人が生きる上で、
社会がうまく機能する上で、
あるいは企業がより利益を出す上で、
必要な作業・やらなければいけないこと、は、どれくらいあるのでしょう?
お金を稼ぐ仕事が、優先順位の一番上になりやすいですが、“仕事だけしていれば”ちゃんと生きていけるのか?というと、決してそんなことはありません。
個人が生きる視点で見ても、ご飯を食べたりお風呂に入ったり、遊んだり勉強したり身体を鍛えたり、時には医者にかかったりすることが必要です。そういう環境を整えるための作業を日々行うことも必要でしょう。身近な人と助け合うこと、面倒見合うことも必要です。
そういう、アンペイドワーク(直接お金にはならないけれど、必要な仕事)をこなすためのスキルの多くを、21世紀の日本では、
『女子力』
と表現するようになりました。
雑用は誰がやる?
職場の雑用もアンペイドワーク
一般に「アンペイドワーク」というと、家事、育児、介護、または町会やPTA活動、地域のボランティア等を指す場合が多いです。が、賃金労働の中にも、アンペイドワークといえる作業が存在します。
健康に快適に仕事するための環境や、潤滑に作業を進めるための準備を整えること、仕事の記録を残すことなども、毎日誰かがやっていくことが必要です。
基幹的・中心的な仕事も、それを支える部分の仕事もどちらも大事です。が、人は、周辺的・補佐的な部分を「雑用」と認識し、軽んじることが多いです。
わかりやすくいうと、
“やっても昇給や昇進につながる評価にならない仕事”
というのが、どんな職場にも存在しています。
女性は職場で雑用を任されやすい
「雑用」を引き受けているのは、男性よりも女性が多くなっています。
それは、日本より女性の教育や社会進出が進んでいるアメリカ社会でも同じ、
という研究が、2010年代にペンシルバニア州カーネギーメロン大学の社会学教授リンダ・バブコック(Linda Babcock)氏らのチームによって進められてきました。
アメリカでも「ガラスの天井」といわれる昇給・昇進の障害や、男女の賃金格差の問題は、未だ解消されていません。その理由のひとつに、この
- 女性のほうが雑用を任され、引き受ける割合が高い
- 男性は雑用を断る割合が女性より高い
という傾向があげられています。
バブコック先生らの研究は、実験でそれを証明すると共に、「なぜ女性が雑用を引き受けやすいのか」のメカニズムを解明しようとしたものです。
2017年に、実験の分析から以下の3点が判明した、と、発表されました。
- 「女性のほうが進んで損な役回りを引き受ける」傾向はない
- 「女性のほうが上司などから損な役を依頼される」ケースが多い
なぜなら
- 「女性のほうが損な役回りを頼まれた時、断らない確率が高い」と期待されるから
男らしさ女らしさの決めつけとは
性別役割分業の固定化意識が否定された社会
アメリカ社会では、この分析結果は、問題意識を持って受け止められています。
国際社会では、60年代から70年代にかけ、「人権」についての認識が大きく進みました。1979年、国際連合第34回総会において
「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」
が採択されました。これは、それまでの男女平等概念を大きく覆す内容でした。
それまでは、男女平等は、あくまでも「男らしさ女らしさ」に沿った役割があることを肯定した上で認められました。が、「性別役割分業」を固定化する意識こそが差別の根源であり、これを克服すること、を条約制定の道義付けとして掲げました。
以後、欧米を中心とした国際社会では、
「男は仕事、女は家庭」
「男が中心、女は補佐」
という決めつけを払拭すべく、努力してきました。しかし、40年たってもまだ、女性のほうに雑用を引き受けさせてしまう、社会の意識の問題を突きつける研究でした。
ジェンダーフリーを否定する社会
日本でも、80年代、男女共同参画の概念が社会に広がりました。雇用機会均等法の施行や教育のジェンダーフリー化(男女別に基準の異なる教育はしないこと)など、法や制度の見直しが進み、条約も批准しました。
が、しかし、90年代半ば、激しいバックラッシュ(反動)が起きました。
「女性が社会進出したことが、非行やいじめ、引きこもり、少子化などの問題の元凶となった」
と、主張する政治勢力の圧力を背景に、男女共同参画は
「過度の人権主張は行き過ぎた平等である」
と叩かれ、「ジェンダーフリー教育禁止」を定める自治体条例も複数出ました。
国連は、条約締約国の国民が人権侵害を受けた場合に、国連の委員会に通報・審査を受ける権限を認める選択議定書を、1999年に採択しました。日本は現在も署名を拒否しています。
世界で類をみない、素晴らしい国日本
日本はその後、戦前の全体主義的思想や、女性が家庭で子育てや介護を担う風土が「美しい国日本」の伝統だと主張する勢力が、権力を牛耳る方向に進んでいます。
90年代以降の学校教育を受けた世代の60%以上は、そういう政権を支持しています。
そして、若い世代の女性自ら
「女子力が高い」
という言葉を使う社会では、細やかな配慮の補佐的作業が女性に期待されるのは、至極当り前なことです。アメリカの研究などニュースにもなりません。
“日本は、世界とは違う、特別で、素晴らしい国です”
という話が大好きな社会で生きる現代日本人、の鏡に映る姿のひとつです。
女子力って言葉だけは歴史を知ってもらうためにも残して、ひとまず女子力高い男っていうのが溢れる社会を目指していくのはどうだろうか!!・・・だめ?