防災・減災

防災から減災へ「国が何とかしてくれる」意識の変革が迫られる

Written by すずき大和

東日本大震災から4年たちました。

被災地の復興はまだまだ道半ばではありますが、未曽有の大災害から私たちは多くのことを学び、災害に対する事前の取り組みについても、あの日以前と以後では、様々な面で変わってきています。

この4年間でよく目にするようになった言葉に「減災」があります。

この言葉は、比較的新しい言葉です。最新版のパソコンに入っている日本語入力ソフトの中にも、

「げんさい」

と入力して

「減災」

と出てこないものもあるくらいなので、まだ広く社会に認知された言葉とはいえない新語かもしれません。

実際、「減災って何?」と聞かれると、はっきりと答えられない人はたくさんいそうです。



スポンサーリンク

減災という言葉が生まれたきっかけ

防災対策がいつの間にか減災対策になっていた

減災は、行政やマスコミでは、最近当り前のように使われています。

  • 地震に備えて家具を固定しよう
  • 水害時の避難経路を確認しておこう
  • 普段から食料や水を備蓄しておこう

などなど、減災のための備えがいろいろ呼びかけられますが、それって以前からある「防災対策」と何が違うのか、イマイチわかりにくいです。

なぜ二つの言葉を使い分けるようになったのでしょうか?

防災対策が意外と役に立たなかった阪神・淡路大震災

災害時の備えの呼びかけや、地域や職場単位で行う避難訓練は、ずっと以前から行われていました。

国には「災害対策基本法」という災害時に備える法律があり、各市町村には、その法律に基づいて「地域防災計画」が必ず策定されていました。

しかし、1995年1月に阪神・淡路大震災が起きた時、

  • たくさんの人が倒れてきた家具の下敷きになりました。
  • 食料や飲み物の備蓄をしている人もほとんどいませんでした。
  • 形骸化していた防災訓練は、あまり役にたちませんでした。
  • 地域防災計画の内容を知っている役所の人や消防署員もあまりいませんでした。
  • 行政の横のつながりの連携もうまくいかない所が多々ありました。

本気の普段の備えや訓練が、被害を小さくする

普段からもっと真剣に訓練や対策をしておけば、震災の被害はもっと防げたかもしれない、と思う人はたくさんいました。

その後、専門家や被災者や被災地でボランティアをした人などがいろいろな検証・研究を重ねる中で「減災」という言葉が生まれてきました。

災害は防ぐことはできません。

でも、その被害を最小限にとどめるための努力はできます。災害や被害を防ごうとするのではなく、被害が出ることを前提に、そのダメージやリスクをいかに小さくするかの取り組みが大事だと、改めて確認されました。

それに賛同する人たちが

「突発的な事故や自然災害に巻き込まれることになっても、普段からの備えや訓練があれば、被害を受けにくくすることができる」

という信念をもって、そのために災害が起きる前から準備しておくことを「減災」と名付けました。

防災は公助、減災は自助・共助の視点

「減災」というくくりは、総合的な災害対策を意味する「防災」よりも、身近に取り組む課題として具体的に考える目標をはっきりとわかりやすくしてくれます。

それまでの防災対策は、行政主導で、ハードの整備など被害を防ぐ対策を考えることが中心でした。

地域防災計画とは、避難所や支援物資の対策など、被災後の対処のための体勢を準備することがメインでした。

そのため、市民の中にも「災害時は国が何とかしてくれる」という意識が強くなり、自分たちが普段から備えなければ!という危機感があまりない人がたくさんいました。

  • 防災は、国や自治体主導。「公助の視点」で災害が起きた時の救命や被災者のケア、その後の復旧・復興を考えた準備や対策のことや、その計画。
  • 減災は、地域の市民たちが主導。「自助・共助」の視点で、被災した時の被害を最小限に食い止めるための準備や対策や、その計画。

そういう分け方をすることで、市民が国任せにしない意識を持ってくれるよう促そう、という思いが「減災」には込められていました。

東日本大震災後の流れ

減災の概念が浸透する前に起きた東日本大震災

2004年、減災対策を普及させるために活動するNPOが生まれ、行政にも少しずつ働きかけながら、市民の意識改革を促進する取り組みを始めました。

その後、取り組むグループの幅も徐々に広がっていきましたが、「減災」の言葉も概念も、一般市民の間まではなかなか浸透していきませんでした。

そんな矢先、2011年3月、東日本大震災が起きました。

津波に対する認識の甘さから、逃げられたのに逃げなかった人がたくさんいました。

石巻の大川小学校で、高台に逃げる判断を躊躇している間に、多くの子どもと先生が亡くなった事例が、今も印象深く心に残っている人も少なくないでしょう。

災害に対する知識や危機感や、それを見越しての準備が、普段から市民の間にもう少しあったら、死傷者の数はもっと少なくできたかもしれません。

防災から減災への転換

震災から3ヶ月半後の2011年6月25日、「東日本大震災復興構想会議」は、菅直人首相に答申を出します。

4章からなる「復興への提言」では、第1章の冒頭から「防災から減災への転換」を強く打ち出していました。

内閣はそれを受けて復興対策を作り、それ以降、行政やマスコミが積極的に「減災」の言葉と概念を啓発していくようになりました。

自助・共助は「自己責任」という意味ではない

内閣府の公式サイトには、減災意識を社会に浸透させていこうという呼びかけが丁寧に詳しく書かれています。

具体的な取り組みを市民にわかりやすく呼びかけるための冊子もダウンロードできるようになっています。



政府は、市民同士の自助・共助の大切さを丁寧に説明しています。

国が「自助・共助」を声高に言うと、何でもかんでも「自己責任」とされ、弱いものが切り捨てられていくような社会をイメージしてしまう人もいるかもしれません。

国の財政赤字問題に絡み、福祉や医療への補助がどんどん打ちきられていく時の決まり文句が「自助・共助」となっていたのも事実です。

が、しかし、減災に関しては、

「助かりたければ自分で何とかしなさい」

「国は知らないよ」

という自己責任論を説くものでも、国が防災対策の予算を削減するものでもありません。

自分の命と自分の町は皆で力を合わせて守ろう

減災は、被災者の視点から生まれ、国に要望した概念です。

「何でも国任せ、人任せにしていては、助からない」

「ピンチの時は皆が力を合わせて、自分の判断で動くことが命を救う」

ということを国民の皆さんにわかってもらいたい、という所からの発想なのです。

国は「お上」ではなく、国民は自分が主体となって国にダメ出しするのが民主主義ですから。

国のやってくれることなんか待ってちゃダメなのかもしれません。自分や家族の命、自分の町は自分たちの手で守る気概を持って、災害に備えましょう。

とりあえず、お宅のいざという時の備えは大丈夫ですか?

まさケロンのひとこと

「自分たちでなんとかしよう!」っていう減災の考え方が結果的にみんなのピンチを救うかもしれないね。

masakeron-love


スポンサーリンク

あなたにオススメの記事&広告

筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。