5月18日は「五・十・八」で「こ・と・ば」、という語呂合わせができるから
ことばの日
というネタが、2005年頃からネット内のあちこちで見られるようになりました。
誰がいつ言い出したのかは定かではないのですが、毎年この時期になると、
みたいな書き出しで、言葉にまつわるブログ記事など書く人が現れます。
ことばの日って何する日?
記念日になるには、実態がなさすぎ
10年もたつので、だいぶ定着してきたようにも見えますが、それなりの言葉の専門分野の人たち、日本語なんとか協会とか、教育関係者とか、行政とか、マスコミとか・・・・
には取り上げられるに至ってないようです。
記念日とは、誰かが明確に、理由とか目的を表明するか、記念のための取り組みを行うか、っていう働きかけにより決まるものです。
もしくは万人の心に強く残る出来事があって、自然に○○記念日と認識されるようになる場合です。
が、語呂合わせ以外にこの日に言葉にまつわるエピソードはなさそうです。
結局この10年、ネタとして語られることはあっても、誰も「記念日にしよう」とはしなかったってことなのでしょうか。
言葉を正しく使えるように心がける日
ことばの日紹介記事のいくつかには、
であるという説明がされていました。
これもどこの誰が言い出したのかはわからないのですが、一応、目的を明確にしようと働きかけた人が過去にいた、という名残かもしれません。
でも残念ながら、この目的はそれほど賛同者がいなかったのか、あまり広まっていません。
正しい日本語の話になると揉める日本人
みんな本当は正しい日本語がいいと思っている
もしかして、記念日化の動きにならなかった一因は、この目的案(?)があまり受け入れられやすいものではなかったからじゃないか、って気もします。
あくまで個人的な感想ですけど。
という話題は、明治の頃の文献にも見られます。
2013年にNHKが行ったアンケートでは90%近い人が今の日本語は乱れているに賛同していました。
日本人は相当正しい日本語を気にする国民のようです。
ならば
という提案は賛同されそうな気もしますが、実際その手の意見が出されると、必ず
という反論が起きるのです。
ガイドラインは必要、でもそれだけが正しいわけじゃない
放送用語とか、教育現場では、なんでもアリというわけにもいかないので、使い方のガイドラインを作ることは必要です。
またビジネスの場などでは、マナーとして許容されるものが一般常識としてお約束化されています。
と言う人は、これらの基準に合わないものを間違っているとします。
が、既に方言や俗語やローカル符号として流通している言葉を一概に「間違っている」と決めつけて、何でも矯正しようとすることには抵抗を感じる人が多いようです。
一般に広まったら正しくなる、でいいのか
ネイティブスピーカーがしゃべっているのが正しい言葉
言葉というのは時代と共に変化していくのが常で、昔と今では同じ言葉なのに意味が正反対になっていたり、別の意味に変わっていたりする例がたくさんあります。
一昔前はアウトだった言い方が、いつの間にか一般化して広まった結果、今はそれもアリになったりします。
言語学の世界では、
という考え方をするそうです。
理論だけでは決まらない例外的な使い方の言葉はどんな言語にもあり、共同体の中で十分おかしくなく通じているなら、それを例えば
などと決めつけることはないのです。
どこまで広がったら一般化なのか
その理屈でいうと、広く流通したらアリになり、従来の意味や使い方と違ってきても、それは言葉の変化ととらえる・・・でいいのかもしれません。
が、ネットでの拡散の影響が大きい今の時代、便宜的に変わっていったのではなく、誰かが本当に間違った使い方をして、それがあっという間に拡散した、という事例も少なくありません。
そんなことで広まってしまった場合も一般化したと受け入れていくべきなのか、ちょっと複雑な心境になります。
結局、言葉の正しい使い方は常に暫定的だってことです。
ことばの日が記念日になるかどうかはわかりませんが、年に一度、言葉の正しさについて考える日があることは、むやみに間違いを拡散させないためにも大事なことかもしれません。
言葉の使い方ってホンマに難しいんよ。
就活してると、よりいっそわかると思うわぁ~