立春から数えて八十八日目にあたる5月2日(閏年は1日、たまーに3日)は、暦の上では
八十八夜
と呼ばれ、田植えなどの農作業や夏支度を始める目安とされてきました。
日本の暦には、他にも季節の状況を表わす言葉がたくさん書かれています。
二十四節気や雑節と呼ばれるこれらの言葉は、太陽の動きに連動しているので、月齢に合わせた旧暦(太陽太陰暦)を使っていた漢字文化圏では、季節を正しく把握するための大切な暦として機能していました。
季節の暦はどうやって判断されていたのか?
雑節は日本特有の暦
明治の初めまで日本の標準暦は太陽太陰暦でした。
月齢を元にした月日の決め方と、太陽の動きに合わせた季節の表現二十四節気が、5世紀頃中国から伝わりました。
経度や風土の違いのため、日食などの予定や二十四節気で表される季節感が、微妙にずれる部分もあったので、幾度も改訂が進み、日本に合わせた暦にだんだん修正されました。
江戸時代に入る頃、二十四節気の他に、日本独自の季節の目安として雑節が次々暦に追加されていきます。
八十八夜も1600年代の初めころ作られた暦に登場した雑節です。
立春から数え始める一年
季節を把握する暦を一番必要としたのは農作業をする人たちでした。
江戸時代、都市の町民の間では、読み書きそろばんを学習する人が増えていましたが、農村ではまだまだ字が読めない人もたくさんいました。
家家にカレンダーが貼ってあったわけでもなく、ラジオやTVで情報が流れて来るわけでもなかったので、太陽の動きで把握できる
- 冬至
- 夏至
- 春分
- 秋分
などを基準に暦を判断していました。
雑節の中には立春(冬至と春分の中間)から数えて何日目と数えるものが、八十八夜のほかにもいくつかあります。
季節の暦では、立春が一年の始まりだったんですね。
なぜ八十八夜は八十八日ではないのか?
二百十日と二百二十日
秋の雑節に二百十日と二百二十日があります。
農村にとっては、稲の結実の頃で、台風の襲来に備えることを知らせる暦です。
これも立春から数えて、210日目、220日目にあたることからこう名付けられています。
ならば、88日目は「八十八日」で良さそうなのに、なぜ八十八夜なのでしょうか。
茶摘みも田植えも種まきも日中行う作業なのに、「夜」をつけるのは不可思議です。
立春から丁度3か月たつと八十八夜
誰がどういう理由で作ったのか、明確には残っていないので、あくまでも憶測ですが、これも農民の日の数え方に由来しているのではないか、と解釈する学者さんらが多いです。
太陰暦では月日の日付は月の満ち欠けで決めます。
月の周期は29.5日です。29.5日×3か月=88.5日なので、八十八夜は立春から丁度3ヶ月目となります。
立春の日の日付または月の形を覚えておいて、丁度その3ヶ月後の同じ夜が八十八夜、と認識していたと思われます。
月齢で判断するから、自然に日ではなく「夜」となったのではないでしょうか。
農村の生活と密着していた雑節は、季節感とともに、いろいろなことを注意喚起する意味がこめられています。
情緒豊かで耳触りがいい言葉のほうが印象に残って忘れにくいでしょうから、
より
のほうが風情を感じて好まれたのかもしれません。
そうなると、「にひゃくじゅうや」「にひゃくにじゅうや」より「にひゃくとおか」「にひゃくはつか」のほうがいい訳も理解できますね。
暦ひとつとっても、日本人の自然に対する畏敬の念やわびさびの精神が伝わってくるようです。
まさケロンも、疑問に思ってたわぁ~
昔の人の風情ある考えが言葉とに出たんとちゃうかな!