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日本人は優しい?厳しい?コロナ後の社会を共に生きる

Written by すずき大和

2020年は、華々しくオリンピックが開催されるはずでした。が、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが、従来の社会の在り様を大きく覆すことになりました。

原稿執筆時(2020年6月初旬)の日本の状況は、感染拡大の第1波がやや落ち着き、2月終わりから始まった、外出自粛や休校・休業要請などの対策の緩和が始まったところです。

問題は山積み、このままでは、予想より早く大きな第2波がくるかもしれないし、経済的に疲弊した国民の生活破綻が進むかもしれない・・・そんな不安と、外出自粛が緩むことへの解放感が、複雑に世の中を覆っています。



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コロナ禍の中でわかったこと

日本のコロナ政策は成功したのか?

ここまでのコロナ対策について、本格的な検証は未来に委ねるとしても、これまで数字として表れている感染者数や死亡率などは、欧米諸国に比べると、かなり小さく抑えられてきました。

世界では、各国政府がいろんな対策を打ちました。多くは、不要不急の外出や店舗等の営業を禁止し、同時に経済的な支援を行いました。しかし、従わずに外出を楽しんだり、営業して儲ける人も当然出てくるので、警察が取り締まったり、罰則が科される国が多く見られました。

が、日本では要請という名の「お願い」に留まり、禁止はされませんでした。経済保障は先進国の中で最低であるにも関わらず、多くの国民が、感染を抑える程度にまで自粛しました。これは、世界の人を驚かせています。

自粛警察

日本人が自粛したのは、国民性が優れていたせいだと讃える人もいます。が、自粛といってても、相互監視が強く働く社会なので、実質強制と同じだったという人もいます。

日本は、兼ねてから同調圧力の異常に高い社会といわれてきました。

『和』を大切にする

という捉え方もありますが、多様性に不寛容で、異文化や意見の違う者が迫害を受けやすい社会でもあります。

特に、安部政権下の社会では、権力に批判的な言動をすると、私人公人に関わらず、政権擁護派の有名・無名・匿名の人々から、公私に渡ってバッシングを受けるようになりました。

そんな流れの中、お上(政権)が自粛しろというだけで、それに従わない人が、匿名の誰かから私的制裁を受ける事態は容易に起こりました。いわゆる

「自粛警察」

というやつです。止む無き事情で出勤・営業する人や、外出自粛でストレス症状が出てきた子供と公園に行く親たちにも、容赦なく人格否定や脅迫のような言葉が投げつけられました。

自分と違う人が許せない

もちろん社会のことを考えて、積極的に自粛した人もたくさんいました。

ストレスの中我慢している人から見ると、自分の事情を優先する人に対して

「許せない!」

という感情が沸き上がることもあったでしょう。そんな正義感が制裁行動へと向かってしまったのが、自粛警察であったと思われます。

このコロナ禍の中で、改めて、この国では標準となる社会規範のモデル像が作られやすく、それに反する人には怒りを感じ、バッシングなどの「制裁」へと向かいやすい傾向があることが、よくわかりました。

コロナ後の社会で

和って何だ?

“日本人が和を重んじるのは、他者への思いやりや責任感が強いから”

と考える人もいます。

一方で、この社会は、民主主義国家の主権者であるにも関わらず、社会や政治に無関心な人にはとても寛容です。というか、無関心を奨励しているようにも感じます。

自粛して我慢している人が、
「無頓着に旅行に行ったり店を開ける人が許せない」のと

国や政治のことを一生懸命考えて発言している人が
「無関心なまま選挙にも行かない人を見て失望する」のは、

心理としてはとても似ている感慨です。どっちも人の命や生活がかかる大事なことなのに、前者は正義の制裁に向っても、共感されやすく、後者は煙たがらたり、時に「○○のくせに、政治の話なんかするな」と叩かれています。

意見の対立する政治の話はタブーであるのも「和を重んじる」ことだと説く人がいます。

そうであるならば、「和」とは思いやりではなく、

“異なる他者と会話してわかりあう行程を忌避し、
異なるモノは排除するのがいい”

という、同調圧力以外の何物でもありません。

思いやりの方向

自粛警察までいかずとも、外出する人たちに、SNSで怒り罵る言葉をつぶやいていた人はたくさんいました。

脳科学者の中野信子さんは、著書「人はなぜ他人を許せないのか?」の中で、

「人間は本来、
自分の属している集団以外を受け入れられず、
攻撃するようにできている」

といっています。そして「正義の制裁」は脳内に快楽物質を分泌させるので、中毒になりやすいのだそうです。バッシングがエスカレートする所以です。

コロナ後の社会では、今までより不便なことがたくさんあるでしょう。経済も低迷し、イライラする人も増えるでしょう。その気持ちが、他者を叩くことにつながりやすいことは否めません。

自粛警察のような同調圧力がはびこる社会は、思いやりのある社会でしょうか。

他者を許せない心を緩和するのは、自分とは違う人の事情や気持ちを汲み取る想像力です。自分勝手な人もいるでしょうが、仕方ない事情の人もいる、と考えるだけで、だいぶ鎮まります。

そういう方向に思いやりを発揮することは、きっとコロナ後の社会の生きやすさにつながるはずです。

まさケロンのひとこと

思いやりって目には見えないけど本当に大切なことだと思うんだよね。

masakeron-love


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。