増えてきた日本語吹き替え版
洋画の日本語吹き替え版上映が増えていますね
一昔前は映画館で日本語吹き替え版が上映されることは皆無でした。
子供向けのマンガ映画(むかしはアニメのことをこう呼んでいたものです)ぐらいしか吹き替えで楽しめませんでした。
筆者が映画を見に行くようになった1970年代は吹き替えはもっぱらテレビ放映に限られていました。
話がそれますが当時声優さんはアニメの仕事以外にも洋画の吹き替えを担当して、この俳優はこの声優さん、と担当が決まっていたものです。
有名なのは山田康雄さん。
アニメに詳しくない人でも「ルパンⅢ世」の声を担当していたことはご存じでしょう。
彼はクリント・イーストウッドの声を担当していたことでも有名です。
どことなく風貌もイーストウッドに似ている気がします。
山田氏のクリント・イーストウッドははまり役です。
もしクリント・イーストウッドが日本語をしゃべったとしたら、きっとこういう声であると思うくらいイメージに合っていました。
また、広川太一郎さんの吹き替えも大好きです。
広川太一郎といえば香港のコメディ映画「Mr.BOO」のマイケル・ホイが代表作です。俗に「広川節」と呼ばれているその吹き替えはアドリブの雨あらし、マシンガントークのようにダジャレを飛ばし、オリジナルよりも吹き替え版のほうがおもしろい、といわれたほどです。
広川さんはジェームズ・ボンド役で有名なロジャー・ムーアの声も担当しており、こちらもはまり役といわれていました。
さて、最近になり活気づいてきた日本語吹き替え版。
あなたは映画を見るとき吹き替え版を選びますか、それとも字幕版でしょうか?
筆者は断然吹き替え版です。
その魅力と理由については後に詳しく述べます。
字幕、吹き替えは映画ファンでも好みが分かれるところ、それぞれにメリットがあり、どちらも甲乙つけがたいようです。
字幕と吹き替え。それぞれの魅力とは
字幕版、吹き替え版、それぞれにメリット、デメリットがあります。
まず字幕版のメリットは
俳優の生の声が聞けること。
吹き替えは声だけは別の俳優のものになります。
当たり前ではあるのですが筆者の周囲の字幕派はこれが我慢ならないというのです。
ハリーポッターという人気シリーズがあります。
主人公のハリーが魔法を使うときに唱える呪文があるのですが、字幕派にいわせると、この呪文を英語の発音で耳にするからサマになるのであって、日本語の発音で聞いたら興ざめするとのことです。
また、字幕を読むという一見面倒な作業も、字幕派にいわせると味があるとのこと。
いかにも洋画を見に来た感が強まるとのことでした。
字幕のメリットとはちょっとそれますが、最近の吹き替え版は話題づくりのために声優経験のない俳優を起用することが多く、はっきり言って下手である、というのも字幕派の言い分です。
たしかにその傾向はあると思います。
ただ、本職でなくとも吹き替えがうまい場合もあります。
最近の例でいえば、ディズニー映画「モンスターズ・インク」シリーズの主人公サリーとマイクの吹き替え。
声の担当をそれぞれ「ホンジャマカ」の石塚英彦さん、「爆笑問題」の田中裕二さんがあてていますが、はまり役です。
ふたりとも本職はコメディアンですが、プロの声優と比べても遜色がないくらい上手です。
さて字幕のデメリットといえば、
字幕を読まなくてはいけないこと。
当然ではありますがこれは、吹き替え派の筆者にいわせれば致命的な問題です。
のちに詳しく述べますが、本来音声として認識する声の情報を、字で読んでしまうというのは、極端な場合せりふの意味が大きく変わってしまうほどの影響を与えます。
また、
字幕を追うのに夢中になって、映像を見るのがおろそかになってしまいます。
アクションものなどは重要なシーンを見逃してしまうかもしれません。
次に吹き替え版のメリットを考えてみましょう。
吹き替え版のメリットは
字幕を読まなくてもいいので子供から年配者まで楽しめる
という点です。
字幕を追いながら映像も認識しなければいけないというのは、意外と疲れるものです。
また字幕は
表示する文字数に制限があるためどうしても内容を凝縮しなければなりません。
そのため本来のせりふとは微妙にニュアンスがずれてしまったりすることがあるそうです。
吹き替えのデメリットは、字幕版のメリットのところでも述べましたが、
俳優の本当の声ではない
ということ。
どんなにイメージにあった声でもそれは俳優の肉声ではないのです。
また、イメージに合わない声で吹き替えられてしまうと興ざめしてしまうこともあります。
それからこれはとてもマニアックな事情なのですが、吹き替え版は字幕版に比べて小さな劇場で上映されることが多いようです。
同じシネコンでも字幕版は客席数も多くスクリーンも大きい、音響設備の良いスクリーンで上映されますが、吹き替え版は小規模のスクリーンで上映されていることが多いと筆者は感じます。
同じ映画を見るのであれば大きなスクリーンで音響設備の整った環境でみたいものです。
吹き替え版のススメ
映画見るなら吹き替え版を推奨します。
筆者はぜったいに吹き替え派です。
子供の頃は映画館よりもテレビで映画をみることが多かったため、自然と吹き替えになじんでいたのが根本にありますが、それだけではありません。
字幕は映画を楽しむ上で不利であるとさえ考えています。
その理由を説明しましょう。
先ほどせりふを音声として聞くのと、字幕(文章)として読むのとでは大きな違いがあると書きましたが、このことを掘り下げてみたいと思います。
たとえば以下のせりふ
というものがあったとします。
これぐらい短いせりふであれば字幕として表示した際にニュアンスを損なうことなく観客に伝わると思うのですが、問題は感情が伝わらないということにあります。
かなりキレた状態で言っているのか、あるいは苦笑しながら言っているのかが字幕では伝わりません。
通常人間の感情は表情をみればわかります。
だからこの場合も俳優の表情を見ればある程度は推測できるのですが、外国人の表情から感情を読みとるのは、かなりの外国生活を積まないと難しいと筆者は思うのです。
もしくは外国人とコミュニケーションがとれる人でないと、表情で感情を読みとることはできません。
もちろん、人によってこの能力は左右されます。
ちなみに筆者は英語を筆頭とする外国語は読み書きはおろか会話は全くできません。
(日本語も完璧じゃなかったりします)
筆者は本を読むのが大好きです。
本であれば「!」マークをつけるなどしてせりふに感情の情報を付加することが可能ですが、字幕ではそれが不可能です。
小さなことではありますが、感情が情報として曖昧なままだと、ストーリーを把握できなくなってしまうおそれがあるのです。
特にハリウッドの映画は脚本がフォーマットに沿って書かれていることが多く、たったひとつのせりふが主人公の心の葛藤を示していたり、伏線になっていたりすることが非常に多いのです。
ですからどのような感情でこのせりふを言っているのかを把握することは映画を深く鑑賞するうえで欠かせない要素なのです。
また、長いせりふの場合、字幕では完全に内容が伝えきれないことがあり不利です。
たとえば、クエンティン・タランティーノ監督の映画は
長いせりふ
が特徴です。
以前経験したことですが字幕と吹き替えで同じタランティーノ監督作品を見て、その情報量の違いに愕然としたことがあります。
乱暴な言い方ですがせりふに関する限り、別の映画と思えるほど、字幕ではせりふの内容が省略されていたのです。
これは仕方のないことだと思います。
字幕はどうしても一度に表示される文字数が限られてしまいますから。その制限の中で翻訳担当者が工夫し、字幕を考える作業をしていることは理解できますし、翻訳担当者の方々は本当に立派な仕事をしてくれています。
それでもこのような情報量の差が生じてしまうのは、もう物理的な問題なのです。
公開されるすべての洋画がオール吹き替えになればいいと思っている
吹き替えの一番大きな問題は、俳優の生の声が聞けないということでしょう。
余談ですが世界的に有名なあるアーティストが主題歌を担当した映画がありました。
その吹き替え版では主題歌は日本語だったのですが、なんとアーティスト本人が日本語で歌っているのです。
これには驚きました。
と同時にそのアーティストの心意気を感じましたね。
このように俳優本人が日本語で吹き替えてくれれば理想的なのですが、なかなかそうはいきません。
残念ながら「本人の声と違うじゃん」問題に関しては筆者は良い解決策を見いだすことができません。
ただし、今後の可能性は秘めていると思います。この記事の冒頭に示した山田康雄さん、広川太一郎さんの例がそれです。
吹き替え担当者の人選を、演じている俳優のイメージに合わせれば、たとえ本人の声でなくとも映画は楽しめると思うし、その俳優のファンも納得できると思うのです。
話は戻りますが、最近の吹き替え版ブームは歓迎しますが、時々、首をかしげるほどイメージとはほど遠かったり、せりふが棒読みだったりすることがあり、吹き替え派の筆者も興ざめしてしまうことが時々あります。
映画もビジネスである以上、興行成績は非常に重要です。
そのため話題性は追求するべきではありますが、ある程度の指針は守って欲しいと映画ファンとして感じます。
あらためて問います。
まさケロンは「字幕派」かな~!
怒ってる時の声だとか、コワイときに震えてる声だとか、本物を聞きたいな~って思っちゃうね!