恐怖の「揺れ」
あの日を境に…
東日本大震災から10年が経過しました。
あの日、筆者は神奈川県内の勤務先で、仕事をしていました。揺れ始めたとき、きっと、すぐおさまるんだろう、と気にもしなかったのですが、おさまるどころか、激しさをましていき、壁の時計が落ち、スチール製のデスクがガタガタと滑るように揺れるのを見て、恐怖を感じました。
揺れがおさまり、窓を見ると、隣のビルがまだ揺れているように見えて、もしかしたら揺れているのはこのビルなのか、いや、地震がまだ続いているのか、全くわからなくなりました。その後も余震が続いたのは周知の通りですが、すっかり「揺れ」にたいして過剰に反応するようになってしまいました。
日常生活に潜む「揺れ」
そういう状態から改めて身の回りを観察すると、
「揺れる」
という現象には、けっこう日常的に出会っていることに気づきませんか?
「電車」
通勤・通学の重要な足として、在宅勤務が注目されている現在でも、利用者は多いことでしょう。電車の「揺れ」は、落ち着いて考えると結構大きなものだと個人的には考えています。ちょっとしたカーブに差し掛かったときなどは立っていられなくなるぐらいなのですから。
そのために、手すりやつり革が用意されているのですが、ともすれば座席に座っているときでさえ、身体が揺れてしまう経験、皆さんもあるのではないでしょうか。
ちなみに
「進行方向に向かって、足を広げて立てば、揺れない」
と聞いたことがあって、試してみたのですが、あまり効果はありませんでした。
「駅のホーム」
電車といえば、駅のホームも揺れることがあります。すべての駅ではありません。特定の駅で、特に通過列車がスピードを下げずに入線してくるときに揺れます。
条件はわかりませんが、工事中だったりすると揺れることが多いように思えます。スマートフォンなどに夢中になって周囲に気づかず、いきなり揺れると、ほんとうに驚きます。
「歩道橋」
歩道橋も揺れます。下の道路を大型車両が通過すると、ほぼ間違いなく揺れます。また、大柄な人が早足で渡ると揺れることがあります。でも、これは自信がありません。筆者の勘違いかもしれません。5~6回、経験があることなのですが。
「揺れ」のメッセージ
こうしてみると、「揺れ」は、「危険だよ」というメッセージと考えることもできます。(電車や歩道橋が危険だといいたいのではありません)
「揺れ」を危険の前触れかもしれぬと捉えるのは、人間が誕生したときから、こんにちまで受け継がれた特性なのかもしれません。いつ大きな地震が発生してもおかしくない、といわれている中で、ふと、そんなことを思いついたりしました。
癒しの「揺れ」
子守歌
筆者は東日本大震災を経験してからは、揺れを感じたら必ず玄関のドアを開けるようになりました。防災という観点から、適切な行動かどうかはわかりませんが、「どうせすぐおさまる」という考え方はできなくなりました。
ところが、揺れは人間にとって必ずしも危険なだけではないようです。
「ゆりかご」
というものがあります。赤ちゃんを寝かせて、適度に揺らすことができるものです。
人間にとって「揺れ」が気持ちの良いものでないのなら、ゆりかごほど非道いものはありませんが、そうではない。赤ちゃんはスヤスヤと眠ってしまう。安心してしまうということなのでしょうか。お母さんが子供を抱っこしながら、軽くゆすり、あやしている姿もよく見かけますね。
揺れの「光と闇」
適度な揺れは、眠りを誘いやすくし、さらに質の良い眠りを提供してくれるという研究結果があるそうです。なるほど、適度に電車が揺れると、眠くなることがありますね。吊り革につかまっている状態でもウトウトしてしまうのは、どうやら疲れのせいだけではなさそうです。
「地震」は、人の命を奪い、生活を破壊してしまうとんでもない現象です。しかし、同じ揺れでも「ゆりかご」は安心を提供してくれる存在といえます。地震とゆりかごを比較することは馬鹿げているかもしれないけれど、なんだか不思議な気がするのは私だけでしょうか?
安心できる「揺れ」は本当に心地いいよね。歩道橋の揺れはまさケロンも感じるな。普通の道路でも大型の車くると揺れるところあるよね~あれは心地よくないな~この差はなんだろ~。