「阪神電車」と「阪急電車」をご存知でしょうか。ともに関西を走る大手私鉄の電車路線です。
日本広しと言いますが、これら二つの路線、そして沿線ほど対称的なカラーはないのではないでしょうか。
その「阪神電車」と「阪急電車」について、皆さんにご紹介しましょう。
特徴をひとことでいうと、、、
- 阪神電車は「下町の庶民の電車」、阪急電車は「山手の上質な電車」
- 様々な電車が乗り入れる「阪神電車」、伝統のマルーン色一色の「阪急電車」
- 昔は「最大のライバル関係」、でも今は「兄弟関係」
庶民的な「みなさまの阪神電車」、上質な空間の「マルーン色の電車」
阪神間の海側を走る阪神電車、山側を走る阪急電車
「阪神電車(阪神電気鉄道)」は、大阪のキタの中心・梅田と、神戸・三宮を主な路線とする、全長48.3キロの鉄道です。
「阪急電車(阪急電鉄)」は、梅田を中心にして、神戸・宝塚・京都を結ぶ、全長143.6キロの鉄道です。
阪神電車は、JR線の海側、そして阪急電車(阪急神戸線)は、JR線の山側を走っていますが、阪神間は、このJR線を境に、まったく違う雰囲気の世界を醸し出しています。
阪神電車は「下町の電車」、阪急電車は「山手の電車」
「阪神電車」の沿線は、古くからの住宅や工場が密集する地帯で、阪神タイガース、競輪・競艇場といったものも存在していて、駅前に降りるとどこもなんとなく懐かしくなる、下町の光景が広がっています。
一方で、「阪急電車」の沿線は、山手の住宅地を走り、特に西宮から芦屋・御影にかけては、全国屈指の高級住宅地を走ります。
電車の外装も、「マルーン色」と呼ばれる、深い小豆色で統一されています。
深い木目調で統一された車内は、つり広告も少なく、内容もなんとなく上品なものばかりです。
「下町の電車」と「山手の電車」の「熱いバトル」の歴史
「待たずに乗れる」か「綺麗で早うてガラアキ」か!?
「阪神電鉄」は、1905(明治38)年、日本で初めてとなる都市間高速電車として開業したのがはじまりの会社です。
「阪急電鉄」は、1910(明治43)年、「箕面有馬電気軌道」として、現在の宝塚線・箕面線を開業した会社です。
その後、大阪と神戸の間に路線をつくることを計画して、1920(大正9)年に「神戸線」を開業しました。
阪神電車は、並行して走る国鉄(現在のJR)に対抗するため、短い駅間、高速走行にこだわり競争してきたのですが、すぐ近くに阪急電車が開業したため、直接のライバルは阪急電車に変わりました。
そこで阪神電車は電車のさらなるスピードアップを図り、また4分ごとに急行・普通電車を走らせるなど、
「待たずに乗れる阪神電車」
いうキャッチフレーズで売りました。
一方で、阪急電車も、先輩格の阪神電車との違いをアピールするために、社名を「阪神急行電鉄」に変更したり、阪神電車より高速運転を行ったり、開業時、新聞には
「綺麗で早うてガラアキで、眺めの素敵によい涼しい電車」
と、路線の特徴を示してアピールするなどしました。
電車だけでなく、沿線開発でも最大のライバル!
沿線開発でも、阪神電鉄は阪急電鉄のライバルでした。
阪神電鉄は沿線の甲子園に住宅や遊園地、球場を作るなどして、乗客を沿線に誘致することに熱心に取り組みました。
全国的に有名なのは、
「阪神タイガース」
であり、「高校野球大会」でしょう。
一方で、阪急電鉄も、積極的に神戸線沿線に住宅のみならず、学校などを誘致しました。
そして、阪神電鉄が「阪神タイガース」を誘致したのを見て、甲子園のすぐ近くの、今の西宮北口の駅前に「西宮球場」をつくり、
「阪急ブレーブス」
というプロ野球球団も作りました。
また、六甲山も、阪神・阪急はライバルとして競って開発しました。
「最大のライバル」が「兄弟」に!~そして阪神間の未来に向けて
「阪神大震災」と「株の買占め」がライバル同士を変えた!
そんなライバルの二社を一致団結させたのが、1995(平成7)年の阪神大震災であり、2006(平成18)年の、ファンド会社の阪神電鉄株式買占めをきっかけとした、阪急電鉄による阪神電鉄の子会社化でした。
阪神大震災では、阪急・阪神・JRの阪神間3路線すべて大きな被害を受けましたが、JRがいち早く復旧を遂げたため、それまで阪急・阪神両線を利用していた乗客まで奪ってしまいました。
そのような中、ファンド会社が阪神電鉄の株式買占めに向けた動きを取っていることがわかり、阪神電鉄の経営を守るために阪急電鉄が阪神電鉄の株式を引き取り、子会社化したのです。
こうして、開業以来「最大のライバル」だった両社が「兄弟」になったのです。
そして、次の100年へ~阪神間の足としての「新しい取組」と、「伝統の継承」
今では「阪神電車」と「阪急電車」は、それぞれの沿線の独自カラーを守りつつも、様々なところで協力しながら運営しています。阪神電車は「山陽電車」や「近鉄電車」との乗り入れにも力を入れており、沿線から姫路や大阪なんば、奈良にも一本で行けるようになりました。
以前と比べるといろんな電車が乗り入れるようになって、乗客の皆さんにも楽しみが増えたのではないでしょうか。一方で阪急電車は、伝統の「マルーン色の電車」に磨きをかけ、沿線のお客さまの足として今日も走り続けています。
ぜひ、梅田から阪神電車・阪急電車に乗車したら、運転席の後ろの車両に乗ってみてください。阪神電車に乗ると、西宮あたりから右手のほうから迫ってくる雄大な六甲山の姿に圧倒されます。また阪急電車に乗ると、西宮北口を過ぎたあたりから沿線の街並みや、左奥に見えるキラキラ輝く海にうっとりすることでしょう。このような風景を毎日見て通勤・通学する人々は幸せだと思います。
このように、100年以上にわたって切磋琢磨しながらも阪神間の足として変わらず走り続けてきた「阪神電車」と「阪急電車」。これからも私たちの足としてながく活躍しつづけてもらいたいですね。
関西には、他にも近鉄とか京阪電鉄ってのがあるんやで!
どの電車も風情があってええでぇ~