この時代年賀状って、出す人いるの?
時代の変化ってある意味残酷かも
先日仕事で銀座を訪れました。筆者にとって銀座はとても思い出のある場所なのです。
子供のころ家族で出かけるのはいつも銀座でした。ソニープラザで買い物をしたり、映画を見に行ったりしました。
はじめてマクドナルドのハンバーガーを食べたのも銀座です。カップヌードルを食べたのも銀座でした。
ひさしぶりに訪れた銀座は、大きく変化していました。
有楽町の駅前は大きな商業施設が出来ていてとてもにぎやかになっていたし、それとは対照的に銀座のランドマークだった有楽町マリオンがすっかり元気がなくなっていて、あのころの華やかさはありませんでした。
仕事が早く終わったので、ちょっと散歩してみました。どうしても訪れたい場所があったのです。
銀座の中心から築地方面に進むと歌舞伎座があります。さらに進んだところに一軒の映画館があります。
当時銀座で映画を見るときはかならずそこに足を運んだものです。自分にとってはとても懐かしい場所、第二のふるさとのような所です。
今でも映画館として営業していることを期待して、訪れてみると、残念なことになくなっていました。
今は大きなオフィスビルに変わっていました。ちょっと悲しかったけど時代の流れを実感しました。
昔は映画館に行かなければ見ることが出来なかった映画ですが、いまはレンタルやオンデマンドで自宅でも鑑賞できます。映画館も生き残りが激しい時代なのです。
ライフスタイルや文化といったものはその時代に合わせて変化していきます。
筆者の育った時代にはレンタルビデオなんて存在しませんでした。そもそもビデオなんて非常に高価なもので一般の家庭には手の届かないものだったのです。
パソコンやインターネットもありませんでした。今の子供たちは、パソコンやインターネットがはじめから存在する環境で育っています。
小学校でパソコンの授業があるなんて筆者の時代ではもうSFの世界です。
そのような環境で育った子供たちが、成長して社会の一員となる。
そしてライフスタイルや文化を形作っていく。古いものは淘汰される。
これはいい悪いではなくてそのようなシステムで動いているんですね。でも昔を懐かしみたいときにはこのシステムはちょっと残酷に映ってしまうかも。
年賀状なんかやめちまえ
2015年お年玉付き年賀はがきが10月30日から全国で一斉に発売が開始されました。
受付は12月15日からだそうです。今年ももうそんな時期になってきたのか、などと考えながらネットサーフィンをしていると、ちょっと興味深いブログをみつけました。
「年賀状はもう必要ない」
というタイトルが付いています。
そのブログを要約すると、いまどき新年の挨拶で年賀状を出す人はいない、メールで充分用が足りる。郵政省は年賀はがきの販売を終了する時期に来ているのではないかとのこと。
なるほど。なかなか核心を突いた問題定義です。
たしかにこのブログにもあるように、新年の挨拶は近年メールでやりとりすることが多くなってきているようです。
大晦日から新年にかけてのメール送信を自制するよう各キャリアが呼びかけるのは恒例となっています。
それに伴い年賀はがきの売り上げも年々落ち込んでいると聞きます。これからさらに日本人の年賀状離れが進んでいくように思われます。もしかしたら本当に年賀はがきの販売が終了するときがくるかもしれませんね。
筆者の子供のころは年賀状の最盛期だったと思います。
元旦の朝、分厚い年賀状の束が届いていたのを記憶しています。
筆者の父はそれを見て、満足そうなほほえみを浮かべると、ドヤ顔で一枚一枚に目を通していました。
あの頃の年賀状というのは儀式のようなものだったと思います。新年を迎えるための儀式です。
今よりも年賀状に重みのようなものが込められていたような気がします。
当然のことながらプリンターなどあるわけが無く、一枚一枚すべて手書きですから、出す側も受け取る側も厳かな気持ちだったのでしょう。
筆者が大人になって、社会人のたしなみとして年賀状を書くようになると、量が多いこともありほぼ義務のような作業でした。
正直めんどくさかったです。でもみんなやってることだし、自分も年賀状をもらうのだから文句は言えないな、と割り切って書いていました。
このころはまだパソコンで作成して、プリンタで大量印刷というのが一般的ではなかったのです。加えて会社のルールで、社内関係者への年賀状はすべて手書きで書かなければならなりませんでした。
結婚して家族が出来ると、年賀状作成は楽しみな作業へと変化していきました。
家族の写真を載せるわけですが、ウケをねらおうと毎年工夫をこらした写真を撮影するのに知恵を絞っていました。
また受け取った年賀状に生まれたばかりの子供の写真が印刷されていると、新年早々幸せな気分になりました。
このころになるとパソコンで作成しプリンタで印刷というスタイルが普及していたため年賀状作成の苦痛から解放され、楽しい作業でした。
そして現在に至るわけですが、子供も大きくなったので、写真を載せることもなくなりましたし、仕事関係・友人関係の年賀状というのもメールですませてしまいますので、純粋な年賀状の作成は数枚程度になりました。
おもしろいのは人によっては年賀状をいやがるのです。
わざわざはがきを買って返事を出すのはめんどくさい。メールのほうが簡単だ、なぜメールで送って来ない?
とか、極端な意見では、年明け早々仕事で顔を合わせることになるのだから新年の挨拶はそのときでいいだろ、といわれたことがあります。
年賀状継続か?廃止か?
大量生産の年賀状はメールとおなじ
時代の流れの中で岐路に立たされている年賀状ですが、時代遅れとばったり切り捨ててしまっていいものなのでしょうか?
年賀状にはメールと比べて勝っているところはないのでしょうか?
心がこもった挨拶であるとは言えると思います。メールなら文面をひとつ作成して複数の相手に一斉送信が出来ます。
受け取る側の問題になりますが、快く思わない人も中には居るでしょう。
手書きとはいかないまでも一枚一枚に相手の宛先が書かれた年賀状なら、受け取った相手の印象も変わると思います。
先のブログではこの点についても触れています。手書きではなく、プリンタで大量に印刷した年賀状と一斉送信されたメールに大きな違いはない、としています。また、先の筆者の友人のようにいちいちはがきで返事を出すのは面倒だという考え方もあります。
ここまでくると個人の考え方にもなってくるので一概に善し悪しを決めることは難しくなってきます。
もし年賀状という風習が廃れて、年賀はがきの販売が終了したとしたらいったいどのようになるのでしょうか?
元旦の朝にわくわくしながらポストを覗くこともなくなるでしょう。
郵便局から年賀状の配達に出発する職員の映像がニュースで報道されますが、これも見られなくなってしまいます。
「今年の年賀状の息子さんの写真、よかったよ。ずいぶん大きくなったね」なんて会話もなくなります。
これは良いことなのでしょうか、それともあまり良くないことなのでしょうか?
本当の意味の年賀状は永遠に無くならない
年賀状の目的は何でしょうか?
新年の挨拶です。自分は元気で過ごしていますよ、という挨拶です。
その方法として年賀状があります。年賀状は日本人が大切にしてきた風習なのでなくしてはならない。そんな意見もあることでしょう。
確かに日本の昔ながらの風習は後世にも伝えていかなければなりません。
でも風習や文化というものはアップデートされるべきだと筆者は考えます。
年賀はがきでの年賀状がこの世から消えてしまったとしても、新年の挨拶という根っこの部分は残ります。
はがきで出すかメールで出すかの違いです。
方法にこだわるのではなく
「あけましておめでとう」
を相手に伝えたいという気持ちを大切にするべきだと筆者は考えます。
高齢の方たちはまゆをひそめるかもしれません。
わたしパソコンもスマホも持ってないよ、という方もいらっしゃると思います。
では思い切ってパソコンデビューしてみてはいかがでしょう。
携帯からスマホに変えてみてはいかがですか?
今年の年賀状はメールで送ってみてはいかがでしょう。
「おばあちゃん、すごーい」
なんてお孫さんから返事が返ってくるかもしれませんよ。
古いものは切り捨てろ、と言いたいのではありません。
文化や風習はアップデートしていくのがそれらを支えていく人々の義務だと思うのです。
「あけましておめでとう」の気持ちさえ忘れなければ古くからの伝統が廃れていくことはないと筆者は考えます。
年賀はがき自体も進化しようと努力しています。スマートフォンをかざすと動画が楽しめるはがきが今年からお目見えしたそうです。
大切なのは方法じゃなくて気持ち!まさケロンも今までとは違った新年挨拶のスタイルでいくよ~。