今年も残すところあとわずかとなりました。官公庁を初め、会社勤めの皆さんの中には、既に仕事納めされた人も多いでしょう。
12月最後の週末には、町の中を歩いていても、いたるところで「良いお年を」と挨拶し合う人々の姿が見られました。
年の瀬の定番挨拶「良いお年を」とは、
「良いお年をお迎えください」
の略です。
この「お年」とはもちろん来るべき新年のことで、「良いお年を」に込められた気持ちは、“あなたにとって来年一年が良い年になりますように”という意味合いのものであろうと、多くの人が思っている、と、思っていました。
が、最近どうも様子が違うらしいです・・・。
変動していく言葉
良い年末をお過ごしください?
最近「良いお年をお過ごしください」という言い方をする人に遭遇することがあります。
どうやら“残り少ないこの年を安泰にお過ごしください”的な意味で捉えているようです。
この場合の「お年」とは年末の数日間のことですね。
ネットで検索すると、「どちらの意味にも取れる(含む)」と書いてあるハウツー記事もありました。
どうやら、若い世代を中心に、言葉の意味や使い方が変化してきているようです。
間違いが“有り”になる、生きている言葉
この手の言葉の意味の変化は、昔からいろいろあり、たいてい初めは誤用・勘違いの使われ方に過ぎません。
語源となっている物事が時代と共に廃れるなどして、由来がわからず使われているうちに、字面だけから別の解釈をする人が現れ、正しい意味や使い方を知らずに間違ったまま使い続けます。
そういう人がある程度の割合になってくると、いつの間にか「そうとも受け取れる」と正当化する意見が通って、それも“有り”になり、やがて元来の言葉の方が淘汰されることも少なくありません。
その過程で、もともとの言葉を知っている人が「日本語の乱れ」を指摘して喧々諤々(けんけんがくがく)となることもありますが、多くの場合、元来の意味よりもその時代の意味や価値観に字面(響き)が近い方が生き残るようです。
もともとの「お年」の意味は「来年」ではなかった
良い歳神様のお迎えをしてください
実は、“来年も良い年になりますように”の意味の「お年」も、元来は“来年一年間”のことではありませんでした。
“お迎え”するべきは「お正月」、というよりお正月にやってくる
「歳神様」
です。
八百万の神様の信仰があった日本では、お正月には「歳神様」をお迎えして“御霊[みたま]をいただく”ことで一年が始まると考えられていました。
神様が迷わないように、家の玄関には目印として門松やしめ飾りを飾り、鏡餅をお供えものにしたのです。
新年に新しい御霊をいただくことで人間はひとつ歳を取ります。
昔の日本人は生まれ年は覚えていても誕生日は気にしていませんでした。
いつ生まれようとも、皆等しくお正月に歳を取ったからです。
「良いお年をお迎えください」とは
という意味でした。
明治維新と敗戦を機に形骸化していった神様信仰
明治の世になり、東洋的なものは次々と廃され、西洋文明を強引に取り入れる政策が次々取られました。
西洋に習って暦は太陽暦になり、誕生日で加齢する満年齢の考え方も取り入れられました。
と言っても、千年以上続いてきた文化や風習はおいそれとは廃れません。
庶民の間では昭和の時代になってもまだお正月で歳を取る「数え歳」で自分の年齢を数える人たちがたくさんいました。
また、七五三など年齢に準ずる神様ごとはずっと数え歳で行われました。
戦後、GHQが来て、封建国家的な思想を廃して民主主義の文化を導入しようと画策される中で、満年齢の習慣に切り替えることを奨励する法律が施行され、数え歳の習慣もようやく廃れることになります。
それでも、戦前生まれのおじいちゃん、おばあちゃんたちが「数えでいくつ・・・」のような会話をするのを耳にした覚えがある人もいるでしょう。
そんな世代の人たちがいなくなると共に、だんだんお正月の神事も形骸化(けいがいか)していきました。今では門松も鏡餅も飾らない世帯も増えています。
そんな中で、「良いお年を」から歳神様をお迎えするニュアンスが消えていきました。
2015年を迎えようとしている現在、「良いお年を」の意味は、
- 「来年が良い年になりますように」
- 「楽しいお正月休みをお過ごしください」
のニュアンスがまだ主流のようです。
が、この先、「良いお年をお過ごしください」が優勢になるのか、はたまた「良いお年を」という挨拶そのものが廃れていくのか・・・・人の生活様式も価値観もどんどん多様化している時代、先のことはなんとも読めません。
もしかしたら、いつかは古典や歴史の教科書で習う昔の挨拶になっているかもしれません。
とりあえず、今日の所は、皆様良いお年を。
「良いお年を」っていい挨拶だと思うんだよね〜。意味はどっちもアリってことで!廃れないようにつかっていこ〜。