4月20日頃、暦の上では
穀雨
を迎えます。
この頃に穀物の芽吹きを促す雨が降る、つまりは種まきの時季であることを表現しています。
約15日ごとにカレンダーに書かれている漢字二文字の言葉は、二十四節気と呼ばれます。
夏至・春分・立冬など四季を表す言葉、大寒・大暑・処暑など気温を表わす言葉、雨水・霜降など気象を表わす言葉、啓蟄・清明など自然の現象を表わす言葉もあります。
穀雨と芒種は農耕期を教えてくれる言葉ですね。
二十四節気は季節を教える暦注
太陽暦と太陰暦
太古の昔、今よりも人々の生活はずっと自然と密着していました。
文明が生まれると農耕と狩猟によって食料を安定確保・供給することが社会作りの基盤になります。
それには自然の四季の移ろいを正確に知ることがとても大事であり、
今が一年のどこなのかを定めるもの=暦
が生れました。
季節を決めるには日照時間や太陽高度が深く関係しており、夜空の星の動きと太陽の動きは一年周期で繰り返すことを発見した人類は、天文学を元に暦を作っていきました。
世界各地の古代文明では、太陽の動きを元に暦を決めた(太陽暦)所と、月の動きを元に決めた(太陰暦)所がありました。
中国では太陰暦を基準にしました。
太陰暦だけでは一年で一周しない
太陰暦では新月から新月まで(約29.5日)を一か月として12か月で一年としました。
日付が月の満ち欠けと一致しているので、潮の満ち引きや夜道の明るさを判断するには便利に使えます。
しかし、実際の一年に比べ毎年約10~11日ずつ日付が早まります。
そこで、だいたい3年に1回「閏月」を入れて1年13か月にすることで調整しました。この太陽太陰暦ともよばれる暦は、中国から他の漢字文化の国へ広まっていきました。
季節にマッチする暦の必要性を解決する
農業をするには、月より太陽の位置とそれに伴う気候(季節)を正確に判断することが大事です。
一年に10日もズレる暦だと、毎年丁度気候が同じくらいの時季は何月何日になるのか、計算するのが大変です。
季節を正確に知るための暦の必要性が出てきました。
そこで、日付を定める暦とは別に、太陽の動きに合わせた暦の注釈(暦注)「二十四節気」が作られました。
太陽黄経(黄道上で春分の日の太陽の位置を0度として、太陽の動く方向につけた座標数値)
を15度ごとに24分割し、それぞれに太陽がある期間に季節を表す名称を付けました。
二十四節気が月と閏年を決める
節気と中気
二十四節気では、それぞれの日と期間を2種類に分けています。
太陽黄経が
- 15度
- 45度
- 75度
- 105度
の日は節(せつ)または節気(せっき)といいます。
節気と節気の間
- 30度
- 60度
- 90度
- 120度
の日は中(ちゅう)または中気(ちゅぅき)です。
閏月を入れる目安
19年間に7回の閏月を入れるとだいたい誤差がリセットされることは、古代の天文学ですでに判明していました。
しかし、19年間のどこに閏月を入れればいいかは、同じ太陽太陰暦を使う地域でも統一されていません。
中国から暦が伝わった日本では、中気を基準に月と閏月を決めることで、太陰暦の季節のズレを調節しました。
どの中気を含むかで何月かは決まる
- 立春
- 立夏
- 立秋
- 立冬
の4つの節気が四季のスタート日です。
一年は春から始まるので、立春の後にくる中気雨水がある月が1月、次の中気春分は2月、3番目の中気穀雨がある月は3月となります。
ちなみに、節気が丁度月の真ん中にあると、前後の中気が同じ月に入らないことがあります。
この中気のない月が閏月になりました。
では、中気が無い閏月は何月になるのでしょうか?
答えは、前の中気の月に閏を付けて
閏*月
と呼びました。
もし穀雨が3月30日で、次の中気小満が新月(4月1日)になれば、その間に挟まった一か月には中気がなく、閏3月となるのです。
太陰暦を便利に使うには、二十四節気はなくてはならないものだったんですね。
実は、古代から太陽暦を使っていた西洋でも、太陽黄経を30度ずつで区切って1年を12の期間に分ける習慣があります。
こちらは、季節を表す目的ではなくもっぱら占いに使います。
西洋占星術です。
穀雨はおうし座の始まる日です。
この期間を支配する惑星は地球または金星で、基本的な個性は保守、風水火地の四元素の中の地の力が働いているそうです。
二十四節気の中でも一番農耕作業的表現であることに、なんとなくリンクしているようで面白いですね。
普段、何気なく季節を過ごしてるけど、こんな決まり事があってんなぁ~
ためになるわ!