化する理由は、ひとつしかありえません。
「黒人は白人よりも、能力や社会性が劣るので、それに見合う待遇になっている」
という、ある意味の「自業自得論」です。
しかし、白人と黒人の能力差は、教育や生活や労働条件など、能力を伸ばす環境条件の差に多く起因するものです。能力差を生んでいる社会状況そのものが差別なのです。
アメリカで起きた公民権運動は、そんな区別による差別をはっきりと否定する戦いでした。
1965年、国連は「人種差別撤廃条約」を採択、人種差別の定義として、「あらゆる区別」も含まれることを明確にしました。
今から50年以上前に、
- 「区別は差別」
- 「能力差の大きな原因は差別的な境遇」
という認識が、差別問題における世界の常識となりました。
日本人の区別と差別
翻って日本では、差別を指摘される時の反論として、
「区別と差別は違う」
ということが、未だにいわれます。
特に、男女差別については、
「男らしさ・女らしさに配慮した区別は差別ではない」
という見解があちこちでいわれています。若い世代の男性の中には、「日本には女性差別はないと思う」なんていう人も少なくありません。
しかし、残念ながら、その理屈は世界では通用しません。
日本は物凄く多くの件数の「人権についての是正勧告」を国連から受けています。政府は多くを放置しています。そこには、こんな認識の違いが影響しているのです。
「区別は差別」は差別問題における世界の常識。日本人はそう思ってない人多いんだよね。「いや、これは差別じゃなくて区別ですから!」なんて言い張ってる人もいたっけな。。