5月30日(ごみゼロの日)から始まる一週間は
ごみ減量・リサイクル推進週間
です。
少し前まではごみ減量化推進週間でした。
国の方針がリサイクル最優先になったため言葉が追加されました。
経済産業省のHPのごみ政策に関するページの見出しも、かつては循環型社会形成でしたが、リサイクルに変わりました。
ここ数年、ペットボトルなどの回収が進み、一時期よりごみの量は少しずつ減っています。
しかし、それでごみゼロ=完全循環型社会が進んだか?というと、必ずしもそうでない現状もあります。
リサイクルを進めてもごみは減らない
分別回収さえすればリサイクルしたことになるわけじゃない
が、それは一部が分別され、再生化工場に回るようになっただけで、使って捨てるものがそれほど減ったわけではないのです。
また、買う時は再生品より安価な使い捨て品を選ぶ人が圧倒的に多く、本当のリサイクル=循環も進んでいません。
回収と再生化のための費用が自治体の財政を圧迫し、有料でリサイクルに出す家電に至っては、逆に不法投棄を増やす結果になっているのが現状です。
リサイクルは他の手段ではどうにもならない時の対策
経済産業省のHPでは、ごみ政策の柱は「3R」となっています。
リデュース(減量)
リユース(再利用)
リサイクル(再生化)
の順番です。
リサイクルは実は最後の取り組みです。
現在の技術では、リサイクルだけでごみゼロを達成することはできません。
まずはごみとして出るものを減らすこと(リデュース)が最優先に取り組むべき課題なのです。
どうしても減らせないものは捨てずに繰り返し使い続ける(リユース)、使えないものはせめて資源として再生化する(リサイクル)、という考え方です。
3Rの意味が分かっていながら、日本はなぜかリサイクルを先頭に転換し、今行き詰っているのです。
減らせた国は何から始めたのか?
リサイクルより先にやること
ヨーロッパやコスタリカなどの環境先進国では、リデュース(減量)に留まらず、その前のリフューズ(ごみをやめる・拒否する)が政策の筆頭です。
という意識を社会に徹底しています。
具体的にはごみの回収・リサイクルの責任と義務を企業と消費者に負わせることから始めました。
企業は容器包装も家電も建築も、作ったらごみを回収・リサイクルする所までの責任を負います。
デポジット制
が徹底している上、ごみの回収も有料です。
これだと費用負担は、製造した企業と使い捨てた人がする形になります。
人間、背に腹は代えられない
企業は回収の手間と費用の負担を軽減するため、不要な包装をやめ、物の耐久年数を伸ばす努力をしました。
ごみ回収率は上がり、消費者は回収の手間が要らない、ごみの出ない買い物の仕方をするようになります。
自然に食品も日用品もマイバックで計り売りという形が広まっていきました。
結果、ごみの減量が大幅に進みました。
使い捨てはラクですが、その分お金をたくさん払うくらいなら、面倒臭さも我慢するのが人間なのです。
日本でリデュースが後回しになる理由
便利でラクなほうがお金も得する日本社会
日本のリサイクル法でも、企業は売った製品を再生化する費用を払う責任を負います。
が、回収する責任はほとんど負いません。
消費者は、家電を不法投棄したり使い捨てにする人は得をして、リサイクルに出したり再生品を買う人がその費用を負担しています。
これではリサイクルは進みません。
個別包装してあり、レジ袋に入れてくれる買い物ができるのに、わざわざ面倒臭い計り売りで買う人も、売る小売り業者もいません。
企業が政治を左右する国でいいのか?
日本の国がリサイクルを最優先にしてリデュースに踏み込まないのは、回収と費用の負担を企業に義務化することに、企業(経済界)が大反発するからです。
公共事業という名の建造物消費と廃棄の頻度を増すことで経済を回復させる、という政策も進められています。
市民の政治への興味や参加が乏しい社会では、政治家に資金を提供するのも、投票の取りまとめをするのも企業なので、政権が企業寄りになります。
因みに環境先進国と言われる
- コスタリカ
- イギリス
- ドイツ
などの投票率は平均7~8割です。
これらの国では選挙時に政党や候補者を支えて応援するのは市民ボランティアが中心で、献金も有権者の寄付がメインです。
使い捨ては便利でラクです。
過去の人は使い捨てることで豊になったのに、自分だけ未来のために我慢するのは抵抗がありますか?
ごみゼロの責任は誰にあるのか、お金の負担をしないで減らす方法はあるのか。
ちょっとだけ考えてみませんか。
やっぱり、ゴミを元から増やさないことがみんなの負担が一番すくない方法やと思うわぁ~
でも、今あるゴミも相当なもんやな・・・